こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

空がすき!

2021年07月31日 | 日記

 

 青い空が大好き。陽気な歌声とともに天才サギ師がパリにやってきた!!

 

 ――と、わたしが買った版の表紙にはあります。現在の価値観と照らし合わせた場合、主人公のタグ・パリジャンが天才かどうかは疑問が残りますが、彼がサギ師であることは間違いないようです(笑)。

 

 というか、そんな野暮な話はどうでもよく、とにかく面白かったです!ただ、わたしが竹宮先生の漫画を読むのは、とにかく例の大泉問題(?)に関連してのことですので、本のストーリーや登場人物のここが良かったとか、物語としてこのあたりが素晴らしかったといったことにはあまり触れません。すみませんm(_ _)m

 

「風と木の詩」→「地球へ……」→「竹宮惠子SF短篇集①告白」……と読み進めてきましたが、今回は「空が好き!」です。何故、4作目の作品として本作を選んだかと言いますと、「少年の名はジルベール」に言及があるということと、もうひとつ、自分的に気になることがあったからです。

 

 

 >>竹宮先生が『空がすき!』というパリの少年の話を描いたのも、1971年初めの頃です。

 

 私も楽しく読ませてもらいましたが、主人公が急に友人の首を絞めて殺そうとするシーンがあり、そこがよくわかりませんでした。

 

「首を絞めて、殺そうとする?これは殺人だよね?」と聞くと、二人は、「いいえ、これが愛なのよ。殺される方も愛だとわかるからそれを受け入れるのよ。これが少年愛なのよ」と言ってました。

 

 う~ん?私にはわからないけど、深遠なものがあるのだなあ。やっぱり私には複雑すぎて無理だなあ、と思いました。

 

(『一度きりの大泉の話』萩尾望都先生著/河出書房新社より)

 

 

 ――>>「首を絞めて、殺そうとする?これは殺人だよね?」……は、萩尾先生、か、可愛いでも、当時はまだ1971年頃のことですし、「え~と、これはどういうことだろう?」と萩尾先生が疑問に感じたのも無理はないかもしれません(笑)。

 

 自分的には、問題児らしいジュネくんが、タグに首を絞めるよう迫る気持ちはなんとな~くわかる気がしましたが、そうなのです。このシーンを確認するためというのが、わたしの『空がすき!』を読もうと思った最初の理由でした

 

 どういうことかというと、『残酷な神が支配する』にも、イアンが主人公のジェルミの首を絞めようとするシーンがありますよね?ですから、このふたつをどうしても比較してみたかったのです。もちろん、盗作とかそういうことはまったくありませんでした。ただ、『ガラスの迷路』に出てくる11人の生徒と庭の11個のオブジェ――前に別のところで書いたように、この<11>という数字が引っかかって、次に『11人いる!』を注文してすぐ読みました。こちらも、特に共通点らしきものはないのですが、『ガラスの迷路』って好き・キライで言ったらわたし、間違いなく好きとはいえ(笑)、とりあえずお話のほうに整合性はないと思うわけです。一方、『11人いる!』は、<11>という数字に完璧なまでに物語の意味がこもっている作品です。ゆえに、この首絞めシーンに関しても……萩尾先生は「どうしてここでタグはジュネの首を絞めるんだろう?わっかんないわあ」といったように、ずっと疑問を持ち続けておられたのかな……と思ったんですよね。=「一方の男の子がもう一方の男の子の首を絞めるとしたら、どんなシチュエーションであれば『これなら首を絞めるのも無理はない』ということになるだろうか」といったように。

 

 とはいえ、これは無意識の海に溺れて忘れていたのが、フッと再び浮かんできて、「これならばイアンがジェルミの首を絞めるのもわかる」、「そしてジェルミがそれを受け入れようとするのが何故なのかも……」といったように、萩尾先生の中では解決がついた、そういうことだったのかな~なんて(^^;)

 

