笠間市の岩間公民館講座「ジオパークを歩こう」第2回
で「高取山鉱山散策」にいってきた
地元でもあまり知られていない「高取山鉱山」
小生も始めて行った
「高取山鉱山」は江戸時代よりも前の天正18年(1590)に
錫(すず)が明の国の僧によって発見され(近くには錫高野という地名あり)、
当時、黒石は捨てられていた鉱石から、明治時代に鉄重石から
「タングステン」が含まれていることが判明し第一次世界大戦のころには
日本最大のタングステン鉱山となったところである。
(昭和60年に休山となる)
岩間公民館から市のバスで友部を通り、国道50号へ
途中から県道61号線に入り中山峠、旧古内小学校跡地から左折り
県道51号線を進み、「物産センター山桜」で小休止、
その後途中から右折し仏国寺近くまで進みここから歩きはじめる
仏国寺は奈良時代に行基が創建したとされた真言宗の寺である
仏国寺の石段の前を通り、奥の院へ
ここまで来ると、参道は荒れ果てている
奥の院からさらに登り、高取山を取り巻くように
進む
しばらくすると、高取山鉱山の採取跡を見ることが出来た
この辺から山道には採取後のズリが敷き詰められている
このあたりの鉱石は、750℃前後のマグマでできているとみられ、
石英、鉄重石などを手に取り講師の方からの説明を受けるが、
時にはトパーズなどもある時があるらしい…
途中で昼食、その後は高取林道を進む
(途中には荒れ果てた分校場、診療所や住宅跡地なども
当時は600人もの人が暮らしていたようである)
その後「広域農道ビーフライン」に出、そこでバスに乗車
「物産センター山桜」の交差点に出て
帰りは、来たルートを戻る
今回のルートは一般のハイキングコースではなく
鉱石屋さんのコースらしい
で「高取山鉱山散策」にいってきた
地元でもあまり知られていない「高取山鉱山」
小生も始めて行った
「高取山鉱山」は江戸時代よりも前の天正18年(1590)に
錫(すず)が明の国の僧によって発見され(近くには錫高野という地名あり)、
当時、黒石は捨てられていた鉱石から、明治時代に鉄重石から
「タングステン」が含まれていることが判明し第一次世界大戦のころには
日本最大のタングステン鉱山となったところである。
(昭和60年に休山となる)
岩間公民館から市のバスで友部を通り、国道50号へ
途中から県道61号線に入り中山峠、旧古内小学校跡地から左折り
県道51号線を進み、「物産センター山桜」で小休止、
その後途中から右折し仏国寺近くまで進みここから歩きはじめる
仏国寺は奈良時代に行基が創建したとされた真言宗の寺である
仏国寺の石段の前を通り、奥の院へ
ここまで来ると、参道は荒れ果てている
奥の院からさらに登り、高取山を取り巻くように
進む
しばらくすると、高取山鉱山の採取跡を見ることが出来た
この辺から山道には採取後のズリが敷き詰められている
このあたりの鉱石は、750℃前後のマグマでできているとみられ、
石英、鉄重石などを手に取り講師の方からの説明を受けるが、
時にはトパーズなどもある時があるらしい…
途中で昼食、その後は高取林道を進む
(途中には荒れ果てた分校場、診療所や住宅跡地なども
当時は600人もの人が暮らしていたようである)
その後「広域農道ビーフライン」に出、そこでバスに乗車
「物産センター山桜」の交差点に出て
帰りは、来たルートを戻る
今回のルートは一般のハイキングコースではなく
鉱石屋さんのコースらしい