終の棲家でのんびり暮らす田舎暮らし

リタイア後山中に終の棲家を建て、夫婦二人で自然すぎる環境での田舎暮らしは、どこまで続けられるか。

預金封鎖の現実味が増した1

2016年07月15日 | 終わった人

「終わった人」になった私はあと10年から15年楽しく生きれて、お迎えを待てればいいなと願っている人間だ。できれば夫婦で自分の事は自分でやれて、無理であればホームのお世話になって、子供には世話を掛けたくないなと決心している。

だが、こんな願いも打ち砕く政治の混迷が続いている。政治を批判しているのではない。
一番恐ろしいのが丸裸にされて打ち捨てられる事だ。この恐怖こそ「預金封鎖」の発動だ。すべてを失う恐怖、政治の不作為による詐欺について怒りを書きたかったのだ。

「預金封鎖」 軽々しく戯言で語られるものではないのだ。NHKの「ニュースウオッチ9」
でも 2015年2月16日に放送された。懸念される預金封鎖、70年前にも発動された。
預金封鎖 2月16日 NHK-YouTube」 で検索すると番組が見れる。

その恐れる発動環境が積み上がってきたからだ。


(ヤマユリにカラスアゲハ蝶が蜜を摂りにやってきました。)

詐欺院選挙は、安倍・山口商店の大勝利に終わり、岡田商店の一人負けに終わった。

安倍商店は詐欺商法業界の法度である詐欺師の掟を改正するために必要な正直院と詐欺院を合わせた三分の二の代議員を得た。これにより改正の発議ができるようになって、消費者全員の投票で過半の了承が得られれば掟が改正される。

安倍商店の代表取締社長の任期は、連続二期6年限りの2018年9月となっている。
正直院議員の任期は2018年12月までだ。正直院と詐欺院を合わせた三分の二の議席があるうちに社長の悲願である詐欺師の掟を改正したいと考えているようだ。

詐欺師の掟は、騙されたことに気づかないように気持ちよく人を騙す商売は許しているが、露骨に社会的弱者を巧妙で悪質な詐欺で騙すことを許していない。凶暴・悪質な詐欺団を監視し暴走させない歯止めなのだ。今の掟が気に入らないのはわかるが。

代々の安倍商店や岡田商店は、永田町商店連合協同組合の売上げが上がらず資金繰りが苦しくなり、このままでは十分な商品サービスの提供が継続できなくなった。必要な運転資金の半分を借金しなければ回せない自転車操業状態に陥ったからだ。

協同組合の投資社債を毎年大量に発行し続けてきた。投資社債の発行済債務残高は、永田町商店連合協同組合の年間総売上げの250パーセントに達した。社債償還費用や運転資金を合わせて投資社債を発行し続けないとデフォルトに陥る危機状態だ。

年収200万円のアパート暮らしのサラリーマンが金融機関に500万円の借金を抱えて、毎月さらにサラ金から借り続けないと返済不能に陥ってしまう状態だ。借金は雪だるま式に増え、すべてを返済に充てるか自己破産を裁判所に申請して債権免除してもらうしか生きる道がないのだ。借金で暮らすことは恐ろしい事なのだ。

永田町商店連合協同組合は、ここまで膨れ上がった投資社債の償還は不可能と考えているようだ。タイミングを見て民事再生法を裁判所に申請して債務の棒引き、債権放棄を債権者と交渉して再生を考えているようだ。

裁判所に申請する時期だが、2018年9月までに正直院議員総選挙と「詐欺師の掟」改正消費者全員投票を同日選挙で実施して完全勝利することが第一条件だ。

次に2019年7月の詐欺院議員選挙に勝利することが第二条件だ。最後が2020年東京夏季オリンピック閉会後に起こるであろう平成のオリンピック不況と株価暴落、日本国債信用不安の兆候が出た時だ。

もう何も都合が悪いことも心配することもない。オリンピックは終わった。今しかない

昭和の預金封鎖から75年後、つまり2021年2月16日発動の可能性大か

(このヤマユリは一つの球根から伸びた茎で、まったく違った雄しべをしている。)

