カメラを片手に

三条通で「月日神社」の例祭でお神輿から

土用の丑の今朝、過ごしやすいと感じても25.1℃と熱帯夜になり、早朝から真夏
の太陽に照らされ、最高気温は午後2時過ぎには35.1℃となりました。
これで奈良も7日連続の猛暑日になりました。あっー
      14時、34.3℃、50% 

今朝はJR奈良駅へ出かければ・・・
二階の改札前では外国からの方々が・・・この暑さでも賑わっています。
      JR奈良駅改札前

下りれば、旧駅舎前広場では「奈良フードシェッド」が開催されているが、
オーガニックな商品ばかり、この暑さでお店の方々は大変でしょうね。

JR奈良駅に向かって


三条通を東へ向かえば・・・正面は春日大社の御蓋山(283m)と春日奥山


反対の西側を見れば、三条通から暗峠越えて難波へと通ずる。


三条通の半ばに、お神輿が置かれていた。


この辺りは下三条町で、小さな神社「月日神社(つきひじんじゃ)」がありました。


7月末の日曜日が例祭とされ、お祭りでした。
本殿は桁行1間梁行4尺で3扉3座を祀られ、本殿前に天保6年(1835年)の銘の
ある四角形の石灯籠と矩形の石手水船がある。

民俗学者「村井無名園古道」が1735年の著した奈良の地誌「奈良坊目拙解」に
「月日宮」にふれている。
神功皇后や孝謙天皇の名が現れ、法楽寺?との関連性も示唆されている。

       奈良県立図書情報館まほろばライブラリーより

一殿三坐で、ご祭神は
  「与止日女神・よどひめのかみ」肥前の神で、神功皇后の妹と伝わる
          (村井無名園古道が脚色したとの説も)
  「旱珠日神・かんずひのかみ」潮の流れを操り旱珠の日神と 
  「満珠月神・まんずつきのかみ」満潮状態にできる満珠の月神と 

 "旱珠満珠を以て日神・月神とし、日月の明神と号するものなり"と 

最後に、昔神木として﨔の巨樹があり、時の人はこの辺りを三條﨔町と呼ぶ。
宝永4年(1707年)3月18日、大風でこの神木が倒れ、民家一宇が破損すると。

由緒ある神社なのですね。

今日午前中、奈良市中央公民館で「室生寺の歴史と仏像」講師は西山厚先生
そこでこんな話が・・・
伊勢神宮、内宮は天照大御神で太陽、
そして別宮「月読宮」は天照大御神の弟神で月に。
この別宮を建てられたのは第49代天皇「光仁天皇」の皇后「井上内親王」と
されると先生は述べられている。
井上内親王は第45代聖武天皇の第1皇女で、5歳で伊勢神宮の斎王に卜定され、
6年後の神亀4年(727年)、伊勢に下向し、天平16年(744年)1月13日、弟の安積
親王の薨去に伴い斎王の任を解かれれ退下されたと。その後光仁天皇の皇后に
他部親王(皇太子)と酒人内親王(後の斎王)が生まれることに。

ところが山辺親王(後の桓武天皇)を押す藤原氏の策略により、廃后・廃太子
(他部親王・おさべ)、庶民への降下と共に五条にて毒殺されたようだと。

その後天変地異や、山辺親王の病が、これらの怨霊や竜になったと恐れられ、
各地の御霊神社や秋篠寺などを建立し、御陵として墓を新たに作る。

室生寺でも桓武天皇の命にて、興福寺僧「賢璟・けんきょう」や「修円」ら5名
に、室生の龍穴で「延寿法」を修させたところ、病気が平癒した。
このことが室生山寺の創建を桓武天皇が命じることになると。

月日神社から話が・・・それたかな

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「神社仏閣」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事