前回に引き続き、澤田祐介先生の「面白医話Ⅱ」より、ダミアン神父とハンセン病のことについて文章を引用させていただこうと思いました
いえ、自分が持ってる本からまとめてみよう……と最初は思っていたものの、澤田祐介先生の文章のほうが上手く短くまとめられているだけでなく、内容のほうも濃いように感じたので(^^;)
>>近代の聖ダミアン
メディチ家の守護聖人の一人は聖ダミアンですが、そう聞けばつい最近(※本の出版年は2001年です)、1995年にカトリック教会によって聖人の仲間に加えられた、もう一人の聖ダミアンのことを思い出します。このダミアンはメディチ家の守護聖人であった聖ダミアンにちなむ洗礼名で、本名はヨゼフ・デ・ウールステルという、1840年生まれのベルギー人です。
時代は18世紀にさかのぼります。太平洋の楽園ハワイ諸島は、カメハメハを王と戴く人々が、多くの島々に穏やかに生活していました。そこへキャプテン・クックが上陸し、日本流にいえば文明開化をもたらしました。でも持ち込んだのは文明だけではなく、多くの病気も一緒でした。西欧諸国のほうは、梅毒は南米からコロンブスによってもたらされたと非難しますが、ハワイ諸島へはこのクック船長一行をはじめとして、以後頻回に訪れることになる西欧人が梅毒を、そして結核、ハンセン病(らい病=レプラ)などの多くの疫病を持ち込むことになりました。これらの恐ろしい感染症に、かつて歴史上一度もさらされたことがなく、耐性のまったくなかったハワイ諸島の人々はひとたまりもありません。1787年、クック船長の上陸した時代には約40万人とされた人口が、19世紀半ばには5万人から6万人に減少してしまったといわれます。
ハワイ諸島でのハンセン病は、ちょうどダミアン神父の生まれた年にあたる1840年頃から大流行を始めました。これに対して時の大王カメハメハ五世は、先進諸国に倣って隔離政策をとることにしました。多くの島々で成り立っている国ですから、隔離場所として選ばれたのは、誰でも思いつく無人の島です。その島の名はモロカイ島といいます。この島はマウイ島とオアフ島の間にある、大きさはハワイ諸島第五の島ですが、周囲を絶壁に囲まれた、いわば映画「ジュラシック・パーク」が作られた島のような、文字どおりの絶海の孤島です。ここに、十分な療養施設はおろか、生活のための住居すら建てることなく、医師も薬もないままに、姥捨て山のように、病人たちは狩られ、集められ、捨てられ、洞窟での生活を余儀なくさせられたのです。老若男女を取り混ぜた、病気に罹っているとはいえ、肉体的、精神的にはまだまだ十分に元気な人々の集団が、二度と故郷の島に帰ることも叶わず、家族と暮らすどころか顔も見られない状況で、将来の希望をまったく絶たれたまま、一生収容されることになったのです。こんな状況の下で、彼らがどんな悲惨な生活を、人間としての尊厳も道徳もない暮らしを営んだことか、想像に余りあるでしょう。ハワイ諸島に伝道に赴いていたキリスト教関係者たちは、このモロカイ島にこそ神の教えを伝える教会を建て、神父を送り込むべきだとは考えていましたが、島に渡り、人々の間に混じって生活すれば罹患は免れず、発病すれば一生その島から出られないとあっては、希望者はなかなか現われませんでした。つい最近(1996年!)までの日本のハンセン病に対する政策や一般の人々の反応を思い出せば、これは決して非難できることではないでしょう。
1873年の5月、当時ハワイで宣教活動をしていた33歳のダミアン神父は、島流しとなったハンセン病の患者たちと共にこの島に渡り、教会を建て、人々の宿舎を一緒になって造り、政府に訴えて医薬品や食料を定期的に支援するようにさせ、人々を導き安心させ、人間としての尊厳と情感を取り戻すべく、たった一人の戦いを始めました。11年後に彼自身も発病し、その5年後の1889年に49歳で亡くなり、その死後、106年後に現教皇ヨハネ・パウロ二世によって聖人の仲間に加えられました。