国家的詐欺は平然と過去に行なわれていた。日本政府は終戦直後の1946年(昭和21年2月16日発動)に預金封鎖を実施した歴史的事実がある。

戦時中の政府・軍部は戦費調達を目的に大量の国債を金融機関や軍需企業など広く国民に買わせた。敗戦後、財政危機に陥った政府は、国債償還・戦時補償の財源に窮した。金融機関や軍需企業などが持つ債権を棒引きにし、一般国民の銀行預金をも封鎖した。国民から搾取した預金資源で金融機関の混乱を押さえた。

封鎖した預金を残高金額・引出し制限を付けて第1封鎖預金、第2封鎖預金とに区分けし、第2封鎖預金には財産税(最大90%)が課税され徴収された。旧紙幣に不正防止制限を掛けて2週間流通させ、制限を掛けて新紙幣との交換をさせた。


(在来原種と思われる雄しべ)

昭和の預金封鎖は金融機関が閉まった直後の夕方発動し、翌日の朝から「預金封鎖」「新円切替」という非常に手荒な強行手段を取った。隠し預金などは名寄せして把握し、タンス預金などの隠し金を強制的に罰則規定を設けて金融機関に預けさせた。

戦後の混乱で貧しい時だったから、預金を持っているのはある程度裕福な人たちか特権階級、財閥の金持ちだった。彼らの資産はことごとく国に徴税されたが、政治をやっているのはセレブ達だ。そこには抜け道があったようだ。いつも一般庶民だけが馬鹿をみる。


(変異したと思われる雄しべ)

終戦当時、政府は預金や債権は保証すると公言していたそうだ。現在の私達がペイオフを信頼して金融機関に預けているが。

このような国家の詐欺、「国民を巧みに騙し錯覚させる、あたかも真実でないことを真実であるが如く巧みに信じ込ませる。真実の事実をあえて隠す」行為が起こる可能性を誰も否定できないだろう。

現在のように高度に金融情報社会が成熟し、ネットバンキング、カード社会も複雑だ。

国民全員が何らかの金融機関に預金をしている。企業活動の血液でもある決済金問題もある。政府は決済性預金と非決済性預金に属性分離して考えているようだ。

財務省当局が狙っているのは法人が持つ決済性預金ではなく、一般国民が溜め込んでいる非決済性預金、つまり普通預金や定期性預金、貸金庫の現金、自宅に保管してあるタンス預金(金庫の現金)を指している。

2020年には預金口座にマイナンバーで属性登録する義務が発生するだろう。これによって瞬時に外国籍預金・日本国籍預金かを峻別し、振り分け預金拘束が可能になる。 外国籍預金は封鎖対象外にし国際金融問題までには発展させないだろう。

政府が一般国民の預金財産を没収するなどありえない戯言だと思うことは危険だ。
小説の世界だけの話で終わらないと考えるべきだ。「特定秘密保護法」がある現在では、このような国を揺るがす国家秘密情報が一ミリも漏れることはないだろう。

今後、政府、財務省官僚、政治家などの詐欺師集団から如何にして身を守れるか、更に研究して「預金封鎖の現実味が増した2」に繋げればよいのだが。

むずかしい戦いだ。負ければ終わりだ。まさに「終わった人」になって野たれ死にだ。


私はだまされない

2016年07月05日 | 終わった人

MHK首都圏ネットワークで「ストップ詐欺被害!私はだまされない」を毎日見ている。
詐欺被害のニュースを見て、人はどうしてこうも簡単に騙されてしまうんだろうと思ったりする。よく考えてみれば、私たちは常々色々な形での詐欺というか騙しに捲き込まれているのではないだろうか?

