明日はマヤ暦の260日最後の日。
今回の260日間は
世間ではコロナが騒がれたが、
私自身は穏やかな沖縄のくらしのスタートだった。
(それまでの3年間が激動すぎ😅)
今日聞いていたYouTubeで
臨死体験をした方が言っていたが、
「死を覚悟したら、
人は怖いものがなくなる。」
そうだ。
娘が先日、ひめゆり資料館に行って
「この時代の人たちに比べたら、
コロナなんて怖がることじゃないね。」
と言っていたが、本当にそうだ。
私も、2017からの3年間は、
自分もいつ死ぬか分からないと思うことが
たびたびあった。
生きるも死ぬも運命なんだな…と思った。
じたばたしても仕方がない。
2017年の今日のFacebookに
こう書いてあった。
雨降って地固まる
人生楽ありゃ苦もあるさ
人事を尽くして天命を待つ
人間万事塞翁が馬
冬来りなば、春遠からじ
災い転じて福となす
昔から好きな言葉は、なぜか陰と陽を含む。
雨が降ったり、みぞれが降ったり……。
それでも雲の上には
まぶしい太陽が輝いている。
“本当の強さって、
どんなことがあっても前を向けること”
まさに、この頃は、
娘が生きてるのか死んでいるのか
分からなくて、ふと気がつけば、
ドドドーーンと沈み込んでしまいそうだった。
でも、自分が暗くなればなるほど、
他の人やものの輝きを感じて、
世の中ってキラキラしたものが
いっぱいあるんだなと思った。
あの時は、私個人の問題だったけれど、
今は世の中がそんな風な状態に
なってしまっているのかもしれない。
(私の周りでは、あまり感じられないが)
自分が先にそんな状態を乗り越えてきて
言えることが一つある。
そんな時こそ、明るい未来を想像しよう。
想像は創造につながる。
思考は現実化する。
怖い怖いと思っているものは、
必ず目の前にやってくる。
でも、それをじーっと観察してみると、
案外恐るに足らないものかもしれない。
私も娘を失うのが怖かった。
でも、マヤの教えで言うと、
自分のものだと思っているから
失うと言う意識が生まれてしまう。
もともと私のものではない。
だから、失うということもない。
娘は娘の命を生きるだけ。
そう思った時に、
不思議と陰が陽に転じて
流れが変わった。
2020年12月15日からK1がスタート。
それは、新月とも重なり、
どう自分が生きたいか
はっきり決めるのにふさわしい日。
今まで私たちは、
どう生きるべきか……と
周りの要求に従って決めてきたが、
これからは、自分がどう生きたいか
自分の望みに向き合う時。
マヤ暦ダイアリーの初めのページに
「このツォルキン260日の目標は?」
とあり、K1の日に刻印するようになっている。
でも、意外とこれがなかなか難しい。
さて、私の本当にしたいことって
何なのだろう。
明日一日ゆっくり考えよう。
☘️12月14日(月)☘️ 〜マリマヤ便り〜
K 260 黄色い太陽・黄色い星・音13
感謝の気持ちを捧げる日
これまでの流れを受け止め、
今日という日を迎えたことに感謝しよう。
260日を終えて気づきのギフトを
受け取ろう。
K257〜K260
先を争わず、万事控えめに。
まもなく道が開ける。
人を責めたり裁いたりせず、
大きな心で受け止めよう。
従順な姿勢に、人々が惹きつけられる。