奇しくも彼が島に渡った1873年は、ノルウェーの研究者ハンセンがらい菌を発見した年にあたります。ハンセン病が遺伝病ではなく、感染症であることが科学的に確認され、広く認められるようになったのは、さらにその20年後、1893年のことです。
(「面白医話Ⅱ~イタリア社会医療文化誌紀行~」澤田祐介先生著/荘道社より)
わたしの持っている「二つの勲章~ダミアン神父の生涯~」には、次のように書かれています
>>「ダミアン神父は、その生涯に二つの勲章を受けた。
一つは人からのものであり、華やかさを伴っていた。
一つは神からのものであり、いたましさを伴っていた。
神からの勲章が、汚れていたり、不名誉なものであったり、世の蔑みを招いたり、病気の形をとったりしているとき、わたしたちはそれが勲章であるとは、なかなか気付かないものである。
だが、彼は、ハンセン病を「神からの勲章」と呼んでいとおしんだ。そして、自らがハンセン病になったとき、やっと本当に、ハンセン病患者の気持ちがわかる、といって喜んだという。
(「二つの勲章~ダミアン神父の生涯~」やなぎやけいこ先生著/ドン・ボスコ社より)
本のほうはダミアン神父の生い立ちからはじまり、家族のことやキリスト教信仰のことに最初のほうで触れられていますが、大体それが一割くらいの分量で、残りの九割はほぼハワイでのことについて書かれていると思うんですよね
その~、いかに幼いとき、若い頃から強い信仰心を持ち、聖フランシスコ・ザビエルに憧れていたとしても、ベルギーから突然家族の元を離れてハワイへ……とか、普通はやっぱりちょっと考えられませんよね(^^;)
それも、現代の日本人が何度も観光で行ったことのあるハワイへ、そこにある教会に仕えるために引っ越す――といったこととも、感覚的に全然違うと思うわけです(ベルギーの家族とも二度と会えないだろう可能性の高いことも含めて)。ダミアン神父はこの23歳の時、まずはオアフ島のホノルルへ到着し、その後ハワイ島へ移り、最初の赴任地であるプナで8か月、その後同じハワイ島にあるコハラという土地へ移って約8年ほど過ごされたということでした。すでにカトリック・プロテスタント双方の宣教師といった人々が入ってきていたとはいえ、新しく教会をいくつも建てたりと、やるべき仕事は山のようにあり、日々夜遅くまで忙しく働くという、ダミアン神父はそのような神さまにある働きに就いておられました。
ダミアン神父の生涯について、「なんか昔のハワイへ渡ってハンセン病患者さんたちのお世話をした人らしいよ。でもその後、自身もそのハンセン病にかかって死んじゃったんだって。『神さまのため』という信仰心に燃えてダミアン神父はずっと働いてきたのに、神さまってなんか意地悪だよね」といった印象を持つ方もいらっしゃるかもしれません。でもダミアン神父自身はその後、ハワイ王朝の摂政リリウオカラニから燦然と輝くカラカウア勲章を戴いても――嬉しかったのは勲章それ自体ではなく、摂政リリウオカラニからの心のこもった温かく優しい手紙のほうだったと言います。
>>ハンセン病と診断された患者たちは、ほとんど毎週のようにモロカイ島に送られてきた。船の時間は決まっていなかったが、ダミアンは必ず岩を下りてきて、彼らの船を迎えた。そして、まだ泣きはらした目をしている彼らに、温かい言葉をかけ、司祭館に連れていってコーヒーを飲ませ、くつろがせてやるのだった。
誰もが、ダミアンの近くに住みたがった。司祭館に行けば、パンも、ビスケットも、コーヒーも、砂糖も、卵も、薬も、包帯も何でも手に入った。プナ時代にも、コハラ時代にもそうであったように、ダミアンは持っているものは何でも、気前よく与えた。もちろん、相手の宗教など、たずねてみようともしなかった。彼の気前のよさにつけこむ者も、あったかもしれない。が、彼は気にしなかった。彼を必要としている人がいれば、何時であろうと飛んでいった。死にそうな人の指のない手を、一晩中さすっていることもあった。こうして、ダミアンは物だけでなく、もっと大切な心も人々に与えたのであった。社会から忘れられた彼らを、それまでそんなふうに扱ってくれた白人がいただろうか?