代表的な特殊詐欺は、詐欺グループが面識のない不特定多数の者に対し、家族をかたり電話を用いて被害者を騙し、現金を詐欺グループの口座へ振り込ませたり、被害者から現金などを騙し取る手口とされている。

判断力が衰え始めた高齢者が子や孫を思う心を巧みに操り、金品をだまし取る手口は許しがたいものがある。こういった弱者への詐欺は罰則強化を望みたいものだ。

ふと考えてみると、身近な家族や夫婦間でも、私達は意図的に相手をだます気などないのに方便の嘘をついてしまうことがある。相手を傷つけないために過去の事や本当の事を言わないことがある。だまされた振りをしていることもある。

突発的に自分が置かれている環境や状況が変化することによって、人を騙しり、これまでと違った態度を執ったり、嘘をつくことがある。事実を隠すために隠蔽したり、相手との話を逸らしたり遮ったりすることがある。

国家が誕生した昔から調略という戦術が敵味方を撹乱してきた歴史がある。
近代に於いても覇権渦巻く各国が自国の利益を守るべく侵略戦争をした時代がある。

一般国民は戦前の国家によるプロパガンダ、教育・信仰を利用したマインドコントロール、為政者による情報操作によって真実を知ることが難しかった。

今現在に於いても変わることなく、為政者がマスコミに圧力を掛けて情報操作が続いているような気がする。為政者が国民を一まとめにして国家を統治するには避けては通れない道なのか。隣の国とは違いSNSの世界には自由がまだあるようだ。

このような詐欺する行為、人々(他人)をだまし錯覚させる、あたかも真実でないことを真実であるが如く巧みに信じ込ませる。真実の事実をあえて隠す行為も含まれる。

東京都千代田区永田町商店連合会の詐欺院選挙が行なわれている。

この選挙では「アホノミクス新薬販売継続の是非が最大の争点」だと各商店の親父や従業員が軽トラに乗って色々と叫んでいる。チンドンヤまで繰り出して背中にプラカードを背負って街中を流している始末だ。

商店会会長や執行部をやっている大きな老舗の安倍商店は、アホノミクス新薬の効能・効果を声高に叫んで売りまくっている。

賭け事好きな一部の人には偉い効き目があったらしいが、大半の人には何の効果もなかったらしい。このアホノミクス新薬は幻覚障害の副作用があるらしい。この薬害は国民の三分の二まで感染拡大してしまったようだ。

運の悪い患者には気の毒だが、強い副作用が作用して重篤な患者もでているらしい。この薬しかないと新薬の新薬を投入するのでもう少し安倍商店をよろしくといっている。

山口商店は、安倍商店のグループ店なんだ。だからアホノミクス新薬を売って効能・効果を宣伝して儲けている。この店は振興商品券とか低所得老人現金還元セール、食品限定割引販売など、お客の気を引くばら撒き商売が得意だ。

岡田商店は、アホノミクス新薬に薬害患者が出ているから、即販売中止すべきだと騒いでいる。効き目が弱いがみんなが健康になれる富山の薬、健康増進薬を各家庭に配置するほうがいいと訴えている。安倍商店の強引な押し付け商法も批判している。

この岡田商店は6年前に商店会会長や執行部をやったことがあるんだ。初めが宇宙人と言われたボンボン息子がやったんだが、母ちゃんからの小遣い疑惑で辞めて、次にやったのが薬害にうるさい従兄弟に代わったが、福島減髪事故処理対応がダメ、最後の三人目が訳ありの島を仕入れた親父、みんな商売が下手なうえに従業員同士で仲間割れして店の信用ががた落ちになった。

最初は多くのお客は期待したんだが、失敗した原因を反省しなかった。自己総括して店を立て直し、お客達に謝罪して出直せばよかったのに、最近になって店の看板も変えてしまったんだ。店の方針や従業員の質に問題があることがわかっていない。残念

最近にわかに注目を集めているのが志位商店、この店の商品は以前から個性的で他の店とは一線を画した品揃えだった。ちょっとマニアックな商品が多いが気を引く品ものもある。まあ好き嫌いが強くでてしまう店だな。最近は安倍商店グループが販売している「平和あんこ詰め合わせ」を販売できないようにしようと岡田商店などと連携している。

他に安倍商店から独立した店が何軒かあるが、元々は一緒だから商品に魅力がない。あと一軒あったね。代々頑固な女将が細腕繁盛記みたいに店を切盛りしたが柔軟性に欠けているのか判らないが客が寄り付かない店になった。

