台風の接近やら前線の影響なのか毎日朝から雨の日が続く。なにかスッキリとしない。こんな時は、TOHOシネマズの午前十時の映画祭7 デジタルで蘇る永遠の名作選の中から「生きる」を見に行くに限る。私のようなシニアにお勧めの作品ではないか。
ある市役所の市民課長渡邊勘治を演じる志村喬は、役人として喜びもやりがいも実感することなく死ぬほど退屈な三十年という歳月を無欠勤で奉職してきた。
そんな男が、初めて無断欠勤をして病院の診察を受けることに、医者から単なる胃潰瘍だと告げられるが胃ガンであること余命半年であることを悟るのである。
映画はここから始まり、回顧形式で展開されていく。内容は実に簡単な出来事なのだが志村喬の迫真の演技にはただただ脱帽である。黒澤映画はやはり面白いの一言だ。
上手な文章は書けないが思いつくままにあらすじを書いてみた。
生きる希望を失った男は真っ暗な家の中で絶望の淵にたたずんでいた。
そこへ、幼い一人息子を残し早くに逝ってしまった妻の後、後妻をもらわず男手一人で立派に育て上げた自慢の息子夫婦が帰って来た。
息子夫婦は、父親の退職金や貯金を当てにして家を新築して、父親とは別居を相談する夫婦の会話を耳にしてしまう。
生きる支えにしてきた息子への愛情は崩れ、さらなる絶望へと落とされる。
いたたまれず家を出た渡邊勘治は、とある居酒屋で知り合った小説家と語りあうことに、死ぬ前に金を使い果たしたいという言葉に、小説家はくそ真面目で実直な渡辺が知らないであろう女と情欲の混沌の世界を死ぬ前に案内してやろうと飲み歩くことに。
疲れ果てたふたりは、賑やかなとあるダンスホールにたどり着く。
渡邊勘治は、「ゴンドラの唄」をピアノで弾かせる。場の空気は静まりかえり、曲に合わせて歌う『 志村 喬 』の低くゆっくりと響く 『 ♪いのち短し 恋せよ少女 朱き唇 褪せぬ間に 熱き血潮の 冷えぬ間に 明日の月日の ないものを・・・♪ 』
心のそこに染み渡るような唄が、私の心を揺さぶった。
その翌朝、長年愛用した帽子を昨晩、通りすがりの街娼に取られてしまった。
新たに買いたした帽子を被って歩いていた渡辺は、自分の配下である小田切という若い女事務員と出会うことに。
彼女は上司である渡辺の自宅で、市役所での仕事は「死ぬほど退屈でつまらない」、「もっとやりがいのあることをしたい」と訴えて辞職願いに判を迫る。
その後、彼女はオモチャを作る町工場で働くことになる。
渡辺は欠勤したまま五日間、彼女を食事に誘いただ時が過ぎるのを楽しんでいたのだが、若い小田切はしだいにいやになってくる。「 私は必死でオモチャを作ることに生きているの 」と付きまとう渡辺に言い放ち突き放した。
その言葉にはっとした渡辺は、「 死ぬほどの退屈さをかみ殺して、事なかれ主義の盲目判を機械的に押してきた 」自分を恥じた。
渡辺勘治は残り少ない生命の限りを生きてみようと燃えた。
その翌日から市役所に出勤した渡辺は、周囲の目を気にすることなく尋常ならざる目つきである書類を探した。それは、下町の主婦達が家の周りでの低地に溜まる汚水対策を市民課の窓口へ陳情に来たときの書類だ。
今でこそ、「すぐやる課」などと「ワンストップ」でとかお役所仕事も改善されてきたようだが、舞台の市役所は何もしないことを目指しているような、窮状を訴える下町の主婦達を次から次へと課をたらい回しにし諦めるのを待つ。
市民の要望をたらい回しにして追い返す噴飯ものであった。
市民課長である渡辺勘治は、「 命の残り火と戦うがごとく 」、必死の努力が実って市民達を困らせてきた汚水問題は子供達が遊ぶことができる公園にと整備された。
完成した夜更けの雪降る公園のブランコで、一人渡辺はダンスホールで歌った低くゆっくりとした声で、やり遂げた満足感に満たされ歌いながら静かに息を引き取った。
エンディングは市の助役を筆頭に上級幹部、管理職、平職員が集う通夜に始まる。
ここでもよくある人間模様が笑える見どころであろう。