こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

Run.(ラン)。

2023年02月10日 | 日記

(※映画『Run.』に関してネタばれ☆があります。一応念のため、ご注意くださいませm(_ _)m)

 

 

『Run.』をあなたはルンと読むか、それともランと読むか……いやまさか、リンとは読まないでしょう……なんていうことはどーでもよく、映画の『Run.』を天ぷら☆で見ました♪(^^)

 

 いえ、全然見るつもりなかったものの、トップ画面の真ん中あたりで予告映像みたいのが流れてて……「ちょっと面白そう」みたいに思ったわけです。何より、自分的にとにかくあの青/白半々カプセルの薬剤名がなんなのか知りたいように思ったのが、映画見たきっかけだったと思います。

 

 んで、わざわざこんなふうに感想書こうとしてるってことは、「よっぽど面白かったんだね?」と思われるかも、なんですけど、5段階評価でいったら☆4つっていう感じかなって思ったり。とりあえず、「見て損した」とか、「同じ約1時間半無駄にするんなら、他の映画見りゃ良かった」と思う感じの映画ではないです(自分比☆)。

 

 なんにしても、早速映画感想。映画冒頭にG(全年齢対象)表示があったため、「ああ、じゃあ派手なアクションや流血はなしってことね。まあ、普通のサイコスリラー系ってことかなあ」と思い、少しばかりガッカリ☆。いえ、サイコスリラー大好きですけど、Gってことはそんなに精神的に打撃受ける感じでもないのかなあ……と漠然と思ったりしたもので(^^;)

 

 主人公の母娘は、母がダイアン、娘がクロエ・シャーマンといって、長年に渡って体が不自由で喘息持ちの娘を、しっかり者の優しいお母さんが介護の大変さの中、互いに互いを支えあいつつ生きてきた――みたいな印象です、とりあえず最初のほうを見る限りは

 

 ところが、車椅子生活のクロエがホームスクーリングで大学受験をし、その結果待ちをしていた頃……母娘の関係がおかしくなりはじめました。新しい薬を追加されたことに、ちょっとしたことがきっかけで「おかしい」と気づくクロエ。度重なる母親の妨害その他にも関わらず、クロエはとうとうその青いカプセルの薬が、ラドカインという犬用の筋弛緩剤らしいと知り――真実を知った娘と、「まともそうに見えて、実は精神病だったのか」と疑われる母親との、サイコな攻防戦の果てにあったもの……それは、ふたりが実は血の繋がりがなかったという真実でした。

 

 生後間もなく娘を亡くしたダイアンは、他の赤ん坊の女の子を誘拐し、この子を自分の子であるとして育ててきた。足が麻痺する薬をあえて飲ませ続けてきたのは、何かの拍子に実は血の繋がりがないことがわかった時、そのことをクロエが調べないためでもあったかもしれません。こうして家に閉じこもりきりの薬漬けにしておけば、娘のクロエは自分に依存し、完全な支配下に置いておくことが出来る……もっともダイアンは、最初から冷徹にそこまで計算していたと思える点と思えない点の両方があって、このあたり、母親の心理としては相当複雑なものがあると思う。

 

 おそらく映画見た多くの方が、ダイアンの背中に虐待らしき傷跡があることや、「ようするにミュンヒハウゼン症候群ってやつなんだろうな」ということや、あとはなんとなくグリム童話の『白雪姫』を連想する方も多いんじゃないかな、と単純に思います(^^;)

 

 途中まで見てくると、「頭のおかしいクレイジーマザーに育てられたクロエ、可哀想」、「とにかく逃げて!クレイジーマザーから逃げるのよぉぉォっ!!」としか思えないわけですが、最後まで見ると正直、このお母さんのダイアン、本当は結構頭のいい人なんだろうなってあらためて思いだしたりします。

 

 ホームスクーリングでワシントン大学へ合格できたということは、今の時代はリモートで勉強したり、家庭教師についてもらったりとか、色々出来るにしても――最初のほうの描写見てるとわかるんですよね。ダイアンの勉強面における強力なサポートがあったからこそ、クロエはこんなに聡明で賢い女性に成長したんだろうなあ、みたいに

