蒸し暑い日が続くも、急な雨雲が発生し、気の抜けない曇りがちの一日、
今日の最低気温は24.5℃、13時前に32.9℃迄あがっている。
11時、30.9℃、65%
30年前、1993年の今日午後10時17分12秒、北海道南西沖地震(M7.8)が発生し
大津波で奥尻島は大きな被害を受けた。死者は230人にも及び、災害の発生か
ら15日目に、天皇皇后両陛下(現上皇・上皇后陛下)は最も被害の大きかった
奥尻島などの被災地を訪問されている。
さてNHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花は「ヤグルマソウ・矢車草」
「ヤグルマギク・矢車菊」とよく間違えられますが、ユキノシタ科の多年草
で、林の中のじめじめとした場所に群生している。
(近くの林を歩いてみたのですが・・・見つけられな)
和名の由来は、手のひらのように5つに分かれた葉が、鯉のぼりの頂部の矢車
に似ていることからと。
借用
細い茎の先に小さくて可憐な白い花を枝分かれしながら穂状に咲かせ、花色は黄色を帯びた白色一輪当たりの直径は7㎜と小さい。
一見花弁が5枚あるように見えるがそれらは「萼片」という特殊な形態をとり
8~15本の雄蕊と2本の花柱をもつ雌蕊から構成されている。
借用
花言葉は「優雅」「幸福」
昨夕、午後5時ごろに奈良公園内の奈良国立博物館前に。
日本人は早々に宿屋に入るのに反し、この時間でも外国からの方はシカと戯れ
ておられ、文化の違いを感じますね。
当館の講堂にて、7月8日(土)~9月3日(日)の予定で開催中の浄瑠璃寺九体
阿弥陀修理完成記念特別展『聖地 南山城ー奈良と京都を結ぶ祈りの至宝』展を監修された一人山口隆介主任研究員の解説のあと、1時間の自由見学のコース
に参加させていただいた。
この企画の発端は、奈良国立博物館で浄瑠璃寺九体阿弥陀さまが2軀、2軀、1
軀、2軀、2軀と5年の歳月をかけ修理され、そのまま浄瑠璃寺にお返しする前に披露させていただき、南山城の豊富な文化財も紹介することに。
*九体阿弥陀の修理の原因は、東側の池からの水蒸気が光背に滞留して金箔が
浮かび上がり、修復と同時に現状維持に。なお前回の修理は明治42年です。
浄瑠璃寺2019.11.9
聖地・南山城(やましろ)といってもピンと来られないでしょうが、
古くは、大和の山の向こうにあることから「山背」と表記(一部山代の表記も)
一般的には旧国名・山城は京都市以外の京都府南部とされるが、今回は宇治市を除く地域を指し、古くから交通の要衝で古墳も800基ほどあるほどです。
木津川市山城町の椿井大塚山古墳から、三角縁神獣鏡32面を含む36面の神獣鏡
が出土しているほどです。
奈良博のHPによれば、
"南山城が歴史の表舞台に登場するのは、聖武天皇の恭仁京造営により、
木津川への架橋や寺 院の建立などに「行基」の活躍がありました。
平城京から長岡京・平安京への遷都以降も南山城は新旧両都をつなぐ回廊的
な役割を果たす地域として、重要性を増した。
東大寺や興福寺といった奈良の大寺との深い関わりのなかで寺院があいつい
で建立され、木津川流域の山々は俗世を離れた聖地として山岳修験の拠点と
鎌倉時代には、興福寺に学ばれた「解脱上人貞慶」が笠置寺から海住山寺へ
と拠点を移し、釈迦如来 や弥勒菩薩、観音菩薩に対する信仰を深め、さらに
南都の戒律復興に努めたことが特筆される。
江戸時代には、各地で念仏を広めた「袋中上人」が晩年に瓶原(みかのはら)
木津川市加茂町を拠点とするなど、南山城は各時代を通じて文字どおり日本
仏教の聖地でありつづけました。
本展は、5か年に及ぶ保存修理が完成した浄瑠璃寺九体阿弥陀像のうち2軀を
修理後初公開するとともに、南山城の国宝を含む文化財143件中、動かせる
ことができる46軀すべての仏像等が展示されることに。
展示件数は143件、国宝1件、重要文化財47件を含みます。
第一章「恭仁京の造営と古代寺院」、恭仁京は740年から744年
海住山寺の十一面観音様(重文・平安時代)がお出迎え。
木津川右岸にあった飛鳥時代以降の渡来系の高麗寺跡から・・・、
奈良時代、蟹満寺(阿弥陀如来)と滋賀県へ抜ける和束の地に観音寺の薬師
如来が足元の襞が同じ様式で、同様な仏像が滋賀県に見られ、交通の要衝
重文平安時代観音寺の薬師如来
平崇が藤原家の助けで創建した禅定寺(隠居寺)、奈良時代の仏師の作
十一面観音様(重文・995年)、丈六の大きさで佇まれていた。
第二章「密教の広がりと山岳信仰」
天台密教の一大勢力「円珍」868年第5代座主が北大峰の金胎寺(和束)
神童寺の不動明王(重文・12C)、京都、大和と河内の境にあり
国境に祀られた牛頭天王像(朱智神社)や大将軍神像は疫病を防ぐ意味。
ユニークなお顔で・・・
(10C-11C)牛頭天王像(朱智神社・京田辺)
一方、寿宝寺(京田辺)等身大の五大明王二体、空海の真言密教拠点
第三章「阿弥陀仏の浄土」国宝・浄瑠璃寺九体仏(12C)の披露、140㎝大
お顔の大きさに注目してください。多分大まかな注文で、違う工房と推察
その1 その8
薬師如来(重文・1047年)と十二神将像(鎌倉時代13C)、明治36年に分けら
れ140年ぶりに初めて一堂に再会されている。
東京国立博物館5体と静嘉堂文庫7体、豊かな表情と頭部に十二支が載る
第四章「解脱上人貞慶と弥勒・観音信仰」
解脱上人貞慶(1155-1213)興福寺から笠置寺そして海住山寺で没す
南都の戒律復興に努められた。
笠置寺の摩崖仏が約半分?の大きさ、1196年の重文・梵鐘(切れ込み)
13Cの四天王像、40㎝ほどの小ささなのに、カラフルさに驚きました
第五章「行基と戒律復興」
奈良時代大仏建立のため作られた泉大橋、鎌倉時代に流された木材から
つくられたとされる「文殊菩薩」重文 14C 木津川市 大智寺
行基さんの化身とされている
文殊菩薩騎獅像 大智寺
第六章「禅の教えと一休禅師」
一休禅師(1394-1481)臨済宗の僧で、大徳寺まで通われた。
禅の文化を紹介されていた。
第七章「近世の南山城と奈良」
念仏を広められた袋中良定上人(1552-1639)は中国に渡るも、
入国が叶わず、沖縄へ
東大寺大仏殿の江戸期の大修理をされている。
一時間ではすべて見切れませんので御注意を。
音声ガイド650円、ナビゲーターは木津川市出身の横山由依さんです。
館を出れば夕闇が忍び寄っておりました。
入口
追記:回答するとこんなシールがもらえます。
この展覧会にて展示される文化財をモチーフにした奈良国立博物館の公式
イメージキャラクター「ざんまいず」で、同館教育室の翁みほりさん(31)が
作画された獅子(しし)や埴輪(はにわ)などです。
是非挑戦してください。