こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

ロンド・カプリチオーソ。-氷の旋律-

2022年02月11日 | 日記

(※羽生選手に関することは一行も出てきません。あと、若干腹の黒い記事ですので、一応ご注意くださいませm(_ _)m)

 

『ロンド・カプリチオーソ』、ようやく読ました♪

 

 

 >>新しい暮らしを始めた1973年という年は、2回の週刊誌連載の機会を与えてもらい、それぞれ『ウェディング・ライセンス』(『週間少女コミック』20週)、『ロンド・カプリチオーソ』(『週間少女コミック』22週)の仕事をこなしたけれど、読者の人気はそれほどではなかった。

 

 連載二つのうち、『ロンド・カプリチオーソ』は、締切を守れず、青色吐息で描き綴った連載だったが、自分が考えてきたようなストーリー展開が多少は可能になった作品だったと思う。スケートの天才である盲目の弟を北欧の奥に隠して、自分はスケート界の第一線で活躍する兄の葛藤を描く物語。

 

(『少年の名はジルベール』竹宮惠子先生著/小学館より)

 

 >>その頃私は自分の行く末が定まらず、紆余曲折をしていました。スランプかもしれない、と思ってから3年近くになります。多分、私は出版社が連載要員として獲得した漫画家なんだろうな、って思うんですね。連載で人気を取ることができるだろうと見込まれたわけです。

 

 しかし1973年から小学館の「週間少女コミック」に連載した、フィギュアスケート選手兄弟の物語『ロンド・カプリチオーソ』は、弟の才能に嫉妬する兄を主人公にした物語で、萩尾さんへの嫉妬や劣等感を叩きつけたような作品でした。自分でもあまりできが良いとは思えませんでした。

 

(『扉はひらく いくたびも』竹宮恵子先生/中央公論新社より)

 

 とあったことから、必ず読みたい一冊に入っていたものの、『変奏曲』同様、どの版にしよう……と思ってたというのがあって、読むのが遅くなってしまったわけです(^^;)

 

 いえ、結局読んだのは電子書籍版でした。文庫版のほうは、必ず1巻の最後のほうに作者先生のあとがきというか、そうしたページがあるみたいなので、こっちにしようかと迷ったものの――某サイトさまで無料ポイントをいただいたため、それ使って読んだといったような次第です

 

 でも、電子書籍版の最後のほうに、クロッキーノートより……といった形で、設定などが少し書いてあって、自分的にはこのページが結構収穫だったかもしれません。というのも、1巻のほうのこのページに、>>「知らないで人を傷つける罪の大きさについて。知っていて傷つける」とあり、この言葉と、「萩尾さんへの嫉妬や劣等感を叩きつけたような作品」という言葉を合わせて『ロンド・カプリチオーソ』という漫画を読んだ場合――読んだ方が萩尾先生よりのファンの方でも、竹宮先生派のファンの方でも……どっちにしても何かこう、苦しい感じがしてしまいます

 

 あらすじのほうは、アルベルとニコルという兄弟スケーターがいて、本人も現役だった頃は有名だったらしいお父さんが、このふたりにスケートの手ほどきをして、ふたりはそれぞれスケーターとして成長してゆくわけですが……お父さんが「天才」であるとして特に目をかけているのは弟のニコルで、そのことを知ったアルベルは当然ショックを受けます。

 

 もちろん、アルベルも幼い頃より賞を受けるなどしており、そのスケートの天分は誰の目にも明らかではあるのですが、弟のほうがスケーターとして頭角を現してきた場合、自分よりも上をゆく才能を発揮し、人々の注目を集めるだろう――といったことがアルベルにはよくわかっている。そこで、アルベルは弟への嫉妬に苦しむようになるわけですが……ここで、悲劇的な交通事故により、アルベルとニコルの両親、アスツール・フランシスとシルビア・フランシスはともに死亡。一緒に車に乗っていたニコルは、一命は取り留めるものの、目が見えなくなってしまいます。また、ニコルは前から心臓のほうに病気を持っていて、こうなってはもはやスケートなど……といった状態でもありました。

 

 アルベルは北欧の田舎にニコルを隠し、信頼できる使用人の老夫婦にその面倒をまかせ、自分はかねてよりそうと望んでいたとおり、スケートの大会へ出場し、「スケート界の帝王」の名で呼ばれるまでになるものの……というのが途中までのあらすじですが、わたし、『ロンド・カプリチオーソ』で一番気になったのが実は結末なんですよね(^^;)

 

 >>「萩尾さんへの嫉妬と劣等感を叩きつけたような作品」とあることから、アルベル=竹宮先生、ニコル=萩尾先生ということになると思うのですが、「少女漫画らしい展開による結末」を求められた場合、やっぱり複雑な感情を抱きつつも、兄弟はやはり「ぼくたちは愛しあってる」として、涙を流しながら和解する――たぶん、単純に考えたらこうなるのが自然と思うわけです。でも、『ロンド・カプリチオーソ』が描かれたのって1973年から1974年にかけてで、例の盗作疑惑が起きてしまってのちの作品……ではないかと思うわけです。

 

 以前、竹宮先生が大泉解散後も暫くは萩尾先生への嫉妬を引きずっていた――みたいにインタビューか何かで読んだことから……『ロンド・カプリチオーソ』はそうした時期の漫画でないかと思われ、その竹宮先生の複雑な心中が窺える作品のような気がしたり

 

