カメラを片手に

月を見て合掌

ムッとする薄雲の朝、最低気温は26.9℃で熱帯夜だった奈良、日中も雲間から
の日差しで、12時までで33.6℃迄上がり、土曜日まではこの暑さが続く。
その後は秋雨前線の南下に伴い、秋への空気へと入れ替わるも、秋の長雨の
季節になるかもしれない。
      12時、33.6℃、59%

昨夜は「中秋の名月」でしたね。
きれいに若草山山稜の上に18時過ぎに上がりました。


      9/18奈良にて

さて1974年のこの日、指揮者、チェロ奏者の「齋藤秀雄」72歳の忌日で、
没後50年にあたります。 
『斎藤秀雄没後50年記念演奏会』~小澤征爾さんへの哀悼とともに~
サントリーホールで18時30分開演です。
 出演:指揮:秋山和慶/沼尻竜典 
    チェロ:堤剛 齋藤秀雄門下特別編成チェロ・アンサンブル 
    齋藤秀雄先生没後50年特別編成メモリアル・オーケストラ
 曲目、クレンゲル:賛歌 
    A.モーツァルト:ディヴェルティメント K.136 
    チャイコフスキー:弦楽セレナーデ op.48 
    ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 op.104
 
 *後継者となったマエストロ「小澤征爾」も今年2月6日に88歳で亡くなられ
  次々世代へと斎藤先生の訓えは繋がっていくのですね。
  今日は満月、東の空(東京)に上がる月を見上げ・・・合掌 
 
斎藤は、16歳でチェロの手ほどきを受け、1922年にライプツィヒ音楽学校に
留学し、チェロの名教師ユリウス・クレンゲルに学ぶ。
1927年帰国し、後のNHK交響楽団となる新交響楽団に首席チェロ奏者として
入団、1928年で指揮者としてデビューする。
*宮沢賢治の1934年発表『セロ弾きのゴーシュ』の中に出てくる管弦楽団の
 厳しい楽長(指揮者)のモデルではないかという話もささやかれている。
 実は賢治が1928年の上京で、新交響楽団員からチェロ指導を受けた時期と
 斎藤が留学から帰ったばかりで、厳しい指導をしていた時と合致する。

戦後1948年に井口基成、伊藤武雄、吉田秀和らと「子供のための音楽教室」
を開設し、後の桐朋学園の音楽系学科開設に繋がり、後進の指導に当たる。

1956年に音楽之友社から出版された『指揮法教程』は好評を博し、斎藤が遺し
た最も大きな仕事の一つです。

1973年に文化功労者を受賞するも、翌年1974年に癌のため亡くなる。

没後、齋藤の教え子が主体として『サイトウ・キネン・オーケストラ』を結成
サイトウ・キネン・フェスティバル松本(セイジ・オザワ 松本フェスティバル)
として毎年、松本で開催され続けている。
なお2002年に「齋藤秀雄メモリアル基金賞」も創設されている。

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