カメラを片手に

御霊神社から小塔院を、元興寺③

奈良の今朝の最低気温は4.5℃と今シーズン最低を記録、これで平年並み、さみーい!
春日奥山全体がもやっておりますが、午前中は良いお天気、でも明日は雨との予報・・・
8時

元興寺の旧境内にできた社寺を巡る①五重塔があった②に続きを

五重塔跡を辞して、隣にある「御霊神社」、この地は元興寺の寺域であった奈良時代には
南大門があったと推定され、その門前に御霊社の社地があり、御霊をなぐさめる御霊会が
催されていたと。桓武天皇の勅願所の社で、当時天変地異等が重なり、桓武天皇即位の陰で
争いに敗れた井上(いがみ)内親王(皇后)と他戸(おさべ)親王(皇太子)、早良親王
(追称は崇道天皇)、伊豫親王、藤原吉子、橘逸勢、文屋宮田麻呂、藤原広嗣の怨霊を
鎮めるためともされている。もう一神、事代主命いわゆる「えびす様」も祀られ、昔は
家出人探しで、狛犬の足を紐で結んでいたのですが、時代が変わり今は若い方々の
縁結びの神様としてカラフルな紐を結ばれています。
 

ここから南に行くと、近藤豆腐店があります。
20m程北側には、訪れなかった「庚申堂」(帰り道に訪れた)
青面金剛像が祭られ、使いの赤白の「身代わり猿」が下がり、庚申信仰の奈良の拠点で、
疫病が流行した折、元興寺の護命僧正が祈祷すると、1月7日に青面金剛が現われ、
「汝の至誠に感じいったので、悪病を祓おう」といって消え去ったことより始まったと。
また吉祥天女さんもおられます。
  元興寺庚申堂の御札

さて護命僧正にまつわるお寺は、先ほどの豆腐屋の横にある小さな門から入り、

進めば、トタン屋根に覆われた小さなお堂の前に。
以前紹介した「小塔院」という現在は真言律宗のお寺です。
現在元興寺極楽坊にある国宝の五重の小塔は、この小塔院に安置されており、
「七大寺巡礼私記」では別名・吉祥堂で光明皇后が八万四千小塔を安置されたと。
(探したのですが、元興寺の分を一部紹介、クリックで拡大します)
国立国会図書館デジタルより

お堂の西側の草深いなかを分け入ると、石塔などがあります。
 

これは13世紀後期から14世紀初期のものとされる鎌倉時代後期の宝篋印塔等で、
834年に亡くなった法相宗の有名な学僧の護命(小塔院僧正)の供養の為に創られたと。

小塔院石造宝篋印塔シェーマ 小塔院護命僧正碑拓影 

次は上つ道へ降りて「徳融寺」、ここにも鎌倉後期の「宝篋印塔」が・・・
                          (次回に続く)

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