 

 また、クロエは心臓病や糖尿病も持っており、このあたりに関してもダイアンが与えた薬の関与がどの程度あったのかわかりませんが、足の麻痺のみならず、こうした病気も母親によって「作られた」可能性が濃厚であり……そうまでして娘を手許に置いておきたかったダイアンですが、ワシントン大でも、その他どこの大学でも、独り暮らしをされたりすると、やっぱり何かの拍子に血の繋がりのないことがわかったり、それより何より「寂しい」、「こんなに一生懸命面倒を見て育ててきたのに」その他、病的な支配心理によっても、クロエのことをダイアンは手放したくなかったのだろうと思います。

 

 母親の正常な心理として、「娘が一人前の女性として巣立とうとしている」ことが寂しいというのは、当然誰しも理解できるわけですが、この映画が描いてるのって、おそらくは母と娘の間にある共依存という関係性のことですよね。ダイアンのように、ここまで病的な根を持つお母さんは流石に珍しいかもしれない。それでも少しくらい理解できるところはある。日本でだって、青森でも福岡でもどこでも、「娘が東京の大学へ行くために一人暮らしする」ということになったら――心配で心配で堪らないし、別れる時にはお互いに涙々だろうとも思います。

 

 そして、そうなるとわかっていたら、ダイアンも母親としてクロエに大して勉強などさせず、怠惰な太った子に育つようにすることも出来たはず……なんですよ。でも、ここのところに関しては、ダイアンはどこのお母さんにも負けないくらい、娘の子育てに一生懸命だったのだろうと思われるあたり――心理として複雑なわけです。

 

 わたし、途中まで見てきた時、「これはもしかしてお金が動機っていう可能性もあるのかなあ。障害のあるクロエが大学へ行くのに引っ越すと世帯分離する形となり、何か保険のお金が下りなくなるとか、国からの保障としてのお金がダイアンの元へは一円も入ってこなくなるとか、そういう……」という可能性についてチラリと考えたりしたのですが、とにかく映画の描いているのは母と娘の共依存関係ということなんだろうなと思う。

 

 最終的にクロエはクレイジーマザー・ダイアンの支配を脱し、おそらくはワシントン大学を卒業後、今は義肢を作る仕事に就いているらしいとわかります。また、薬指に結婚指輪のあることから、結婚して子供もいるらしい。そして、その子供が歩いたということを、医療刑務所らしき場所にいるダイアンに語るクロエ。

 

「あんな高いところから落ちたわけだから、死んだかな」と、最初は思われたダイアンですが、ガイコツのような生ける屍のような顔、老いさらばえた魔女のような髪といった様子で、今もまだ生きている。

 

 このラストシーンあたりを見た時……「ダイアン、生きててよかったな」と、自分的にまず思いました。何故なら、あのまま死んだのだとしたら、クロエはダイアンに特に何もしてないにしても、後味が悪すぎますよね。だから、クロエのために生きててよかったなって、そう思ったわけです。

 

 と、ところが……例の青いカプセルがビニール袋に入ったものを口から取りだすクロエ。そして、ダイアンにそれを「はい、お母さん。これ飲んで」というように渡すクロエ……映画のこのラストシーンについては、見た人によって感想が少しずつ違うかもしれません。

 

 単純な見方をした場合、「元は動いた足を麻痺するようにさせられ、長く車椅子生活を余儀なくされたことを思えば、このくらい当然」とも言えますし、元いた実の両親から強制的に引き離され、あったかもしれない「もっとずっと幸福な人生」を目茶苦茶にした張本人なわけですから、そう考えた場合そんなひどい目にあわされても仕方ないのかもしれません。

 

 ただわたし、このラストシーンだけ、いくつも解釈が可能なだけに、ちょっと気になったんですよ。上記のことに加えて、映画見た人が思うのは、おそらくは親から虐待されていたのであろうダイアンの虐待の連鎖が、ダイアンの母親→ダイアン→クロエ……といったように遺伝してしまったのではないか、ということではないでしょうか。

