明け方前から降り出した雨、ほぼシトシト雨だが降ったり止んだりを繰り返し、
朝方の最低気温は17.2℃で、最高気温は深夜の21.9℃を越えていない。

今日は日本の古墳研究の先駆者で「日本考古学の父」さらに「日本アルプス」
命名者の「ウィリアム・ゴーランド William Gowland」1922年の没日です。
彼は明治政府が、英より大阪造幣寮(現造幣局)に招聘(1872年~1888年)した
化学兼冶金技師で、通常3年間が16年もの長きにわたり日本近代産業の育成に
大きな貢献をする。
面白いところでは三ツ矢サイダーに系譜が続く炭酸水「平野水」の発見も。
公務の合間には、日本各地の古墳調査(406基)や登山(六甲山で日本初の西洋式
登山を行った3人のうちの一人で)、ボート漕法の指導、日本絵画の収集など。
さて昨日の続き、「寶山寺の奥の院」へを


門を入り、左へ上がれば「文殊堂」で、獅子に乗られた文殊菩薩様がご本尊
昭和の名仏師「松久朋琳」の作で、 1978年に中興開基300年大法要記念事業
で建立された。

常楽殿、観音堂へと上る階段から朝日窟に弥勒菩薩様が見えてきました。

東側を見れば、本堂や聖天殿など、そして市内が見えている。

「常楽殿」には商売の神様「如意輪観世音菩薩坐像、吉祥天女、毘沙門天」
常楽殿👇 👇観音堂1844年再建

観音堂を回り込んだ奥に「遙拝所」で、フェンス越しの朝日窟の弥勒菩薩様が

その手前に「烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)」がおられ、“怨霊や悪魔の出入り口”という思想がある便所を、烏枢沙摩明王が炎を用いて清浄な場所にしてくださり、下の病気にもご利益がある。

延命水(名水とのこと)があり、よくわからず手と口を浄めただけでした。

石畳とお地蔵様が並ぶ石段を上れば「多宝塔」中興開山の湛海律師の願いが 300年の年月を経て1957年に建立され、本尊は厨子に入った愛染明王様。

樹林の隙間から市内が見えます

少し上れば「五社明神」、当山の氏神様です。

奥の院へと続く苔むした石段、その両脇にお地蔵様がずらりと並ぶ。

「大師堂」の手前に、梅屋敷駅への近道がある

「太子堂」1967年の再建で、弘法大師、地蔵菩薩を祀る

「子安地蔵」のお堂があるのだが、疲れているのか写真がない。
石段を登り切れば、奥乃院に到着です。

奥之院本堂は 1856年の再建、京都の中田氏の寄進の「護摩道場」だった。

白龍弁財天社に参り、さらに奥の「大黒堂」へ参れば、遠く大和高原が・・・

本堂左手には「開山堂」、1769年建立で、正面の唐破風は1964年の増築。
60歳の頃のお姿を77歳で自彫された湛海律師の木像が祀られている。
なお師は1716年1月16日に88歳で世を去られている。

左側には仏足石も

古瓢句碑があり『鳥雲に享くるのみなる手を浄む』

さらに山頂へ向かう道があり、「歴代山主墓」と右の「福徳大神」へ向かう。

下山すれば、多宝塔付近から本堂を見れば・・・
もう一度手を合わせ、後にする。

重要文化財の「獅子閣」1882年の上棟で、1884年に落慶した2階建、寄棟造、浅瓦葺の擬洋風建築の客殿を訪れるのを忘れていた。残念

石造りの「一の鳥居」、元は生駒駅近くの参道入り口にあったもので、1975年の駅前再開発で、二の鳥居よりも本堂に近いところに建てられた。


木々の間から望む市街地、良い雰囲気の参道ですね。

振り返れば、一の鳥居が・・・頭を垂れて生駒駅へと表参道を下りました。

寶山寺境内に50分の滞在(11時50分に入り、登山道合流は12時40分)
近鉄生駒駅までは、ゆっくり歩いて20分ほど、13時に着いている。
石切駅9:00・・11:00生駒山11:10・・11:50宝山寺12:40・・13:00生駒駅
生駒山へは寶山寺を省けば、歩行時間約3時間(登り2時間で632m、下り1時間で617m)、万歩計は15000歩ほどになるでしょうか。