この池が岡山藩学跡として現存する唯一の遺構である。
岡山藩藩学は、藩主池田光政が寛文9年(1669)に藩士の子弟教育のために創設した学校である。学校の敷地は、南北202.5メートル(112間半)、東西110.7メートル(61間半)もあり、
南から南門(本瓦葺、薬医門)、はんち(池)、校門(入母屋造り、本瓦葺)、講堂(入母屋造り、本瓦しころ葺、建築面積120坪)、中室、食堂を一列に配して建てられ、東側に文学場5舎、西側に演武場5舎等が配置されていた。
■藩学校は、廃藩置県後の明治4年(1871)7月に閉校になり、その後、明治9年(1876)に岡山県師範学校、同44年(1911)岡山県女子師範学校が置かれ、旧建物は漸次撤去されていった。
大正11年(1922)の史跡指定当時には、講堂、校門、南門、はんち等が残されていたが、昭和20年6月29日の岡山空襲により、焼失した。この池が岡山藩学跡として現存する唯一の遺構である。
平成16年・18年・19年に一部発掘調査が実施され、開学期の遺構等が検出されている。
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