 

 そんで、わたしこのことに加えて、次のように連想したんですよね。『白雪姫』の母親って、最後ひどい仕打ちによって死ぬじゃないですか。あの「焼けた鉄の靴をはかされて、死ぬまで踊り続ける」というラストって、「子供に読ませる童話」として考えた場合……「いくら意地悪な母親でも、何もそこまでしなくても」って思いますよね、普通。でも、心理学者さんの話によると、ああした悪い母親は子供にとって死んでもらわないと困る――みたいに書いてあるのを、昔何かの本で読みました。何故かというと、自分を殺そうとすらしたくらい虐待した母親に生きていてもらうと、またいつ追いかけてくるかわからない恐怖と不安が子供に残る……という話だったと思います(だから現実の世界でも、実の子供を殺そうとするくらい虐待した両親は死ぬべきだ、というよりも、物語の世界で代理処罰的にひどい罰を受けて死ぬことで、子供は「悪いことをしたひどい人間はちゃんと罰を受ける」ことを学ぶ。また、物語の表面的な部分によってではなく、深層心理的部分で虐待された子はこのラストに安心する、みたいな話でした。じゃないと、野放しになった悪い人間が、また自分を虐待したり、悪いことをするかもしれないから)。

 

 さて、クロエはこの白雪姫と同じく、悪い母親、ダークマザーの支配を脱したあとは、やり甲斐のある仕事にも就き、幸せな結婚をして健康な子供にも恵まれたらしく……さらには、元の血の繋がった実の両親とも再会し、今は仲良くやっているらしいとわかります。

 

 いえ、クロエはそんなふうに元母親に「自分がいかに幸せな人生を送っているか」をラストシーンのほうで語るわけですが、そんな「幸せな人生」を送っている人が、何故今も医療刑務所にいるダイアンに会いに来るのか――正直、これが共依存という母娘関係の恐ろしいところでないかと、自分的には思いました(^^;)

 

 確かに、クロエがしているのは最高の復讐法ではあるでしょう。リハビリによって今は杖を使えばある程度歩くことは可能になったらしくても、基本的に移動には車椅子を使っているらしいクロエ……もしあのまま健康な体のまま育っていたら、今自分の人生はどんなだったか、あの優しい愛情深い両親に最初から育てられていたのだったら、自分の人生はまったく違ったものだったに違いない――そのことを思い知らせるために、クロエは嬉々としてダイアンに自分の幸せ談を語っているのでしょうか?

 

 普通に考えた場合、医療刑務所にいるあんな頭のおかしい母親のことは放っておいて、面会になど二度と来ないかもしれません。でも、クロエには「ダイアンが母親だったからこそ得られたもの」と「得られなかったもの」の両方があり、そのあたり、心理としておそらくものすごく複雑なのではないでしょうか。なんにせよ、毎日なるべく美味しいものを三食作ってくれ、その他病気になれば熱心に看病してくれ(病気の中で唯一喘息だけは作られたものでなかったと思うので)、熱心に勉強を見てくれたりと……その他、ダイアンが地域の人々に「娘の介護熱心ないい人」的に受けとめられているらしいことから――ダイアンは、それまでは母親としてクロエにとっても大切な、愛している人だった。たぶん、わたしが想像するに、何かの瞬間にそうした幸せだったこともあった瞬間のことを思いだすことがあり、クロエとしてはダイアンって、憎みきれない人でもあるわけですよね。

 

 それで、こちらの可能性については低いと思うものの……実はクロエがダイアンに語ったことって、嘘である可能性も一応なくはないわけです。そして、それこそが今も医療刑務所に定期的に母親を訪ねてくる理由だとしたら――ダイアンにカプセルを渡すダークな心理についてもよく理解できます(^^;)

 