各店の奥には、関係者立入り禁止の札の掛かった隠し倉庫があるんだ。どうもそこには各店の秘密にあたる怪しい商品が保管してあるらしい。詐欺院選挙が終わったら様子を見ながら店頭に並べるようだ。みんな身体を壊して食中毒にならなければ良いが。

私のところにも詐欺院選挙の投票所はがきが来たんだが、どこのだれにしようか悩む。隠し倉庫にしまってある商品も見ないと、どの店が信用できるか判断がつかないな。

少子化が進んで年金が減額支給になると食っていけないし、もっと年いって介護が必要になったとき介護保険でサービスが利用できなかったら心配だ。

子供達の労働環境がこれ以上悪くなってほしくないし、孫たちが大学進学するときの奨学金も心配だ。老後のためにと貯めた虎の子の貯金も、国に狙われているし。

とてもじゃないが詐欺商店会に買い物に行く気にはなれないな。この状況が続くと永田町商店連合会も売り上げが上がらないから、さらに悪知恵を働かして新商品を売りつけに来るかもしれない。

スカイツリーだか崖からかパラシュートなしで飛び降りる覚悟で、各商店の商品を吟味して慎重に考えて詐欺院選挙の投票に行くことにしよう。私はだまされないぞ

しかし、このようなブログを公衆の面前に曝したら、戦前なら特高警察が飛んできて逮捕されていた。表現の自由・言論の自由が保障されている現憲法は守られてほしい。
中国なら私は今頃公安に連れて行かれてブログ更新もままならない状態だろう。



雨の日は映画鑑賞とプチ贅沢

2016年06月28日 | 終わった人

今日は朝から雨だ。こんなお天気の日は、 本を読むか TOHOシネマズの映画を見に行くのが一番だろう。映画を見た後は、食品売り場で、焼き鳥・お豆腐(湯豆腐に)・銀鮭塩焼きの幕の内二段弁当(五種雑穀ご飯)・少量のお刺身を買って、今晩はふたりで 乾杯がお決まりのコース。これ年金生活者のささやかなプチ贅沢でよいでわないか。

今日の映画は午前十時の映画祭1995年「午後の遺言状」夏の避暑地蓼科高原の別荘を舞台に、避暑に訪れた大女優演じる森本蓉子役杉村春子、別荘管理人を演じる農婦の豊子役乙羽信子、その別荘にかつて蓉子と一緒に舞台を演じた牛国夫妻が訪れる。

しかし、夫人の登美江役朝霧鏡子は認知症にかかり、一心にその世話をする夫の藤八郎役観世栄夫、老いたジジババ達の人間ドラマでした。

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「終わった人」内館牧子著

2016年06月22日 | 終わった人

久々の本屋に行き、平積みから『 終わった人 』の文字が目に飛び込んできた。私自身の頭の中には『 終わった人 』になった人間なんだという思いがずうっとあった。

社会では、会社が営業活動をやめる時の多くは倒産という形をたどり機能を停止している。経営者と家族はその後の修羅場に身をおかなければならないのが一般的な常だ。どんな経過をたどって『 終わった人 』になったのかなと興味がわきこの本を手にした。

この本に出てくる主人公は真面目な頑張り屋で人のいい性格の持ち主なのだが、残念ながら長年連れ添った奥様に対しては身勝手な結果を招いてしまった。

同年代の私としては共感する部分もあるが、私ならもっと慎重に考えると思いたい気持ちだ。

サラリーマンとしての終わりを告げられ「ジタバタと」あがく姿は滑稽であり、ユーモラスな一面も考えさせられる。

じつに『 生身の人間を落ち着かせる 』ことが難しいか、人生の着地点にソフトランディングさせる事に迷える方には、一読の価値があるのではと思い感想を書いた。


さて、主人公「田代壮介」という人物は優秀な努力の人だった。東京大学法学部を現役合格してメガバンクに入り、絵に書いたようなエリートコースを走って役員への出世競争を競ったが、ライバルとは本人の認識と違った力が働き小さな子会社に出向させられてしまう壮介だったが。

