(※映画『スワロウ』に関してネタばれ☆があります。一応念のため、ご注意くださいませm(_ _)m)
『スワロウ/Swallow』の意味は、某辞書サイト様によると、
>>ぐっと飲む、飲み込む、(…を)飲み込む、見えなくする、使い尽くす、なくす、うのみにする、軽信する、忍ぶ、抑える。
(Weblio英和辞書さまよりm(_ _)m)
という意味みたいです。
映画のほう見ると、タイトルについても妙に納得してしまうのですが、色々たくさん賞を受賞してるらしいのに、そんなに有名な感じのしない映画……という気がするので、一応天ぷら☆にあるあらすじをコピペしておこうかなと思いますm(_ _)m
>>〃欲望〃をのみこんでゆく――。
完璧な夫、美しいニューヨーク郊外の邸宅、ハンターは誰もが羨む暮らしを手に入れた。ところが、夫は彼女の話を真剣に聞いてはくれず、義父母からも蔑ろにされ、孤独で息苦しい日々を過ごしていた。
そんな中、ハンターの妊娠が発覚する。待望の第一子を授かり歓喜の声をあげる夫と義父母であったが、ハンターの孤独は深まっていくばかり。
ある日、ふとしたことからハンターはガラス玉を呑み込みたいという衝動にかられる。彼女は導かれるままガラス玉を口に入れ、呑み下すのだが、痛みとともに得も言われぬ充足感と快楽を得る。
異物を〃呑み込む〃ことで多幸感に満ちた生活を手に入れたハンターは、次第により危険なものを口にしたいという欲望に取り憑かれていく……。
映画の予告を見る限り、「割と地味目なホラー?」といった印象だったのですが……見終わったあと、他の方のレビューを見て、中絶について女性の自由を訴えたメッセージがあるらしいとわかった次第です(^^;)
わたし、ラスト近くのあの一連のシーンっていうのは、主人公のハンターは異食症を治療するための薬を飲んだけれども、「そうだよね。こうした病気ってしつこいから、そう簡単になかなか治らないよね」とか思いつつ、最後、ハンターのあの決意に満ちた、新しい人生をはじめる顔の表情を見て――でもきっと、彼女は大丈夫だ、これはそういう人生の希望の物語なんだ……とか思って見終わっていたわけです。。。
でも、あの薬が中絶薬だとしたら、確かに物語の意味のすべてが変わってくることがわかって。そもそも、あんなに従順で大人しそうに見える主人公の女性がハンターっていう名前なのも、ちょっと日本人的には「『あずさ2号』関係ないけど狩人?」みたいな感じじゃないですか。でも、スペルわかりませんけど、これは狩られる側から狩る側になった(自己決定できなかった女性が自己決定できるようになった)という物語なんだなってことが、「中絶薬を飲みこんだ」ことによってはっきりわかるわけです。
最初に、羊が狩られて食肉処理されるという、ちょっと残酷なシーンがあって、向こうでは羊=生贄であるとか、羊=イエス・キリストの象徴といった意味があることから、「う゛~ん。意味深だな。このことが何か物語に最後、関係してくるのかしら?」とは思ったものの――ラスト、トイレの中には薬によって流れてしまったのだろう赤い生命が、そしてトイレの色は緑色です。つまり、クリスマス・カラー=キリストの誕生日っていうことなんですよ(^^;)
でもこれはもちろん、イエス・キリストの誕生日を祝ってるという意味ではありません。ハンターがその名の通り、狩る側=男性、狩られる側=女性というのではなく、自己決定権を持つ女性として新たに生まれ変わったことを祝っているのだと思います。そして、ラストのほうで結構長く、トイレに何人もの女性が出たり入ったりしますよね。つまり、それはすべての女性にとってそうあるべきだ……という、そうした意味を表しているのではないかと思われます。
いえ、わたし一番書きたかったのこの部分なので、あとは大体映画見たとおり……とは思うんですけど、必要最低限の表現のみで、ここまでうまくまとめあげてあることに対して、ただ「すごいなあ」と深い感銘を受けたので、一応最初のほうから順に感想書いていこうかなと思いますm(_ _)m
まあ、ニューヨークの郊外でもどこでも、「お金持ちの男性と結婚したけど、籠の鳥状態で実は息苦しい思いをしている主婦の話」って、今までにも色々なパターンで描かれては来てる気はするんですよね。だからわたし、このあたりに関しては「よくある話」というか、日本の皇室の女性が籠の鳥状態から解放されるというストーリーでも映画で描かれない限り、そんなに驚かない設定だなとか思っていて(ひねておる・笑)。