人々はみな、「カミアーノ」を慕った。(※ハワイの人々はダミアン神父のことをそう発音できず、「カミアーノ」と呼んでいました)。
ダミアンは、嫌がる素振りを少しも見せずに、ハンセン病患者と同じ皿から物を食べた。彼らが血と膿のにじむ手で、取り分けてくれたタロ芋も喜んで食べた。彼らと同じく、床に座って談笑した。ダミアンが常用していたパイプは、ちょっと目を離すと、患者たちが回し飲みをしていることが度々であった。そんなダミアンを見て、ある日、隔離施設の病院を訪れた医師が批判した。
「神父さん、あなたは感染にあまりにも不注意すぎる」
彼だけでなく施設に来る医師たちは、感染を恐れるあまり患者たちには直接触れず、ステッキの先で患者の毛布を持ち上げ、形ばかりの診察をするのだった。ホノルルからやってきた牧師でさえ、ある一定の距離を保ちながら、説教した。
ダミアンは何もいわなかったが、自分のやり方を変えるつもりは毛頭なかった。
(「二つの勲章~ダミアン神父の生涯~」やなぎやけいこ先生著/ドン・ボスコ社より)
島の人々に慕われ、協力者も増えていたダミアン神父ですが、ハンセン病が進行した状態の写真を見ると、本当に痛々しく感じられてなりませんけれど、ダミアン神父はハンセン病に罹患したことがわかった時も、「これで本当にハンセン病の人々の気持ちがわかる」として、喜んでいたのだと思います。普通に考えた場合、「そんなこと、本当だろうか?」とか、「少しくらいは神さまに愚痴をこぼすような夜もあったに違いない」と想像されるのですが、ダミアン神父がこちらの「神さまからの勲章」、永遠に朽ちないイエス・キリストからの栄誉を喜んでいた――というのは、本当のことだったのだろうと心からそう思います。
ダミアン神父は二十三歳でハワイへ向かった時、両親に宛てた手紙に次のように書いていたと言います。>>「その中で、ぼくの心を強く打ったこと。それは、これからぼくたちが行こうとしているハワイ諸島には、以前は四十万もの住民がいたのに、今は五万人しかいないということでした。なぜだと思いますか?白人の持ってきた結核、梅毒、ハンセン氏病といった病気の免疫を持っていなかった人々が、それらの病気にやられて次々に死んでいったからです。こんな恐ろしいことってあるでしょうか?ぼくもその白人の一人であることを思うとき、どうやってその償いをしたものかと、考えてしまいます……」
これはあくまで、わたし個人の想像ですが、ダミアン神父はおそらく、贖罪という言葉を使うのは少し大袈裟かもしれませんが「何も悪くないハワイ諸島の人々に白人のひとりとして償いがしたい」との思いが根底にあり、でも現地の人々にしてみれば、同じ白人でもダミアン神父が悪いわけでもなんでもないのに、何故この人はここまでのことをしてくれるのだろう、いや、出来るのだろうか……といった強い心の繋がりがあったのではないでしょうか。
>>そして、世の人々に大きな衝撃を与えたあの夜が訪れる。
それは、1884年12月のある夜のことだった。ダミアンは、疲れていた。
(熱いお湯で体を拭いたら、さっぱりするだろう)
そう考えた彼は、やかんでお湯をわかした。お湯がわく間、ダミアンは本を読んでいた。だが、つい読んでいる内容に気を取られて、火にかけたやかんのことを忘れてしまった。シューシューという音に気がついたとき、やかんの水はぐらぐら沸騰していた。
「大変だ。やかんのことをすっかり忘れてしまった」
ダミアンは大あわてで火をとめたが、あまりあわてたので手がすべり、熱湯を足にこぼしてしまった。
ダミアンは、はっとした。たちまち足は真っ赤になった。だが、初めの驚き以上の何かが、ダミアンの心を凍らせた。やけどしたはずの足に、熱いという感覚がなかったのである。感覚の麻痺。神経が病原菌に冒されたのだ。これこそハンセン病の、最も大きな特徴の一つではなかったろうか?ダミアンは、水膨れのできた足を、ぼう然と見つめていた。
以前から、ハンセン病の兆候はあった。モロカイ島に来る前から、ハンセン病患者との接触もあった。ハワイ島で顔を近づけて彼らの告解を聞いているときなど、足がヒリヒリするような感じを、覚えたこともあった。
モロカイ島へ来て一年たったころ、足が熱くて、水で冷やさなければ眠れないこともあった。