いつかは戻れるかと気持ちを持ち続け奮闘したが、小さな会社の取締役総務部長での転籍を告げられ『 終わった人 』なのだと。。。。メガバンクの中枢で辣腕をふるっていた俺が。。。終わった人と宣告される。

それでも持ち前の優秀さが小さな会社といえどメガバンク子会社の専務取締役まで押し上げ、63歳で役員定年を受け入れ一丁上がりとなってしまった。

花束を持った壮介を玄関ロビーから送り出す退職セレモニー、これは生前葬だなと落ち込んでいくのだった。

学歴やプライドなどというものは誰しもが持つものだ。それがプラスになる事もあればそう働かない事がある。

これから主人公は両方を味わっていくのだが、なまじ学歴・プライドに囚われすぎないほうが、人は幸せになれるのではないかと思ってしまう。

暇になった退職後の壮介は、妻千草との旅行など色々と思い描くが、美容サロンでの仕事に目的があって精を出す妻との間に感情のすれ違いを感じる。

主人公の「老人的なるもの」に抵抗して葛藤しながら行き場をうしなった一人の老人、どうしよもない喪失感に陥ってしまう。

挙句には妻や娘から「恋をしろ」とけしかけられるはめになるほどだ。

一般の多くの人が退職を期に、いっきに自由時間ばかりになる。
やる事がなければ一日中家にいることになる。

これが負担に感じる妻達が多いことか、幸い私達は30年以上24時間一緒の生活が続いたのか、これには当てはまらないと勝手に思っている。

壮介は捨てきれない見栄が邪魔して行き場をなくしていた。
千草の母親の妹の息子、青山敏彦を相手にやりきれない思いを引きずりながら酒を飲み交わすことが多くなった。そのトシからカルチャースクールやスポーツジムに行くことを勧められるが。

壮介はせめて体力だけは維持しなければとスポーツジムに向かったが、そこはジジババのサロンと化していた。

こんな所に入ったら一気に老け込んでしまうと思ったが、インストラクターから「何かやっている人とやっていない人の差」を聞かされ思いとどまる。

私の周りでもそうだが農作業をやって身体を動かしている高齢者には、ものすごく元気な方が多いことは知られている。私達夫婦は畑をやっていないが山の中で暮らし、里山暮らしが身体を鍛えてくれている。

ジムに行かなくても毎日4キロのウォーキングは健康の源泉だ。

午前中のスポーツジムでジジババ達から親しまれているITベンチャー企業社長の鈴木、なにやら得たいの知れない部分がある人との出会いが、更にもう一段深い「終わった人」へと沈むことになっていく処は文字を追いたくなる。

南部高校時代の同級生二宮との出会い、色々な挫折の中から工務店の仕事の傍らでプロボクシングのレフリーをやって、蝶のように舞って夢を追って輝いている二宮に接し、妻の前で愚痴と暗さを周囲にふりまいている「生前葬」の主人公壮介が哀れだ。

銀行員時代に世話になった取引先企業会長の受賞祝賀会に招待されてもいないのに、会場に行き「終わった人」の悲哀を散々味わってプライドを失ってしまう壮介。

一般論として一流ホテルなどで行なわれる祝賀会、記念パーティー、総会など決して楽しいものではない。

そこに招かれ居並ぶ事が己を満足させるのだと彼は知っていたが。

壮介は所属する場がないことへの不安から仕事を見つけようとするが、自分の誇りでもある学歴が邪魔して職探しは失敗に終わる。

散々落ち込んだところで、行き着く先は母校東大の大学院に進学して文学研究をすると周囲に宣言するのだが。

私もかって社会人になってから猛勉強して国家試験を取得した時、精も根も尽き果てたが強い充足感に満たされた覚えがある。学生時代にもっと勉強しておけば良かったものだが、年いってからの勉強は何とも楽しく感じられるのはまた不思議だ。

田代壮介は論文研究の足しになるのでないかとカルチャースクールに行くことになるが、そこで「浜田久里」という三十代後半の受付嬢と知り合いになり、独りよがりのオヤジの恋に落ちていく。