でも、驚きなのはここから。ニューヨークの郊外に一軒家だなんて、一体何億するやらわかりませんが(あの豪邸、十億じゃきかんやろwwとか、見てて思った・笑)、そんな豪邸に住んでいて、一見優しい夫の、その名もリッチー(笑)というハンサムな男性と幸せそうに暮らしているハンター。
彼女が金持ち夫&その両親に囲まれて、控え目な性格ということもあってか、自分の言いたいことを半分どころか三分の一も言えなかったとしても――まあ、「しゃあないやろ。これも金持ち男と結婚した代償やで」くらいなものかもしれない。けれど、自分を抑えに抑えて、「夫の理想の妻」であり続けるストレスから(なのだろうと思う)、とうとう妊娠をきっかけに異食症になってしまうハンター。
最初に飲みこんだものはビー玉。これだって結構驚きですけど、その次にハンターが飲みこんだものは……ごきゅり☆。。。
画鋲ーーっッ!!もはや、「がびょうを飲んでがっぴょんだびょん!!」などというGAGさえ我が脳裏には思い浮かびませぬ。ええと、わたしもすでに細かいとこ忘れてしまいましたが(殴☆)、電池やネジ的なものや、その他命の危険に関わるものを色々飲みこまずにはいられないハンター。
自分的に結構、胎児のエコー検査の時に胃腸で消化されず残っていたのだろうこれらの品が見つかったことで、緊急手術という展開にも驚かされましたいえ、緊急手術になるのは当たり前ですが、検査したお医者さんがどんだけびっくらしたことかと思うと……映画として見る分にはちょっとだけくすり☆と笑ってしまったり(不謹慎ですみません^^;)。
こうして異食症であることが夫のリッチーや彼の両親にもバレてしまい、まずは精神療法を受けることになるハンター。でもまあ、最初は当たり障りのない会話をし、「うちの家族には何も問題なんてないわ。父親は血は繋がってないけど、すごく優しい人で、ほんとに何もない普通の家庭よ」といったように話すハンター。
と、ところが……いわゆるラポール(笑)とかいう信頼関係がカウンセラーとの間で構築され、だんだんカウンセラーの女性に心を許しはじめたハンターは、「本当のこと」を話しはじめます。つまり、自分の本当のお父さんは――母のことをレイプした性犯罪者だということを。けれど、ハンターの母親は地元が宗教右派で妊娠中絶絶対反対という地方だったことから、生むことを余儀なくされた……という、そうした事情だったみたいなんですよね。
ハンターが妹たち、と言ったということは、彼女のあとには最低ふたり以上は妹がいる、ということなんだと思います。でも、両親は妹たちとも分け隔てなく自分を育ててくれた……といったようなことをハンターは口にしていましたが、こののち、「どうやらそうでもなかったらしい」という事実が判明していきます。
ハンターは、姑の提案により、まずは看護師をつけられ、それでも異食症が治らないことから――とうとう出産するまでの残り7か月、施設へ入れられることに。けれど、この看護師さん(シリアのダマスカス出身のいかついおじさんですが、すごくいい人)が逃がしてくれたことにより、籠の鳥というよりも家庭という名の豪華な刑務所から逃げだすことに成功するハンター。
ハンターの夫のリッチーも、彼の母親であるお義母さんも、優しそうだったり、いい人そうであるように見えるものの……なんというか、まるで「今」という時代を象徴しているかのように「なんかこういうのって、これならこれですごくいやだー!!」というのが、さり気ない演出によって炙りだされているところがすごい。
まず、リッチーは厳格そうなお父さんから、同じ会社で何か厳しく試されるといった形で取締役となり、そうした重役をキープし続けるのにも色々な気苦労があるらしいのはわかるのですが……それでいて、妻に対しては妻に対してで、「そうした色々なこととハンターは関係ないのだから」という感じですごく優しい人ではあるらしい。でも、会社の人に妻が異食症であることをバラしたり、カウンセラーを脅して、ハンターが話した内容をほとんど強迫するような形で聞き出そうとしたり……自分がレイプされて生まれた子供だということだけは、絶対夫に知られたくなかっただろうハンター(もし彼女が逃げださなかったとしたら、最初のほうに出てくる羊のように、もう何も生贄として捧げられるものはないというくらい、精神的な肉という肉を削ぎ落とされていたことでしょう)。