左足に激痛が走り、パリを登れなくなったりもした。皮膚が乾いて、黄ばんだ斑点が出たこともあった。
この日が来ることは、わかっていたことであった。それでもこのときダミアンは、心を平静に保つ力を神に願わずにはいられなかった。
翌朝、朝のミサの中で彼はいった。
「わたしは、みなさんと同じようにハンセン病患者になりました。わたしはこの恵みを感謝しています。わたしはこれまでも『わたしたちハンセン病患者は』、といってきましたが、これからはもっと確信を持ってそういえます。そしてみなさんとわたしの間の絆は、もっともっと強くなるのです……」と。
施設の医師であるモーリッツ医師は、ハンセン病の専門家であるアーニング医師と二人で、ダミアンを詳しく診察した。そして、ハンセン病に間違いない、という診断を下した。それを聞いて、ダミアンはいった。
「わたしには、格別ショックなことではありません。前々から、そうではないかと思っていました。これは、神がわたしにくださった、大きな勲章ですから」と。
(「二つの勲章~ダミアン神父の生涯~」やなぎやけいこ先生著/ドン・ボスコ社より)
聖書には、>>「財産を、この地上にたくわえてはいけません。地上では、損なわれたり、盗まれたりするからです。財産は天にたくわえなさい。そこでは価値を失うこともないし、盗まれる心配もありません。あなたの財産が天にあるなら、あなたの心もまた天にあるのです」(マタイの福音書、第6章19~21節)とありますが、ダミアン神父はその通りのことを行なった生涯だったのだろうと思います
現代を生きるわたしなどは、「いやまあ、そう出来るのが最善とはいえねえ」とか、「建前上はそうとわかっていても、先立つものがないと何も出来ないのが現実だったりもするし」などと言い訳しつつ生きているようなものですが、ダミアン神父の亡くなられたのは49歳でも、おそらくはそれ以上に濃密な時間をイエス・キリストとともに過ごし、信仰をまっとうする生涯であったのだろうと心から崇敬するものであります
それではまた~!!
惑星シェイクスピア-第三部【14】-
この日、リッカルロはこの件についてマキューシオとティボルトのふたりに相談した。彼としては、誰か使いの者をだすというのでは不十分で、どうしても自分がリノヒサル城砦まで行く必要があるのだと、そう強く主張した。
「リッカルロの気持ちはわかるけどさ」と、ジュリエッタと結婚し、彼もまたすでに二児の父となっているティボルトが言った。「おまえはもうこの国の王なんだから、僕らとしてはそう無理をして欲しくないんだよね。護衛をつけるにしたってなんにしたって、何かと大事になる……かつてのマムシ大臣、マクヴェス侯だって暗殺者を手配する可能性がないわけじゃないだろ?そう考えた場合……」
「が、まあ」と、マキューシオが王の私室にて、大きな口を開けながら言った。彼らは今、議論に熱中するあまり、すっかり遅くなった午餐を取っているところだった。マキューシオはフォークで刺した仔牛肉を、そのまま口の中へと持っていく。「むぐもぐ……使者を遣わして、王都まで半強制的に連れてくるっていうのもなあ。そもそも、らい病に感染する可能性だってあるのに、そんなところへ行く一体どんな用があるというんだ、ええ?」
「あそこには、天上の神リノルの神殿がある」と、リッカルロはどことなく敬虔な口調になって言った。随分長く忘れていたが、よく考えてみれば、聖女リノレネの託宣があったればこそ、自分は迷いなく王座に就くという決断が出来たのだ。「前に……随分以前のことになるが、そこで俺が王になるべきだと、俺は聖女リノレネに言われたんだ。もし俺が王の座を求めず、オールバニ領の公爵でだけいたとしたら、いずれ王となったエドガーかエドマンドと内乱になるいったように言われてな。それで、今こうして無事王座に就くことが出来たというわけだ……そう考えてみてもやはり、俺は天上の神リノルの神殿に対して奉納物を納めるべきという気がする。つまり……」
「そういうことなら、どうやら諦めるしかないみたいだな」断固として最後まで反対するつもりでいたティボルトだったが、珍しく早々に諦めた。味の良いマスカットワインを飲み、溜息を着いて言う。「確かにその口実なら、他の大臣たちも納得するし、国民にも布告しやすいから、王の顧問官として僕も許可をださざるをえないし」