妻や娘から「恋をしろ」とからかわれて偶然始まった思い込みの恋が、最後には中年オヤジにとってチョット甘酸っぱい展開に笑える。

スポーツジムで知り合ったベンチャー企業ゴールドツリー社長の鈴木から会社の顧問に就任してくれないかと懇願される。

破格の条件と再び社会から必要とされ活躍できる事を喜んだ壮介。

主人公が「終わった人」から再び必要とされ社会に返り咲き頼られる顧問に収まっている時が良かった。だが、その三ヶ月後に社長の鈴木が急逝してしまう。

この時点で必要あらば顧問の継続か、ここで辞めるかにして置けばよかったのだが。

社員の平均年齢が三十三歳と若いITベンチャー企業の役員達から「田代さん、確かに六十四歳のジジイをトップに据えるのは、IT業界の逆行。。。僕らで十分やれる自信もあります」 そう言って 「僕たちは、田代さんを利用すべきと考えました」

さらに「田代さんが社長に就いてくだされば、  キャリアに安心したり、  責任の所在をと信頼したり」 極め付きに 「田代さんは業界のプロではありませんので、ほとんどの実務は私たち社員がやります。。。社長が田代さんという効果。。。」 リスクは判っているが

代表取締役社長就任をせがまれる。東大法学部卒だの、メガバンクの王道を行った人だの、散々持ち上げ、トップに立てなかった田代壮介の「社長で会社を動かしてみたい」という願望を見透かした若い役員達のほうがずうっと賢かったのでは。

誰しも弱いところをくすぐられると弱いものだ。

壮介はつねに「散り際千金」を心に刻んできた男だった。

だが、社長として会社を動かすサラリーマン社長ゲームをやりたかったのだ。すでにプレイヤーとして終わった人の苦悩はここにあったのだ。

妻千草から「あなたはサラリーマンとして大成功した人よ、何を今さら、火中の栗を拾うことはない」、「きれいに、あなたらしく散るのは今だと思うよ」と説得されるが。

無言で酒を飲んでいたトシが「壮さん、まだ成仏してないんだよな」とポツンと言った。

小説での田代壮介は、「終わった人」になれず彷徨っていたのだ。人が成仏するには葬式・儀式なるものが必要なのかもしれない。

その葬式は以外に早く訪れることになった。

よく人はやれるだけの事はやったので、思い残すことはありませんと言う。ほんとうに悔いのない人などいるだろうか。

私もこの成仏という言葉を今一度噛みしめたい。

社長就任してから一年後にミャンマーの大口取引先の代金回収が焦げ付いた。さすがの元メガバンカーが奔走したところで信用不安を抑えることができずに、資金繰りに窮して負債総額二億五千万円で倒産の日を迎えた。

当然の結果として、代表取締役社長 田代壮介が負債の全責任を負うことに。妻名義のマンションや開店準備中の美容サロンは守られたが、サラリーマン生活で蓄えた虎の子の老後資金、一億三千五百万円の個人資産が千五百万円になってしまう。

これは現実から乖離した小説だからまだ救われるところがある。小さな会社であれば当然金融機関は不動産担保を取る、連帯保証人を取る。

代表取締役が死んだ場合に備えて生命保険を押さえる。そのために妻にも連帯保証人を取るのが現実で、押さえられるものは全部押さえるのが金融機関だ。

丸裸になって自己破産するか夜逃げあるいは最悪の自殺という結末に。

小説に戻れば、妻が開店準備中だったサロンが、ドタバタの混乱の中で開店し順調にいった。夫婦関係は破綻しなかったが、千草はこれからの老後資金を散財させた夫壮介を絶対許さないと突き放す。

俺は千草をひどいめに遭わせてしまったが、サラリーマンとして成仏できた。。。夫婦が選んだ結末は離婚ではなく、卒婚というかたち。

妻千草は東京で美容サロンを続け、夫壮介は盛岡の同級生と年老いた母親との生活に再出発するために旅立つ。

本を読み終えて、長年一緒に苦労を共にしてきた妻(同志)を、ひどいめに遭わせる事もなく『 終わった人 』になって成仏した自分がいることを心から感謝できるのだった。