昨夜の天体ショーは垂れこめた雲で・・・残念!
5/26,19:30
深夜から降り出した雨、7時過ぎから風と共に音を立てる雨に。
お昼過ぎまで降り続き、雨量は30ミリを超えている。それなのにスズメたち、
小康状態には糠を撒いた小畑で割れ米を啄む。
気温は15℃台と肌寒く、午後4時でもまだ小雨が降り続く。
吉野山紀行④は奥の千本の西行庵へ 前回③の吉野水分神社はここ
行程
吉野水分神社(標高596m)14:25・・14:50金峯神社14:55・・(最高点803m)
・・15:10西行庵(736m)15:15・・苔清水(給水)・・四方正面堂跡・・
安禅寺蔵王堂(宝塔院)跡・・15:35金峰神社15:40・・17:00吉野駅(207m)
吉野水分神社でゆっくりして、そのまま下りたかったのですが・・・
連れ合いが先にと上り道を歩き始めている。
本当に眺望がない舗装道、一方通行で車が時折下りてくる。
足元ばかり見ていて、50㎝程のヘビを見たと同時にマムシに見え慌てて飛び
のく。よく見れば動かないので、車にひかれた様だ。
途中には「マムシグサ」も頭をもたげていた。
吉野水分神社から500m程で「牛頭天王社跡」との表示、
「牛頭天王」は祇園精舎の守護神で、日本では「スサノオノミコト」とされ、
上にある高城山の鎮守として創建されていたが、神仏分離で廃絶されたと。
ここから直ぐ、公衆トイレの前ら山道が伸び、この道は高城山展望台702mに
至り展望が効くのだが、急ぐため舗装道を進み高城山を回り込んだところに
「閼伽井不動明王」さながかっと目を見開いておられた。
左側に井戸があり、きれいな花も供えられている。頭を垂れて通過。
稜線に出れば小さな駐車場と、高城山展望台への整備された道が続いていた。
ここからも上り道ばかり、花を探しますが「マムシグサ」と「?」
そして白い泡がついている。「カエル」の卵ですね。
吉野水分神社から1.3Kmほど上ってくれば、向こうに鳥居が見え、右下から
道が合流しており、その前にバス停があるが、日曜日は休みです。
金峯神社参道への「修行門」でここからの上り200mがきつかった。
上り切れば「金峰神社」で、休憩所と社務所、そこから鳥居と石段がのびる。
上れば拝殿で、二礼二拍手一礼をしてお参りを・・・
本殿は一部がちらり、上にあるようだ。
祭神は、吉野山の地主神「金山毘古命(かなやまひこのみこと)」
修験道の行場で藤原道長も祈願したとされている。
修験道の行場で藤原道長も祈願したとされている。
社務所から50m左下に「義経隠れ塔」、義経らが追っ手から逃れ隠れたと。
時間がなく、もう午後3時前、慌てて社務所で御朱印を頂き、西行庵迄の道筋
迄教えを乞う。
右側の石が敷き詰められた急な山道を上れば、分かれ道、左に曲がれば、
大峰奥駆道へ、だが順路通り直進して5分程(最高点803m)で左折して下る。
急坂の一部には手すりがあり、気を付けて下る。
斜面から広場に下りれば、ここが西行庵(736m)があったところです。
左は谷筋で、ここは奥の千本の一部、四阿もあり、花見に最適な場所ですね。
そして右側の山際にひっそりと建つ「西行庵」が模されている。
近年、屋根の雨漏りのため屋根にシートが掛けられ、ちょっと残念ですね。
西行法師は鎌倉時代初め(800年前)、俗界をさけこの地でわび住まいをした。
西行は京を守る北面の武士だったが、突然23歳で友人の死や政争により、世をはかなみ、妻子と官位を捨て出家された。月と花を愛する歌人で、日本全国
ここ吉野にも何度か訪れ、この西行庵での死を望んでいたのかも?。
建久元年(1190年)73歳で亡くなられ、場所は大阪府南河内郡河南町弘川の
弘川寺(龍池山瑠璃光院弘川寺)です。
やはり中に佇んでおられました。
吉野は桜の歌枕になり、桜といえば西行といわれるように、とりわけ吉野の桜を愛しみ、吉野の桜を詠んだ歌は60首余もある
『吉野山 昨年(こぞ)の枝折(しをり)の 道かへて まだ見ぬ方の 花をたずねむ』
『吉野山 花のさかりは 限りなし 青葉の奥も なほさかりにて』
『吉野山 梢の花を 見し日より 心は身にも そはずなりにき』
『何となく春になりぬと聞く日より 心にかかるみ 吉野の山』
『吉野山 花の散りにし 木の下に とめし心は われを待つらむ 』
左右の石に歌が刻まれている。左右ともよく判らない
右側に苔清水と芳埜山が読めるぐらい
下記とはちょっと違うような気がする。
なおこの歌は、西行さんが詠んだ歌としては、疑問があるらしい。
『とくとくと 落つも岩間の 苔清水 汲みほすまでも なきすみかかな』
西行庵から3分ほどの谷筋に苔清水があり、筧から水が流れる。
その右側に松尾芭蕉の句碑がある。
「春雨の 木下(こした)につたふ 清水哉」芭蕉(笈の小文より)
『木下』とは、西行の「山家集」下巻:百首 1453
『吉野山花の散りにし木の下に留めし心をわれは待つらん』
『吉野山花の散りにし木の下に留めし心をわれは待つらん』
と「実方中将の故事」と重ねているようだ。
俄に心なき雨ふりて、人々げに騒ぎ給へりけるに、実方の中将、いと騒がす、木の本に立寄て、桜狩り雨は降り来ぬ同じくは濡るとも花の影に宿らん
このように松尾芭蕉は西行を敬慕し、ここへ2度も訪れられたようだ。
さあ切り開かれた斜面を上れば眼下に西行庵、サクラも紅葉もきれいだろう。
5分ほどで切り開かれた空き地に、ここは「四方正面堂跡」です。
さらに5分ほどで「安禅寺蔵王堂跡」に、金峯山寺蔵王堂の御本尊も元は
ここの御本尊だった。
3分ほどで四阿が見えれば、大峰奥駆道に合流する。
案内板にはこの辺り一帯を宝塔院跡というも場所は定かではなく、多宝塔など
もあったようだ。
真っすぐは吉野山最高峰・青根ヶ峯(857.9m)そして遠くは大峰へ・・・、
反対側は金峰神社への道に2分ほどで合流します。
あとは下りばかり、もう閉まり始めた店屋で、土産の葛菓子を買い求める。
一気に吉野駅まで1時間半ほどで下りつくも、下の千本の急な下りでは足の裏
が痛くなる。日ごろの運動不足が・・・
そして夜中にこむら返りまで。トホホ
週に二回は早足で8000歩、歩くようにしないといけないか。