「やれやれ」と、肉団子入りチキンスープをすすりつつ、マキューシオが呆れたように肩を竦める。「許可をださざるを得ないだって?ティボルト、貴様一体何様のつもりだ?まるで、王であるリッカルロさまよりも自分のほうがよほど身分が上の如き物言いじゃないか」
「おまえこそ、どの口が何を言ってるんだかという話じゃないか」と、ティボルトが雉のオレンジソース焼きをナイフで切り分けて笑う。「いつもはおまえのほうがリッカルロのことを差し置いて、まるで自分が王さまだーみたいな物言いをすることだってしばしばだってのに……」
「おっほん、うぉっほん!」と、マキューシオが罰が悪そうに咳払いして言う。「とにかく、王の護衛の費用だなんだ、行った先の宿泊料だなんだ、色々金のかかるのは仕方ねえわな。だが、らい病患者には近づかんよう気をつけてくれ。なんといっても、万一ということがあるからな」
「まったく、俺がもし明日死んだとしても、おまえらふたりが大臣としていさえすれば、この国は盤石といったところだろうな。何、王なぞ確かに俺でなくとも、エドガーでもエドマンドでも良かったのさ。ただあの可愛い弟たちに、賢い家臣に貸す耳さえあれば、リア王朝は今後もつつがなく続いていったろうよ」
もちろん、彼らにはわかっている。エドガーかエドマンドのどちらかが王位に就いた場合、彼らのバックではマクヴェス侯爵が常に暗躍するということになり……その場合においては、すべてがマクヴェス侯爵家の利得を中心に不健全な傀儡政権が誕生することになっただろう、ということは。
とにかく、こうした次第により、リッカルロは王として腹心の部下ふたりに王の空席を預け、護衛の者三百名を引き連れて、リノヒサル城砦を目指すということになった。リッカルロはティボルトに「その半分くらいでもいいのではないか」と言ったのだが、「最低三百名はいなけりゃ、王の威信に関わるよ」などと肩を竦めて言われたため、それ以上「せめても費用を節約したほうがいいのではないか?」とは言わないことにしたのである。
このある意味巡幸といった赴きもある旅は、リッカルロにとって気晴らしにもなる素晴らしいものだったと言える。唯一、親友らや妻や子供らと離れていることは残念であったが、リノヒサル城砦へ至るまで、立ち寄った城、町、村々など、どこででもこの新しい王は大人気であり、歓待を受けていた。「王が来られる」というので、どこの小さな村でも、あるいはそれが城塞都市のような場所でも――通りは一目王を見ようとする見物客で溢れ返っていた。そこで、石畳の道を、あるいは砂埃舞うような通りであれ、手に長槍を持った護衛兵らが王の一行を通すため、町や村の人々を懸命に押しやらねばならぬほどであった。
王の前をゆく騎士も、後ろに従う騎士らも、純銀製かと見紛うほどのピカピカの鎧を身に着け、その上に王家の紋章の入ったリブリー(揃いの服)を着、マントをはためかせていたものである。これらの立派な護衛兵に囲まれていつつも、リッカルロ王の御姿というのは、民衆の目にすぐそれとわかったものだった。無論、王ひとりのみ、周囲の護衛兵よりも一段と格調高い鎧と衣服、それにマントを身に纏っていたということもあったろう。だが、リッカルロは他の兵士らよりも頭ひとつ分背が高かったのみならず、まったくもって立派な体躯を鎧の内に隠していたため――その威厳ある姿というのは、彼がその目の前を通りすぎる時のみ、それまでずっとざわついていた民衆が、思わずしんと押し黙るほどのものがあったと言える。
マキューシオに言わせれば、リッカルロは「場持ちの天才」ということであったが(「その言葉、そっくりそのままおまえに返そう」と彼が言ったのは言うまでもない)、事実彼は自分と食事を共にする者が窮屈な思いをすることがないようにと、いつも通り随分心を配っていたものである。ゆえに、どこの領主も群長官も村長といった立場の者も、あとには「あんなにも王が自分たちのために良くしてくださった」という、感動の思いしか残らなかったようである。
リッカルロはこの道中にも、困った民衆らの問題事の相談に乗ってやり、いくつか解決策を与えてもいた(そうした直訴がいくつもあったのだ)。すなわち、自分の息子の無実を訴える母には恩赦を与え(というのも、それが明らかな誤認逮捕だったからである)、不当に土地を奪い去られた者には法的手続きを取ってやり(これは区画整理といったいかにもなお役所仕事の犠牲になっていたからである)、その他、仲の悪い夫婦はどうやったら仲が良くなるかといった人生相談に至るまで――聞かれたことにはなんでも答えるか、あるいは問題の解決を行く先々で与えていたものである。