 ええと、こちらの説を取った場合、実はクロエは今、そんなに幸せでないという可能性がある。実の両親とその後再会したものの、父親はしょうもない飲んべえのろくでなしで、母親は「これが本当にわたしのお母さん?」というくらい太っていて、だらしない様子をしているばかりでなく――家のほうも見ただけでお金に困っているのがわかるような有様で……「こんな人たちが、本当にわたしの両親なの?」というくらいひどくなかったとしても、最初の熱い涙と抱擁のあとは、向こうにはその後三人も子供が出来、クロエとの再会が思ったほど喜ばしい結果を生まなかった可能性もなくはなかったり……もし仮に、ですよ?「気の毒とは思うけど、あんな足の悪い子、今からどう介護していいかわからないわ」、「それに、大学へやるのにだって金がかかるぞ。いくら奨学金があるったってなあ……」などなど、邪魔者家族の一員として、実の弟や妹ともなんの絆も感じられず――その他現実的に考えた場合、問題は山積しているように思われるわけです。

 

 こうして、本当は行きたかったワシントン大学へは結局進学することが出来ず、義肢を作るための資格を取るために専門学校へ通い、一生懸命努力してどうにか暮らしていくことが出来ている……そうした生活の中で惨めさに打ちのめされた時、クロエは医療刑務所にいる元母親であるダイアンに会いに来る。そして、今自分がいかに幸せかについての嘘をとうとうと語り、憂さ晴らしをして帰ってくる――という可能性だって、実はなくもない。結婚して子供がいるのは本当と思うのだけれど、実際にはシングルマザーとして子育てしていて、母親に会う時だけ偽の結婚指輪をして、自分がいかに幸福な結婚生活を送っているかについて語るとか……いえ、「本当に幸せ」で「自分の人生に満足してる」人がああしたことをするとはあまり思えないというのがあって(^^;)せいぜい、一度か二度でもそんなことをしたあとは、自分の卑しさが恥かしくなって、もう二度とこの母親へは会いに来ないのではないでしょうか。

 

 でも、ダイアンはおそらく今、両足が動かない状態なのでしょうし、そのような復讐を継続するためには、クロエは定期的に彼女に例の薬を渡し続ける必要がある――この場合、「自分が今十分幸せな満足した人生を送っている」のに、クロエがそんなことを続ける理由として考えられるのは、この恐ろしい母親の動かない姿を定期的に確認しておかないと、自分の幸福が脅かされるかもしれないと、実は彼女が内心で恐れているため……という可能性のことが考えられると思うわけです。

 

 この部分については、言うまでもなくクロエ自身もまた病気なわけですよね。何分「そのことのためなら、わたしはどんなことでもする」という正統的な根拠がクロエにはあるからであり、でもダイアンだって、やり方はもちろん間違っていたにしても、彼女もまた自分にとって自分なりの「そのことのためなら、わたしはどんなことでもする」という、「幸福を守るため」の彼女にとっての正しい根拠があったわけですから(^^;)

 

 ダイアンは最後、クロエの「幸せ自慢話」を聞きながら、特にこれといってなんの反応も見せません。すっかり頭のほうがおかしくなっているせいかもしれませんが、もし今も少しくらいまともであるのなら、クロエから受けとった薬を飲まないという選択肢だって、ダイアンにはあるはずです。

 

 ダイアンがまだ多少なりまともで、自分が何を飲まされているかわかった上でそうしているのだとした場合、「贖罪という意味も含めて、わかっていて飲んでいる」可能性もあるわけですよね。また、自分に対して毎回する「幸福自慢話」も、「今クロエが幸せなら、それでいいさ」と心の中で思えているのかどうか……それとも、さらには「自分の娘の語る幸福には、時々嘘が混ざっている」とわかった上で、無言でその話を聞き、自分が動かない体のままでいないとクロエが安心できないとわかっているからこそ、言うなりになっているのかどうか……いや、そこまでは流石に考えすぎだなと思いつつ、最後の静かで不気味なスタッフロール見て、映画を見終わったといったような次第です。。。

 

 それではまた~!!

 

 

 


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