 まあ、この謎さえ解けてしまえば、わたしにとって『空がすき!』という作品は、すごく面白く読める作品だったと思います。というか、てっきり文庫本的なのが送られてくるかと思ったら、意外にも大判サイズのものが届いて驚きましたでも、こちらのほうが読みやすくて良かったと思うのと同時……竹宮先生がいかに続く後輩漫画家さんたちに大きな影響を与えたかが実感できる作品でもありました。

 

 そして、当時(たぶん21歳くらい)の若さでこのくらい描けてしまう画力とストーリーセンスを持ち合わせていたのに、にも関わらず萩尾先生に嫉妬やコンプレックスを感じておられたのかと思うと――萩尾先生に対するのとは別の意味で胸が痛んだというか

 

『空がすき!』は第1部と第2部とがあるわけですが、第1部のほうは、ミュージカル的要素を入れるなど新しい手法を取り入れたことから、もしうまくヒットすれば続編もあるかも……といったように考えて、竹宮先生も筆がノっておられたと言います(『恋のノックアウト』サイコー!!)。でも、実際のところは連載中の人気というのはイマヒトツと判断されて、予定通りの10回連載で終わってしまったとのことでした。。。

 

 ところが、連載終了後の反響が大きくて、その翌年に第2部が開始されることになったということなんですね。竹宮先生曰く、

 

 

 >>ファンの要望に応えるようにして、『空がすき!(第2部)』を描き始めてみたが、第1部のような熱意では描くことができず、絵も硬くなっていて自分でも不満だった。連載しながら読み切りを次々入れていったのは、焦りもあったのだと思う。このころは仕事に入るたび、増山さんに相談しないと描くことができなかった。相変わらずの試作品のような、不安定な作品を積み重ねている。

 

(『少年の名はジルベール』竹宮惠子先生著/小学館より)

 

 

 とのことなのですが、読み手からしてみると、そんなふうには全然感じませんでした。確かに、第1部のほうがミュージカルっぽい躍動感は強く打ちだされているように感じるものの――第2部のほうは第2部のほうで面白いです新しいキャラクターも登場して、第1部より物語的にはより作り込まれているような印象を受けたくらいでした。

 

 ただ、第1部にある竹宮先生的読者に通じてほしいポイント……タグのジュネに対する首絞め後の人工呼吸的キスというのは――すみません、わたし的には割とサラッと読み流してしまう感じだったかもしれませんwwようするに、ジュネっていうのは、そういうおイタをする悪戯っ子なんだよ☆ということを示すエピソードなのかなあ……くらいな感じで読んでたので(^^;)

 

 そして、第2部のほうでジュネは男子寄宿舎に入っているのですが、男子寄宿舎の描写としては、そんなに本格的じゃないかな……といった印象でした。よく考えると、萩尾先生の『11月のギムナジウム』は1971年発表なので――『空がすき!』の第2部が1972年発表であることを思うと、少し不思議な気もします(でもまあ、物語の主な舞台は男子寄宿舎の外ですしね)。

 

 ええと、この『空がすき!』の第1部と第2部って、ちょうどこの間あたりで竹宮先生は萩尾先生にあまり関わらなくなっていった(ちょうどこの間に『11月のギムナジウム』が挟まってるせいもある)……その境があるように感じるんですよね(^^;)

 

 第1部のほうには、「OIZUMI SANNINMUSUME」として、モーさま・ノンたん、ケーコタンがちらっと出てくるコマがあったりして、楽しげなんですけど……言うまでもなく第2部のほうではゼロです(でも、萩尾先生はこのあたりのことに気づいてないので、『精霊狩り』の2番目のお話である「ドアの中の私の息子」を描いたりされてたのではないかと)。

 

