徐々に顔を見せてくれました。でも夕方には北風が吹いて
冬型の天候に、また引きこもりがちな季節が到来します。
9時
昨日の続き、奈良県から京都府・石仏の里の当尾の里の
「岩船寺」までを紹介します。
地図
東鳴川の応現寺から奈良笠置街道の県道33号線のバス道へ
頻繁に産業廃棄物を積んだトラックが通り、200mほどは
怖い思いをして、山道に入るとまだ産廃のトラックに出会う。
寂びれるばかりの奥深い山林地帯は、産業廃棄物の処理場か
ゴルフ場としてしか活用できていない現実に唖然とした。
京都府に入り府道752号を行くと「ミロクの辻」を左折すると
左手の岩肌に「弥勒磨崖仏」が線刻されている。当尾でも弥勒
信仰が盛んな作例で1274年笠置寺の弥勒如来磨崖仏を写された
岩船寺へと舗装路を行くと、右手に三体地蔵への上りの山道が、
その分かれ際右側に「首のないお地蔵」様が・・・
30年前は、もっと細い山道だったと記憶するが
道中では隙間から木津川市内が望めます。
10分程でアジサイ寺と云われる「岩船寺」前に着きます。
729年聖武天皇が出雲国不老山大社に行幸の折霊夢を得られ、
善根寺の僧・行基に命じて阿弥陀堂を建立したのに始まる。
現存する伝世品から本尊阿弥陀如来坐像946年の銘文があり
平安中期までには創建され39坊と栄えたが、1221年の承久の
乱で焼失し、四天王像1293年等から鎌倉の中期にも復興された
と考える。江戸時代末期まで興福寺・一乗院の末寺だったが、
廃仏毀釈により明治14年に真言律宗・西大寺の末寺となる。
門前には僧が身を清めた鎌倉時代の石風呂が
そして門を抜けると
朱塗りの「三重塔」(重文・銘文に室町時代1442年)
仁明天皇が智泉大徳の遺徳を偲び834-847年間に建立されたと伝わる
東を正面として、三間三重塔姿の本瓦葺き、高さ18m
内部の壁画は平成15年に復元されており、元は室町の作です。
三重塔の四隅の垂木を支えるユーモラスな木彫の「隅鬼」
現在は本堂にて展示されている。
夏は紫陽花、秋は紅葉で11月下旬に夜間ライトアップも
阿字池に紅葉と三重塔が映える光景を想像できますか。
1988年に再建された本堂での拝観に
本堂内にはご本尊「阿弥陀如来坐像」平安時代946年、重文
重量感に満ちた3m近い「丈六」の坐像、肉身には漆箔を施され
衣には朱の彩色が残り、ケヤキ一木造で行基作と伝わる。
宇治の平等院の阿弥陀如来座像とよく似ており、10世紀の代表作
須弥壇の四隅に鎌倉時代1293年の四天王を従える。
パンフより
「普賢菩薩騎象像」平安時代 重文 智泉大徳作と伝わり、もとは
三重塔に納められていた。法華曼荼羅が描かれた厨子の中に安置され
一木造りの彩色像で女性的な優美な姿は藤原期の秀作で、法華経を
信じる者を護持すると云われ、辰年・巳年生まれの守護本尊に当る。
「十一面観音像」鎌倉時代、その他に室町時代の十二神将像、
薬師如来像、釈迦如来像、不動明王像や菅原道真像、等も。
十一面観音像
境内には目立つ「十三重石塔」重文 花崗岩製で高さ5.5m
正和3年(1314年)妙空僧正の建立と伝わり、軸石の窪みから
水晶五輪舎利塔が1943年に見つかる。
初重の軸石の四面には金剛界四仏の梵字が薬研彫りされている。
十三重石塔
「五輪石塔」鎌倉時代 重文 高さ2mあまり
東大寺別当平智僧都の墓と伝わり、昭和初期に北谷墓地から移された。
五輪石塔
「石室不動明王立像」鎌倉時代 1312年の銘が 重文
花崗岩製で前面二本の角石柱を立て、その上に寄せ棟造りの
一枚岩の屋根を書けた珍しい様式です。
石室不動明王立像
いつ来てものんびりできる良いお寺です。それともう一つは
門前の有名な焼き芋屋さん、ところが・・・お休み、それとも・・・。
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