さらには、王として貧しい人々に布施を与えていたため、物乞いをしていた者の中には涙を流してリッカルロを伏し拝む者までいたほどだった。とにかくこんな具合だったから、彼は先を急いでいたにも関わらず、結局リノヒサル城砦へ到着するのに三週間ばかりもかかってしまっていたのである。
王の到着の先触れを知らせる使者がリノヒサル城砦へやって来ると、「リッカルロ王は『こちらの状況については前に来てよく知っているため、格別のもてなしなどは必要ない』と申しておいでですが、あなた方としてはそういうわけにもいきますまい。というわけで……」と、この使者は、リノル教の僧侶の責任者であるクリムストールに金貨のぎっしり詰まった袋を与えた。「これで、手に入るだけのよい食料を手に入れ、料理の腕のよい主婦にでも調理するようにしてくだされ」と言っていた。また、彼は引き連れてきた家来に「このあたりで一番良い岩室はどこか」と聞くと、簡易の大広間に見立てたものを飾り立て、王の御寝所もまた、王都から携えてきた最上の羽枕やシーツ、掛布団などで整えていたものである(ちなみに、リッカルロは枕が変わると眠れないといった繊細なタイプではまるでなかったが、この羽枕には鵞鳥や白鳥など、七種類もの鳥の羽毛が使われていたものである)。
リッカルロがリノヒサル城砦へやって来ると、先に進んでいたラッパ手や鼓笛隊が音楽を奏してその到着を告げ知らせ、次に立派な騎士たちの群れ、王を囲む護衛兵……といったように続いた。(民らを恐縮させるだけ申し訳ない)と思ってはじめた巡幸の旅ではあったが、こうして目的地に到着してみると、リッカルロはここへ至るまでの間、いかに民衆が愛国心を持っているかがわかり――一度ならず胸を熱くしたものであった。そして、民衆の幸福な暮らしのためにも、無駄に税を取らずとも彼らが健やかに生活してゆけるよう、これからも国の王として努めてゆかねばならないと、そのようにあらためて心に誓いを立てたのであった。
「まあ、そう畏まらずともよい、クリムストール大僧正殿。俺とおぬしの仲ではないか」
リノル教の僧侶の一団が、白の祭服を身に着けて出てくると、膝を屈める彼らに向かってリッカルロは言い、馬から下りていた。
「俺が王だから、特段何かうまいものを食わせなきゃならんなどと、脅迫的に考える必要もないしな。何分この俺は『口が裂けたなんと醜い男よ』と本当のことを目の前で言われようとも、寛大に赦せる男だ……それを基準に考えれば、多少のことはなんでも許されるだろうくらいに考えてもらってまったく構わない」
「いえ、リッカルロ王よ、決してそのような……ただ、ご存じのとおり、このあたりの者は王がお口に出来るようなものは普段から何も食べていないのが実情でして。そうお考えになって、おもてなしに多少失礼なところがあっても、何卒お許しになっていただきたく……」
以前、リッカルロが王子であった頃も、彼らは彼らなりに王子に失礼なきようにと心を砕いてもてなしたつもりではあった。だが、よもや王になられてから、リノル神殿に供物をわざわざ携えて来られようとは、彼らは今日この日を迎えるまで、具体的に想像したことはなかったのである。
「王子であった頃もご立派であられましたが、王となられてさらに威厳が増されましたな」
「あれからご結婚もされ、すでにご子息にも恵まれておりますこと、心よりお慶び申し上げます」
「我ら一同、日々王のために今も祈っておりまする。また、当然のことながらリア王朝の栄光のためにも……今後ともご健康に恵まれ、世々に至るまで王のご威光が王朝に輝き続けますように」
リッカルロは、以前こちらに滞在した時、親しくなった僧侶らにそのように次々と声をかけられていた。そしてふと、この時彼は思いだしていたのである。(そういえば、この俺が王になるということ以外にも、レイラと結婚して何も問題ないとも、あの聖女リノレネは予言したのだったな……)と。また、そのお陰で王位に就くことのみならず、最愛の女性と結婚することについても、なんら迷うことなく決断することが出来たわけである。