さて、夫と金持ち家族から逃げたハンターのその後ですが、どんなに帰りたくない家だったとしても、こうした時、やっぱり頼れるのは実家と血の繋がった家族というものです。ところが、母親に電話をしてみると、「ママに会いに帰ってもいい?緊急事態なの」と聞いたハンターに対して、母親のほうでは「あなたの妹が子供を連れて帰ってきてるの」とか、「部屋がないのよ」といったようにしか答えてもらえず。。。
ガッチャリと電話を切るハンターですが、ここで、映画見てる人にははっきりわかることが。つまり、確かにハンターの両親は彼女のあとに生まれた妹たちと、「分け隔てなく」育てようとしたのでしょう。これは一視聴者であるわたしの想像ですが、にも関わらず、やっぱり目に見えない壁のようなものはあった。「ハンターに罪はない」とわかっていても、レイプした憎い男の血が流れていると思うと、もしかしたら他の妹たちほどにはハンターを可愛がれなかったのかもしれない。また、このような「心優しき」両親が、「実はあなたはレイプされて生まれた子なの」などと、ストレートに話すことはないでしょうから、ハンターは何かの拍子にそのことを知ってしまい、以来自分の存在意義に悩みや不安を持ち続けていたのだろうと……そのように想像されます。
簡単にいうと、酒を飲んでは妻に暴力を振るうという両親の姿を見て育ち、「自分は絶対そんな男とだけはごめんだ」と思っていたのに、気づいたら母親と同じようになっている――という女性がいるように、ハンターもまた、「心優しき」両親に育てられ、結局のところガラスの家庭のガラスを壊すことなく、そっとそこから彼女は去ることにしたのではないでしょうか。ところが、「自分がいたのとは別の、本当に温かい家庭を築こう」と思って結婚したはずなのに、ハッと気づけば優しい仮面をつけた夫や姑らに囲まれ、今はとにかく跡継ぎとなる子/孫の存在のみを生む道具のようにすらなっているハンター(こちらも恐るべきガラスの家庭と思う)。
ハンターが、夫と完全に決別することを決めるシーンは短いものですが、冴えた演出効果によって、「あ、絶対コイツの元に戻ったらダメだ」、「そんなことしたらハンターの人生終わりだ」ということが、映画を見ている側にもはっきりわかります。確か、「おまえなんかうちの金がなかったら何も出来ない」とか、そんなふうに電話を通してハンターは言われていたと思うのですが、携帯を途中で切ると、その後すごく高いだろうスマートフォンを叩き潰すハンター(そして見ている側では、「それが正解!!」と思うわけです)。
でも、実家にも帰れず、例の豪邸を出る時に、多少の現金や、現金に換えられそうな何がしかについては持ってきただろうハンターですが、このままではとにかく行き場が――生き場がありません。そして彼女はここでまた、驚くべき行動に……。
もともと調べてそうと知っていたものか、ハンターは自分の母親をレイプした性犯罪者である実の父に会いにいくのでしたこれまで、どの場面においてでも、自分を抑えて本当の意味では怒りを爆発させてこなかったハンター。けれど、とうとうこの実の父親との対決場面において、「決めるのはわたしよ!!」と、高圧的な立場に立って、実の父を問い詰めるハンター。
実家では、「そんなわたしを育ててくれてる心優しき両親」にはそんな態度を取ることなく、「この人なら」と思って結婚したリッチーにも、「こんな大して取り柄のわたしと結婚してくれた」との思いから、「なんでも彼のことを喜ばせたい」という控え目な態度だったハンター(言わずもがななことですが、彼女が本来は黒い髪を金色に染めているのも、リッチーがブロンド好きなためでしょう)。
けれど、唯一「自分が存在する」原因を作った実の父親に対してだけは――「逆らったらオマエをブッ殺す」というくらいの気迫によって、本当のことを聞きだすことが出来るハンター。性犯罪者であるなんとかアーウィンという男は(すみません。名前忘れました)、その後刑務所へ服役し、出所後何年してからかはわかりませんが、今は結婚して、子供もいる模様。そして、ハンターが訪ねた時、この犯罪者の男性か、同じ名前の子供の誕生日だったらしい。そこにはハッピー・バースディと書かれたケーキがあり、お誕生日パーティが開かれていました
この性犯罪者の子供は、両親から心から愛されていて幸せそうにすくすく育ってるみたいなのに……何故、ハンターはまったく同じ幸福を味わうことが出来なかったのか。自分がレイプされて生まれた子だと知って以降は、さらに輪をかけて自分のアイデンティティについて悩みが深まっていたに違いないハンター。この時彼女はそのすべての怒りをぶちまけるかのように、「それもあれもどれもこれも、全部ぜんぶ、ぜええんぶっ、あんたのせいだっ!!」とばかり、何故母親をレイプしたのかと、アーウィンに詰問してゆきます。