 ところでその後、当時(1970年代)十代で、萩尾先生・竹宮先生双方のお話が大好きだったという、ファンの方のこの件に関する記事を読んだりしました。わたしは当時をまったく知らないので、「あーではないか、こーではないか☆」と無駄に頭を悩ませてしまうわけですけど……当時のことを時代感覚含めご存知のファンの方にとっては、「なんかあったんでない?」くらいのことはなんとなーく察せられていたそうです。

 

 そして、当時は萩尾先生に対して『ポーの一族』を巡るブームっぽいものがあったらしく、そのあたり、萩尾先生は極めて謙虚に静かな感じで『一度きりの大泉の話』の中で書かれているため……まあ、当時を知らないわたしなんぞはイマイチよくわからないんですよねでも、そうしたブームがちょっと尋常でないものだったと書いてあるのを読んで、ようやく少しわかった気がします。。。

 

 竹宮先生が持っていたという<嫉妬>っていうのは、誰もが持っているレベルの、ある意味普通のものだったっていうことなんだなって。『少年の名はジルベール』を読んだ時も、「そもそも、これだけ才能のある人がなんで……」というか、「萩尾先生に引けを取らない画力があるのにどうしてだろう?」みたいには直感的に感じてました。でも、編集者のYさんが「一つ屋根の下に作家が2人いるなんて聞いたこともないよ」と言い、「そんなの、やってみなくちゃわかんないじゃないですか」みたいに答えた竹宮先生。

 

 確かにそうですよね。ふたりいるうち、どちらか片方が物凄く持てはやされるような立場になり、もう一方がその陰に入るかもしれない……だなんて、そんな可能性のことは、最初は思い浮かびもしなかったわけですから。

 

 萩尾先生が書いておられた>>「私の鈍感さに呆れられた方もおられるでしょう」というのは、そうした意味もあったのかもしれません。そんなふうに注目を集めつつあり、ヒット作をだした萩尾先生に比べて、自分にはまだ代表作と呼べるものがない――また、ヒット作になりそうな予感を持てる『風と木の詩』はなかなか発表の機会を与えられず、そんな中で萩尾先生が男子寄宿舎ものを描いたとなったら……これはもう完全に袂を分かつ以外、竹宮先生としてはなかったのかもしれません。

 

 あと、『少年の名はジルベール』にあった、上原きみ子さんの元にYさんが修行に行かせたという理由が、自分的に『空がすき!』を読んで、なんとなくわかる気がしました(笑)。わたし、当時の少女漫画事情についてはわかりませんが、上原きみ子さんのことは漫画家さんとして小学生くらいの時、大好きだったのですですから、当時細川智栄子さんと並んで看板作家だったという上原きみ子さんの後を継げるくらい「化ける」可能性があると、竹宮先生は見込まれていた。そして、竹宮先生のほうでもそうしたYさん他の編集者の方の「期待」を感じていたでしょうし、その期待に応えなくてはと思う反面――ここがちょっとツライところで、竹宮先生はそれまでの「普通の少女漫画」に疑問を感じ、少年愛を描くことによる革命を目指していたわけですよね。だから、そこのところでなかなか折り合いがつかなかったというか(^^;)。

 

 後付け的な(あとからであれば、どーとでも言える☆)意見を言うとしたなら、たぶん、『風と木の詩』を発表できる一番の早道は、竹宮先生が一番キライな王道的少女漫画を5~6作ほども描き、編集者が作品に文句をつけなくなってきたあたりで「こうした少年同士のものを好む女の人が実は結構いるんですよ(にっこり☆)」と言って売り込み、「これ発表できないんだったら、他誌にいっちゃおっかな~」なんていうふうにチラつかせることだったんじゃないでしょうか(笑)。

 

 まあ、竹宮先生のあの線やキャラクターで普通に王道ラブコメをやられていたら、わたしなぞはたぶんイチコロだったと思うのですが……「それだと描いてて全然おもしろくないのっ!」という竹宮先生であったればこそ、回り道した分の華やかなその後があったということなのかな、なんて思います(^^;)

 

 それではまた~!!

 

 

 

 

 


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