(まあ、今年最後の収穫分の小麦や大麦やその他の収穫物など、ここには誰か権力者がいて、その分け前の一番美味しいところをせしめるといった人物がいるわけでもないからな……ここに住む人間たちで大体のところ、こうしたものは平等に賄われて終わりだとわかっているだけに、もっと多く持ってくるべきだったかもしれん)
実際のところ、リノヒサル城砦は、リッカルロが四年前にやって来た時と、なんら変わったところはないようだった。王子から変わって王になった彼がやって来るということで、以前以上の緊張のようなものが最初はあったが、リッカルロが王としてではなく、あくまでも一個人として相好を崩すと――岩室の住人たちもまた、以前そうだったように、すっかり打ち解けた態度を取っていたものである。
リッカルロ王の城砦へのお成り……といったことは、鋭いラッパの輝かしい音色や、鼓笛隊の太鼓や笛の音など聞かずども、ギべルネスにもディオルグにもキャシアスにもよくわかっていた。三人の中で一番そわそわしていたのはキャシアスで、自分の何かちょっとした言動が王の気に障り、その場で縛り首にされるのではないかと、彼は最後まで心配するのをどうしてもやめることが出来ないようだった。
聖女リノレネの言葉があったからといって、無論、ギべルネスもディオルグも、すぐさま王への謁見を求めたりはしなかった。どちらかというと、そのことを目的にしてリッカルロ王がやって来たのだとすれば、そのように出すぎた真似などしなくとも、向こうからお声のかかるのを待っていたほうがよかろう……といったくらいに思っていたのである。
到着一日目の夜、リッカルロが以前ここへ来て約四年ほどが過ぎていたため、その間にあったことなどを彼は聞くのに忙しく、そもそもここへ来た当初の目的についても、一時忘れ去ってしまっていたのであった。けれども夜、従者たちが壁に張ったリア王朝の紋章旗を見ながら眠ろうとした時、その日一日にあったことを思い返しつつ、記憶を整理する過程で――ふと、命の恩人であるディオルグのことを思い出したわけである。
(そうだ。俺にしても、大広間で共に食事をした人間の数が多すぎて、確かなことは言えないが……あの中にディオルグなる人物はいなかった気がする。それに、西王朝側から三人の旅人がやって来たといった話も、誰もしてこなかったしな……)
とはいえ、修道僧たちはその職業柄、そのような旅の者たちを実は匿っていると言えなかったとしても無理はない。ゆえに、この翌日、リッカルロが『そのような者たちがいると聞いた』と、クリムストール大僧正にでもそれとなく聞こうとした時のことである。リッカルロは、岩室に暮らす住人たちから「何人ものらいの重病人を癒した聖人がいる」と耳にしたわけであった。
「それはもしや、西王朝からやって来た三人の旅人のひとりなのではないか?」と、リッカルロがアヴィラに聞くと、彼女は目を真ん丸くして驚いていたものである。
「ええ~っ!?リッカルロ王子……じゃなくて、王さま、なんでそのこと知ってるの?もしかしたら西王朝からやって来ただなんだっていうことは言わないほうがいいのかなってあたい、思ってたんだけど……」
「いや、いいのだ、アヴィラ。その三人の中のひとりは、小さな頃、この俺の命を助けてくれた命の恩人なのだよ。そこで俺は、実をいうとリノル神殿に奉納物を納めるという口実によって、ここまで巡幸の旅をしてきたのにも近い。それで、その者たちは今一体どこにいるのだ?」
「そうだなあ。ギべルネ先生の衣食のお世話なんかについては、あたいがしてるんだけど……今の時間は先生、診察ってえか、毎日の定期的な回診に行ってるんじゃないかと思うけど……」
このあと、リッカルロはアヴィラの案内で、らい病患者たちのいる岩室のほうへ向かった。だが、その入口のあたりで「アヴィラ、あんた一体何してんだい!?」と、その先に王のことをお通しすることを、断固として反対する人々の群れに止められていたわけだった。
「王さま、この子が何を言ったか知りませんが、とにかくここはお戻りあそばしてくださいませ。もしあなたさまがリノヒサル城砦からお戻りののち何かご病気にでもおかかりになったとすれば、わたくしども、死んでも後悔しきれません」
