カメラを片手に

東鳴川から当尾の里①、東鳴川応現寺の「不空羂索観音坐像」を

快晴の奈良、今朝は7.9℃とやや冷え込みましたが、風もなく出かけて
東を眺めれば、色づいた木々に、遠くの春日奥山も秋色模様・・・。
10時 

昼過ぎに20℃を越える暖かさ、でもこの暖かさは今日まで。夜半から朝方
の雨、前線通過を境に北風が吹き、明日はコートが必要になります。

話は先日東鳴川(なるかわ)応現寺から、県境を越え京都府の石仏の里と呼ば
れる当尾(とうのお)の里へ入り、岩船寺と浄瑠璃寺まで歩いてきました。


主目的は殆ど無名な東鳴川町・応現(おうげん)寺の『不空羂索観音坐像』
(重要文化財1986年指定)90.6cm 檜材 一木割矧造 平安時代作
のお会いすることです。
正面

横面 背面

興福寺・南円堂の不空羂索観音菩薩坐像様に続きのお目通りで、
不空羂索観音は全ての人々を慈悲の網で救い取られる仏教の菩薩の一尊で、
六観音あるいは七観音の一尊とされる。
応現寺に安置されている不空羂索観音様は目が額にもあり八本の手をそなえる
三目八臂(さんもくはっぴ)の形で、両肩に鹿皮をまとわれており、
ゆったりとした均整のとれた体つきや、衣の襞もおだやかさは「定朝様」と
考えられ、先日拝観した興福寺南円堂の不空羂索観音菩薩坐像とよく似ている。
摂関家の藤原北家一門は南円堂を厚く敬い、藤原忠実らはたびたびこの仏様を
摸刻し、1180年に南円堂が焼失する以前の平安後期の11世紀末から12世紀前半
の作とみなされており、現存作例が少なく貴重な観音様になります。
国宝3仏・重文7仏で10仏中、7体が奈良市内にあり、東大寺、興福寺は国宝、
重文は唐招提寺に2仏、大安寺、不空院におられるようです。

「東鳴川」の名は756年(天平勝宝8年)の東大寺山堺勅定(正倉院文書)に記され
江戸時代の「大和志」によれば、奈良時代の僧・行基が修業の地として四十九院
を創立され、世に鳴川千坊とよばれた。その一つに善根寺(鳴河寺)が、かつて
東鳴川町の春日神社下方にあり、1147年に興福寺権別当「恵信」が籠山するなど
興福寺の僧の修業場として多くの堂宇があったが、廃絶している。
応現寺の不空羂索観音坐像は興福寺と関係の深い「善根寺」にあったとされ、
「火災除け」になるとして現在も信仰を集め、東鳴川観音講で守られている。
応現寺は道路から上った斜面の住宅地内にある小さなお堂で、藤原家と関係を
示す藤の紋が掲げられていた。堂内は写真禁止!


公開は毎月一回の第一日曜だけですが、この講座のため特別に開けて頂きました。
堂内に御本尊として「阿弥陀如来立像」木造 江戸時代
「毘沙門天立像」木造 平安時代 善根寺旧蔵 檜材を矧ぎつけて重厚なお姿
「毘沙門天立像」木造 平安時代 善根寺旧蔵 主要部は檜の一材の丸彫り

堂前には古びた石塔がそこかしこに・・・

七重層塔」石造 鎌倉時代 
軸部に金剛界四仏の種子(梵字)を刻む 



層塔残欠」石造 平安時代 伝承では岩船寺開山智泉大師の母・智縁尼の供養塔


お守りされる東鳴川観音講の皆様ありがとうございました。
さあ石仏にお参りしながら「岩船寺」「浄瑠璃寺」迄歩きます。(続く)

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