カメラを片手に

聖武天皇陵に眉間寺遺蹟とは

昨日の満月は地球の周りに広がる淡く薄暗い影に入る「半影月食」で、左上
半分ほど薄い影が?
      2020.11.30.18:40

通常月食は二回、今年は半影月食が4回で1月11日、6月6日、11月30日は日本
で見られたが、7月5日は海外での観測に。
来年は通常通り、皆既月食が5月26日と部分月食は11月19日になります。

一夜明け、今朝は晴れ渡り4.2℃と冷え込んだ。昼前から雲に覆われ出したが
14.2℃まで上がり、鴻ノ池運動公園に車を止め、午後のぶらぶら散歩に。
鴻ノ池で水鳥を撮るつもりが、カイツブリが池の中央で潜ってエサ取り中
仕方なく、1953年から2017年3月まで奈良地方気象台方面へ歩いていくと、
お地蔵さまが集められた三叉路に。多聞山城が直ぐ近くにあり、多分?
多聞山城の築城の石として用いられたのかも?。
      

直ぐに住宅地が途切れ、左側に山の峰が続いている・・・
あの松永久秀の多聞山城跡の一画ではなく、聖武天皇佐保山南陵になる。


そしてもう一つ『眉間寺遺蹟・みけんじ』昭和24年7月建立との石碑が・・・


実は松永久秀が『多聞城山城1558-1570』を築城したおり、佐保川との間に
家臣屋敷(多聞町)には奈良時代創建の由緒ある二寺院、東大寺戒壇院の末寺『眺望寺』から 『眉間寺』と名を変え、もう一寺は行基創建の『西芳寺』で
1559年に現在の油阪町 に移転し、修行中の宮本武蔵ゆかりのお寺に。
一つ目の『眉間寺』の移転先は、この聖武天皇陵付近であったそうだ。

さらに織田信長の多聞山城取り壊し後、聖武天皇陵の山間に伽藍が建立に。
大和名所図会によれば、佐保川傍の地蔵堂から石段を登ると右に鐘楼と上に
多宝塔、左には本堂、観音堂、太子堂が並び、頂上部が聖武天皇の御陵にと。
    
           1791年・大和名所図絵より(奈良県立図書館)

明治の廃仏毀釈により廃寺となり、仏さまは東大寺に残されているようだ。
現在、旧地蔵堂付近から参道を見る。右側には佐保川が横切る


聖武天皇陵・佐保山南陵と聖武天皇皇后佐保山東稜への分かれ道
この上に伽藍が築かれていたのでしょう。

皇后陵から東大寺大仏殿が1500m先か、そして若草山が一望される。


戻る参道脇に小さな池があり、枯れたハスと、紅葉したとモミジの競演です。
      



過ぎ去り日、ここを参詣の人たちも・・・

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