『電気工学』30(8),技能図書出版社,1941-08. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1548143
国立国会図書館の資料を検索していて、上記の資料に巡り合った。東電信濃川水力発電所工事に関する資材輸送の略図だ。
これこそ、私が見たかった図である。私の意見を述べさせてもらうと、私は飯山鐡道による東電信濃川水力発電所工事の資材輸送の関係を解き明かしたくこれまで調べて来たのだし、それを示す資料がこうして見られて最高に興奮している。東電信濃川水力発電所工事で飯山鐡道という鉄路が資材輸送を担っていた事実を図示したものだ。飯山鐡道は東電信濃川水力發電所建設のために敷設された線路である。私は飯山線にそんな歴史的背景があるとは知らず、その出自に興奮した。その興奮と興味から始まった私の”夏休みの宿題”のような個人研究において、これまで私が東電信濃川発電所建設工事における飯山鐡道の材料運搬線としての役割を推測してきた諸々の事柄を総括する程の資料だ。私はこの図を見るために今まで研究を続けて来たと言っても言い過ぎな話ではない。それほどまでに私は興奮している。
最近の私が書いた西大滝及び越後鹿渡の専用線について推測と状況証拠を積み重ねて書いた記事は以下の通りだ。いずれも、大きく的を外していないと自負している。しかし、今回、上記の図という裏付けを得られたのは大きい。
東京電燈信濃川発電所工事材料運搬線 西大滝編
飯山鉄道と東電信濃川発電所 続・鹿渡
【西大滝】
飯山鐵道西大滝驛から沈砂池まで延びている専用線が描かれている。西大滝専用線は桑名川方に半円を描くようにして河岸段丘の高度を克服しつつ取水口・沈砂池付近まで敷かれていたと読み取れる。これは今までいくら推測しても、私は実際に専用線があったのか自信が無かった。特に戦後の空中写真にもそれらしき跡は見えにくく、現地調査でも判別できず、当時の現場の写真を見てもそれらしき線形が判別できなかったからである。こうして当時の資料にはっきりと記載されており、存在したという裏付けが取れたのは大きい。
西大滝専用線は現場俯瞰写真の右上の建物の奥からカーブを描いて右中央付近の資材置き場に至っている線路だ。エンドレスケーブルや砂利採取場の索道が川側に見られ、専用線は山側(飯山鐡道に近い方)である。略図に描かれている各設備の位置からしてそうだと判断する。
【越後鹿渡】
越後鹿渡駅専用線は上線と下線があった。上線は水圧鉄管工事向け、下線は發電所本体工事向けの専用線だ。下線が飯山鐡道の下をくぐっていた様子も略図には描かれており、その暗渠は今でも農道として現存している。發電所最寄り駅としての越後鹿渡駅の構内専用線の範囲の広さが窺い知れる。私は越後鹿渡在住で信濃川水力発電所工事中から運転開始後まで従事した方から鹿渡の上線・下線の証言を得ている。その方の証言から、上線には貨車で直接(分割された)水圧鉄管が運び込まれたり、下線は貨車数両を繋げてスイッチバックで下りていたとの裏付けを得ている。略図には下線のスイッチバックこそ描かれていないが、そこは略図であるから省略したものと捉えている。
戦後の空中写真ですら東電の社宅が立ち並び、上線の痕跡は薄い。工事の最盛期は戦前から戦中であるから、それも納得できる。一方、こうして各種資料を紐解くことでかつて越後鹿渡に存在した専用線、工事の痕跡を示すことができる。