ちなみにこのアーウィン、マッチョ系の男などではまったくなく、体が細くて、ちょっとしたことでもすぐ骨が折れてしまいそうな感じの白人男性で……ハンターに詰問されるがまま、「誇大妄想によって自分を神だと思ってしまった」、「だが、訴えられて刑務所へ入ったことで自分が神でないことがわかった」、「刑務所ではひどい目にあった。今では人工肛門をつけている」……といったように、順に懺悔してゆきます。そして、ハンターにとっては一番重要だったのだろうある質問をします。「汚れたあなたから生まれたわたしもまた、汚れていると思うか」といった質問を。
「自分の行為は恥ずべきものだが、君の存在は違う。君は私とは違って、悪いことは何もしていない」(=君は恥ずべき存在でもなければ、少しも汚れてなどいない)とアーウィンは言い、ハンターは欲しかった答えを得たのかどうか、実の父親の元をこうして去ってゆきます。もし、アーウィンが今もまったく改心していなかったり、自分の罪を認めず自己弁護するような感じだったとしたら――ハンターもまた、彼の家庭をぶち壊すか、あるいは実の父親のことを刺して殺していたかもわかりません。けれど、アーウィンは改心しているようでしたし、自分の罪に対しても認め、十分その償いをしているようでもありました。。。
おそらく、ハンターはこの時点で実の父親が今も存在し、家庭を持っていてそれなりに大変でありつつ幸せだといった人生を送っていることを……『許す』ことが出来たのではないでしょうか。そして、最終的に中絶することを決断することが出来た――という、そうしたことだったのではないかという気がします。
また、ハンターが何故中絶することにしたのか、映画見てる方は(女性は特に)説明されるまでもなくわかることとは思うんですけど……彼女はたぶん、自分が母がレイプされて生まれてきた子だということを知って以降、本当の意味では自分の誕生日を祝えなかったと思うんですよね。両親は他の妹たちの時と同じく、「分け隔てなく」誕生日パーティを開いてくれ、プレゼントも贈ってくれたかもしれません。けれど、人生がつらい時にはすぐ「自分なんて、母が中絶して生まれて来なければよかったんだ」と、自分の存在意義の根幹が揺らいでいる女性って、そもそも普通の人以上に物凄く不安だと思うので。「こんなわたしが母親になって、本当にいい親になれるのか、子供にとってのいい母親になれるのだろうか。それじゃなくてもこんな、異食症なんていう、自分でもコントロール出来ないものになっているのに……」その~、この映画が描いているのって、そうした「人には色々な事情があるのだから、中絶するか否かは子供を生む女性にその選択が委ねられるべき」ということを、説教くさくなるでもなく伝えようとしている映画だということですよね。
「生んでしまえば結構なんとかなるもんだよ」とか言えるのは、十分理解のある家族に囲まれていたり、自分のアイデンティティにそれほど危機感を覚えず、割と健康的に育った女性ならそうかもしれないという話。そうした意味で、ハンターは四面楚歌であり、もし子供を生んでしまった場合、結局のところ夫のリッチーや彼の両親にあの手この手で訴えられ、親権を取り上げられてしまう可能性が極めて高い。何分、相手はただの金持ちどころでない超のつくスーパーセレブ。法廷で争った場合、まず勝ち目はありません。けれど、ハンターは土まで食っているほどの、ある面においては異常なまでに強い女性でもある。きっと状況が違ったなら、ハンターもいいお母さんになることは出来た。でも、あの旦那さんと両親に囲われつつでは絶対無理……けれど、彼女はひとりの人間、女性として今はもうすでに豊かな土壌を持っているから、これからは何かクリエイティヴな方面でも、あるいはなんにせよ自分を活かしてすくすく大きな樹木を成長させていけるに違いない――と、ハンターがラストのほうで着てる緑色の樹木のデザインされたトレーナーを見て思いました。。。
残りの部分はこの拙い感想文(?)の最初のほうに戻る、といったところですが、なんにしても、見る方によって見方や意味は少しずつ変わってくるかもしれませんので、これはあくまで「わたしはそう思った」程度の感想なのだと思ってくださいね(^^;)
それではまた~!!
↓まったく深い意味ないのですが、この文章書いてる時、偶然ラジオで『あずさ2号』がかかってちょっとびっくりしましたただそんだけの話なんですけど、貼っておこうかと(笑)。