加賀藩の所領加賀、能登、越中の魅力、海越しに観る山々、風光明媚なシーサイド・ラインの風景・出来事を写真で紹介する。
金澤・能登立山シーサイド・ライン



大東橋 (石川県白山市市原)

大東橋から見る渓谷下流側

大東橋から見る渓谷上流側

岩肌を伝う滝を見ることができる。

對山橋(石川県白山市河原山町 白山市木滑)

左;上流側、右;下流側
上流堰堤の先には北陸電力株式会社 吉野谷発電所(旧;石川県石川郡吉野谷村木滑新 新;白山市木滑新)が
あるが現在、通行止めと樹木が生い茂り写真が撮れなかった。次回再挑戦の予定

上流山手より見る對山橋

濁澄橋(にごりすみ)(白山市木滑 白山市瀬戸酉)


新旧の濁澄橋


左;尾添川に架かる、右;手取川と尾添川の分岐地点正面が尾添川右に行くと手取川

「濁澄橋」が示す意味の再検討 ~白山手取川ジオパーク,牛首川・尾添川合流点の濁度特性~
https://confit.atlas.jp/guide/event-img/jpgu2019/MIS08-P02/public/pdf?type=in&lang=ja

木滑関所跡(きなめりせきしょあと)

橋の下流側には木滑関所があった場所、ここが加賀藩と天領の境となり、木滑口留番所と称して、
侍1人、足軽5人が配置されていました。関所は、明治4年(1871年)に廃止
(白山市観光文化スポーツ部文化課HPより)

手取川と尾添川の分岐地点に瀬戸丸山城跡(通行止めのため行けず2023.07.30時点)

瀬戸丸山城の解説文
瀬戸丸山城は手取川本流と尾添川とが合流する地点、両河川によって形成された河岸段丘上、標
高約300mの地点に位置する。

この場所は、対岸に石川郡木滑(寛政元年(1661)以降に番所が置かれた)があり、牛首(白峰)
や中宮の向かう分岐点に近い。

城跡地は「城やしき」と呼ばれている他は、史実は不詳である。約50m四方の平坦面を主郭とする
単郭式の城で、南北に自然段丘面を利用し整形した腰郭を配する。主郭と北腰郭の間に幅約15m、
深さ約7m、長さ約80mの巨大な堀切がある。主郭の南西端には、櫓台遺構が確認できる。北の腰郭は、
堀切の背後に位置するが、崩落などでプランははっきりしない。

・・

昭和58年、尾口村教育委員会により東側平坦面などでトレンチ調査を行ったが、遺物・遺構ともに
明確な結果は得られていない。

立地や、単純な遺構の性格から、天正10年(1582)頃の山内衆と佐久間軍勢との対立時に形成され
た一向一揆勢の城跡と推測される。

情報提供:白山市文化財保護課


左;旧濁澄橋より尾添川上流側を見る砂防は尾添第一堰堤
右;旧濁澄橋より尾添川下流側を見る手取川との合流地点

続く 手取川渓谷を訪ねて003 中宮橋~石川県自然保護センター 中宮展示館



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