上空に寒気が入っており、朝から真っ青な空で爽やかな朝を迎えた奈良、
気温は明け方の14.6℃から午前10時過ぎに25℃を越え、6月下旬の気候に。
9時、22.1℃、61%
今日6月9日は数字の6や9から「勾玉の日」、「株式会社めのや」が制定。
「勾玉(まがたま)・曲玉)は、先史・古代の日本における装身具の一つで、
健康を守り、魔除けとなり、幸運を招くとされている。
材は翡翠(ヒスイ)・瑪瑙(メノウ)・琥珀(コハク)・鼈甲(ベッコウ)などで、
丸く膨らんだ玉の部分に穴を開けて紐を通して、首飾りとしていたよう。
縄文遺跡や古墳から出土し、祭祀にも用いられたようだが、詳細は不明だ。
語源は「曲っている玉」から来ているという説が有力。
文献上の初出は『記紀』、『古事記』に「曲玉」、『日本書紀』に「勾玉」と
『魏志倭人伝』には「句珠(くしゅ)」と表されている。
さらに古墳研究の先駆者として「日本の考古学の父」と呼ばれるイギリス人
「ウィリアム・ゴーランド・William Gowland」の1922年の命日、79歳。
没後100年になります。
ゴーランド30歳の折、明治政府が大阪造幣寮(造幣局)に招聘した化学兼冶金
技師で、3年の予定が16年にも延び、近代産業の育成に貢献している。
造幣局150周年特別サイトにも著名人として名が上がる。
"イギリス人ガウランドは明治5(1872)年に造幣局に招かれ、化学・冶金
技師、試験分析方として、銅精錬用の英国式反射炉の築造と操業技術・精錬
作業の指導、金属地金や諸材料の分析技術の指導にあたりました。
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温厚な技術者として造幣局職員からの人望が厚く、造幣局外への技術指導に
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温厚な技術者として造幣局職員からの人望が厚く、造幣局外への技術指導に
も功績のあったガウランドは、明治21(1888)年までの長きにわたり在職
し、同年に帰国する際には、日本政府から勲章も授与されました。 "と
公務の合間には、日本各地の古墳の調査、登山をはじめ、ボート漕法の指導、
日本絵画の収集など精力的に活動された。
特に登山ではピッケルなどを用いた西洋式登山を六甲山で行い、イギリスの
日本学者チェンバレン編集の『日本についてのハンドブック』の中で、
信州の項を担当し"Japanese Alps"と記載し「日本アルプス」の初出です。
後にウォルター・ウェストンの著書により世界に紹介され、「日本アルプス」
の命名者となっている。
先日の昼、猿沢池から眺めた興福寺、中金堂と五重塔です。
修学旅行生で賑わっていました。
西国33か所の「南円堂」、三条通り沿いの土産物屋やスタバも賑わう。
2018年10月再建、9代目の「中金堂」金色に輝く鴟尾と、南大門跡の石垣が。
2016年3月に覆い屋が外される前に中金堂の見学したとき、二階まで上れば
鴟尾は隠されたままでしたが・・・
2016.3.27
5日の日曜日の「興福寺」・「ムジークフェスト奈良2022」最終公演時
中金堂内部を、再建後初めて拝観させていただきました。(拝観料500円)
極彩色の「吉祥天倚像」南北朝、重文はおられなかった。
2022.6.5
内陣柱に描かれた「法相柱」法相宗の祖師が描かれ、教えを伝える。
ご本尊は釈迦三尊像、真ん中に「木造釈迦如来坐像」1811年赤尾右京作
パンフレットより
向かって右に「木造薬王菩薩立像」、左に「木造薬上菩薩立像」1202年
奈良時代の乾漆像を思わせる豊かな肉づけと整然とした姿です。
ともに重要文化財で元は西金堂の脇侍です。
パンフレットより
四方に国宝の「木造四天王立像」鎌倉時代、ダイナミックな躍動感が印象的
かつては南円堂に安置されていた。
右下から時計回りに、持国天、増長天、広目天、多聞天
向かって左手前に檜の一材「木造大黒天立像」鎌倉時代、重文
財宝神として信仰され、元は大自在天の化身とされ、憤怒の顔をする厨房の
守り神とされていた。後世に円満な容貌で打ち出の小槌を持つ像が流行る。
パンフレットより
COVID-19感染症、6波もだいぶ落ち着いてきており、奈良にも観光客が戻り、
土日は修学旅行生と観光客で大賑わいでした。
でもGoToトラベルは再開されず、地域割りの全国拡大になりそうですね。
そしてインバウンド、外国人観光客の受け入れも明日から再開と。
少し心配な面はあり、なかなかマスクは外せそうになりません。
静かな奈良もよかったのですが、やはり賑わった方が・・・