加賀藩の所領加賀、能登、越中の魅力、海越しに観る山々、風光明媚なシーサイド・ラインの風景・出来事を写真で紹介する。
金澤・能登立山シーサイド・ライン



シーサイドラインで見つけた風景



今はなき学び舎に、ポツリと残された思い出の木

 
敷地の片すみに残された・・・。

ここはかつて薮田小学校があった、統廃合で校舎は解体されポプラの木だけ当時のおもかげを残す。



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高岡市の中心に位置する高岡古城公園
シーサイドラインの北の始まりが七尾市小丸山公園、南の始まりが高岡古城公園。
七尾小丸山公園が前田利家が築城、高岡古城公園は前田利長の築城だ。どちらも花の名所として市民に親しまれているところだ。

総面積二十三・六ヘクタール、水濠は七・四ヘクタールと三十一パーセントを占める。

水面に映るさくらは古城公園ならではの風景だ。
園内にはソメイヨシノを中心に、エドヒガンザクラ、オオシマザクラ、ヤマザクラなど23種約2700本が咲き。高岡市の花木、コシノヒガンザクラも約300本ある。
 
園内のさくらはまだつぼみ開花までもうしばらくかかりそうだ。開花予報は4月の上旬ごろとの予定だ。
園内では梅、椿、そして、越中万葉ゆかりの花、かたかごが咲いていた。
 
開花予報はこちらをどうぞ>>>さくらCh(高岡古城公園) - ウェザーニュース


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明治五年(一八七五)の神仏分離によって寺塔や仏具が転売された。
この拝殿も石動山天平寺の開山堂であったが、当時の中田村に買い取られこの地に道神社の拝殿として移築された。
 開山堂として建立されたのは享和元年(一八〇一)、当地に移築後瓦屋根に葺き替えられ、加重がかかったこととともに、200年の歳月が経過し老朽化が激しく平成12年~13年に半解体修理が行われ往時の姿がよみがえった。

灘浦から石動山に登る平沢口に通じる分かれ道、中田に建つ、拝殿に安置されている大日如来像も拝殿の移築の折一緒に移されたもので、高さ四十四センチメートのけやきの一木造りの仏像だ。



近くの見どころ:
虻ヶ島と虻ヶ島越しの立山連峰(氷見市の文化財へ)
おすすめ散歩道 久殿浜遊歩道
久殿浜遊歩道 Vol.02
大境・小境の見所 「小境 大栄寺」
大境・小境の見所 「大境洞窟住居跡」
大境・小境の見所 「朝日神社・朝日社叢」
大境・小境で楽しむ 「小境海岸CCZ」
大境・小境の見所 「大境ビジターセンター」

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マップ朝日山市道より車がやっと入る小路を入ると緩やかな階段に突き当たる。左に閻魔堂、右に酒のみ地蔵を見て階段を上がる。
 階段を上りきったあたりに右に上る階段があるここを上がると金橋山千手寺(こばしさんせんじゅじ)観音堂が建つ。この観音堂の御本尊が、木造千手観世音菩薩立像である。
この木造千手観世音菩薩立像は富山県の文化財に指定されている。像の総高八十六センチメートル髪際七十三センチメートルのひのきの仏像、内刳りないのない一木彫りである。
 この像は秘仏となっており三十三年に一度のご開帳となる。
また、観音堂は大窪大工の武右衛門の作だそうだ。

 

歴史:氷見の文化財 氷見市教育委員会 より
千手寺
金橋山千手寺は、真言宗高野山派に属している古いお寺で、もとは高岡市の渋谷に建立され、伏木の国分寺とゆかりがあったと伝えられている。戦国時代など武将の尊崇を受けたようで、神保氏春、菊地武勝などの名が語り伝えられ、弘治年中(一五五〇ごろ) には社殿の修築をうけたという。氷見の田町に移っていたが、天正一三年(一五八五) に兵火にあい堂塔、寺宝をすべて炎上してしまった。その後も近火におびやかされたので元禄二年(一六八九)、現在の朝日山中の地に移ってきたのであるといわれる。

 

  
ほかに、金比羅堂もあって、古くから氷見北大町の人々や漁民の信仰を集めている。

 

氷見市の指定文化財 http://www.city.himi.toyama.jp/~60400/bunkazai/10-senjyu.htm

 



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この公園には約二五〇本桜があり、ソメイヨシノを中心として、シダレザクラ、ヤエザクラ、ヤマザクラなどの品種がある。
中には樹齢一〇〇年を超える老木もあり、毎年四月の中旬には大変見事な花を咲かせる。
・・・・・
桜の時期にあわせて「小丸山さくらまつり」が開催され・・・。

公園内の案内板より

ここは通常「小丸山公園」と呼ばれている。


写真:前田利家と能登七尾 北国新聞社より

前田利家が七尾城に入城したが、山麓にあって不便なためこの地に城を築いた。1582年(天正一〇年)
現在は本丸跡、二の丸跡、西光寺山跡が公園として整備され、園内本丸跡には前田利家松子之像などが建ち、市民の憩いの場所となっている。また、西光寺山、本丸跡(小丸山)の濠は当時の空濠が残され橋によって連結されている。
 国道を挟んだ、高台は三の丸跡だが現在は宅地となっている。

 

「小丸山さくらまつり」はこちらをご覧ください>>>


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