彼女自身はらい病にかかってはいなかったが、夫がらい病となり、ずっと夫の介護をし、夫が死んでからもここの岩室でらい者たちの介護をしてきたマリアムが、両手を広げてリッカルロとアヴィラの侵入を食い止めようとした。
「んだ、んだ。王さま、ひっかえしてくだせえ。オラたち、きのう城砦の上のほうからリッカルロさまの立派なお姿を見て、みんな涙を流して喜んでいましただ。リノル神殿への巡礼といったようには聞いておりましたが、オラたちのような見捨てられた人間たちのことを今もお忘れになっておられねかったんだって、みんなで感動しておりましただ」
「ですがまあ、もし王さまがわしたちらい病人が癒されたという噂が本当かどうかという、その証拠が見えてってこんなら……んっと、どうしたらいいべな?」
その場にいた三十数名ばかりの者はみな、すっかり平伏していたのだが、ヘルムという男がそのような疑問を口にすると、アヴィラはすかさず怒鳴っていた。
「だからさ、マリアム!あたいはね、リッカルロ王がギべルネ先生にお会いしたいってことだったから、王さまにはこのあたりで待っていていただいて、そいで先生のこと呼んでこようと思ってたわけなんだよ」
「何言ってんだい!!」と、マリアムも負けずに怒鳴り返している。「だったら、王さまにはどこか大広間かお部屋のほうで待っていていただいて、ギべルネ先生のことは誰かに呼びにいかしゃあ良かったじゃないのっ!!」
「ええっと、まあ……そりゃそうなんだけどさあ」
アヴィラが決まり悪そうに頭をかいているのを見て、リッカルロは口許を隠した水色の布の向こうで、愉快そうに笑った。
「いいのだ、マリアム。アヴィラのことを叱らないでやってくれ。むしろ俺のほうが、以前会った者は以前と変わらず元気かどうかと思い、アヴィラに案内してもらおうと思っただけのことだからな」
「えっと、王さまがそうおっしゃいますのなら……」
彼らがこんなやりとりをしていると、洞窟の角を曲がったあたりから、人の群れが割れるようにして通路が出来た。同時に、「ギべルネ先生だ!」、「先生、王さまがギべルネ先生に会いたいとおっしゃっておられるだよ」といったような囁き声が、小さな声であったにも関わらず、リッカルロの耳にもはっきりさざ波のように聞こえてきたわけである。
ギべルネスはこの時、らい病そのもののことではなく、らい病によってではなく、おそらく腹部を癌に冒されている患者のことで頭がいっぱいであったため――リッカルロ王がどうこうという話を耳にしても、すぐその先に王その人がいるとはまるで考えていなかった。
とはいえ、あとにしてみると、それで良かったのだろうと、ギべルネスはそんな気がした。というのも、その場にいた人々と同じく、ギべルネスも遠くからではあるが、王その人の姿を見ていたことで、身なりそれ自体が立派だという以前に――他を圧するようなオーラを放つ高潔な人物の前で、意外にも冷静に膝を折って挨拶することが出来ていたからである。
「私が医師のギべルネと申す者です。私如きに王さまがお会いになりたいと伝え聞き、驚いておりました。もしよろしければ、場所を変えてあらためて御前に参じたいと思うのですが、王のご意向のほうはいかがでございましたでしょうか?」
「あっ、ああ……そうだな。そのう……なんだ。そなた、他にも旅の仲間がおろう?実は、そのうちのひとりが俺の知りあいかもしれぬのだ。そこで、互いに腹を割って話せればと、そのように思ってな。もし何も問題なくば、こちらで俺が仮の私室としている岩室まで三人でやって来てはもらえまいか?」
「はい……必ずそのように致しますこと、このギべルネ、間違いなくお約束いたします」
――こうして、ギべルネスは自分の岩室のほうへ戻ると、服のほうを着替えたりと、なるべく清潔な状態にして、他の者に呼びにいかせたディオルグやキャシアスとともに、人払いした王の私室のほうまで訪ねていくことにした。キャシアスはこちらへ来てから、東王朝の言葉で話すことに徐々に慣れてきていたが、王に自分の言葉が通じないどころか、何か失礼に当たったりはしないかと、そのことを心配ばかりしていたようである。
奥のほうに王の寝所のある、その手前の仮の私室には、表に衛兵がいる以外では、意外にも他に誰も人がいなかった。無論、リッカルロ自身が腕に覚えのある人であったから、並の暗殺者などは返り討ちにされたことではあろうが、それにしてもである。
>>続く。