 つまり、作品の結末としてはアルベルとニコルが兄弟としてひし!と抱きあって終わるというのではなく、フランシス兄弟はあくまで別々の道をゆき、ニコルは盲目の身であるにも関わらず出場したスケート大会のあった一年後に亡くなるという、そうしたラストでなかったかと思います。もちろん、この一年の間にフランシス兄弟は和解したのだろう――といったようには、読者的に十分想像はできます。ただ、そうしたシーンについて竹宮先生は当時(※あくまで当時)描きたくなかったんじゃないかな~と、そんなふうに思えてしまうというか(^^;)

 

 あ、意地悪とかでそう書くのではないのです。『真夏の夜の夢』もそうだと思いますが、弟が天才だったり完璧だったりして、竹宮先生がご自身を投影させてるお兄さんの描写として――心臓に矢が突き刺さっていて、そこから血が流れている描写っていうのがあるんですよ。そのコマを見ただけでも、その頃竹宮先生が色々な意味でどれほど苦しくつらかったか……という、その傷跡について思うと、「この件についてはもう誰も何も言っちゃいけない」といった気持ちにさえなります

 

 こうした色々なものを背負わされたアルベルの苦しみを、弟であるニコルは知らない……そして、萩尾先生がそうであったように、そのことが多少なりともわかった時には、萩尾先生も傷ついて苦しんだ――ということではないかと思うわけです

 

 その~、ニコルは最後のほう、ちょっと孤独と思います。いえ、さらにその後、ある女性と恋愛して結婚し、幸福のうちに息を引きとったということではあるかもしれない(あと、この物語の語り手が最後の最後でルパート・ウェブスターという青年であると明かされていて、ヴァイオリニストの彼とも親しい友人になったらしい)。一方アルベルは、ニコルが淡い恋心を抱いていたマチアと結婚し、ニコルはそのことにもショックを受け……それまでは盲目で長く生きられないということもあり、外の世界の汚いものをほとんど知らずにいたニコル。でも、アルベルから離れるということは――世の中にはそうしたものもあると知り、どうにか受け入れるなどして対処していくということを意味している。

 

 ええとですね、自分的にはこういう象徴でもあるのかな……なんて、少しばかり余計な想像をしました。萩尾先生ってたぶん、竹宮先生の目から見て、「世間の汚れを知らぬ、箱入りのお嬢さん」みたいに見えるところがあったのかもしれない、と。その上、天才としてちやほや(?)されているけれど、自分がその影でどんなに苦しんでいるかをモーさまは知らない……というか。

 

 そうした苦しみを叩きつけた作品であったとすれば、作品の一連の流れについては、「普通ならこうなるところが何故自然な流れに逆らう形になっているか」については、いちいち納得できます。あと、ニコルは最初からお母さんに似て体が弱く、心臓が悪いことから……長生き出来ないらしい設定なのはわかってるので、そこに竹宮先生の意地の悪さを感じるとか、そうしたことではまったくなく――ただわたし、萩尾先生の作品内で自分的に勝手にそう読みとっているように、これも<創作的死亡>ではないかとは思いました。

 

 べつに、相手に本当に死んでほしいとか思ってるわけではまったくない。ただ、恋人同士でもそうであるみたいに、別れてしまって相手と関係性がまったくなくなるか、時々向こうから連絡は来るんだけど、それすらも実はうざいと思っている……といった場合、主要な登場人物でなくても、その人物を投影させた脇役などに死んでもらうというのはよくあることだと思う(わたし的に、アガサ・クリスティはこれを結構やってた人ではないかと思ってる・笑)。

 

 また、この時の竹宮先生にとっては、「そうでもしないと前へ進めない」といったこともあったのではないかと思うんですよね。ただ、わたしが『ロンド・カプリチオーソ』読んで若干懸念したのは――解釈次第によって物凄く悪くとられる可能性もあるんじゃないかなっていうことだったり。竹宮先生はもちろん、萩尾先生が目が見えなくなって漫画が描けなくなればいいのに……とか、心臓病か何かでこの世を去ってくれないかしら……なんて思ってたわけではまったくない。でも、>>「萩尾さんに対する嫉妬と劣等感を叩きつけたような作品」なんて一言書いてあるだけで、悪いほうに誤解したい方にとっては、そんなふうに受け止められる可能性がなくもないんじゃないかな……っていう。

 

 そうではなく、『ロンド・カプリチオーソ』を読んでわかるのは、「相手に悪気はなくても自分はこれだけ傷ついた」という傷の深さ(またここには、相手に対して「本当に悪気がないのだろうか?」、「実はそう見えるだけで、向こうは自分の嫉妬やコンプレックスに気づいているのではないか」……といった疑念も含まれる)、ニコルが大会に出場して転んだら、むしろ自分は喜ぶのではないか、その時高笑いしている自分の声が聞こえそうだ――というくらい、可愛い弟を愛する一方、弟の天才スケーターとしての才能は愛することが出来ないという、ふたつの感情の間で引き裂かれる竹宮先生自身の苦しみではないかと思う(というか、とりあえずわたしはそう思ったし、また、そんなことも今から50年以上も昔のことですよ、という話)。

 

 いえ、わたし萩尾先生云々ということを何も知らなくても、たぶん『ロンド・カプリチオーソ』については「話の流れや展開が不自然」と思った気がするのですが……でも『ロンド~』は、竹宮先生のファンの方の間で評価が高いみたいなので、きっと竹宮先生が苦しんだ分については、ファンの方が熱烈なファンレターを送ってくださったりして十分報われていたんじゃないかな……なんて、勝手に想像したりします

 

 さて、例によって純粋な作品評価ではまったくなかったわけですが、とりあえずわたし、『もうっ、キライっ!』って作品と『20の昼と夜』っていう竹宮先生の作品を読んでみたいと思ってるのですが……どこに収録されてるのかがまるでわからず、ちょっとだけ困ってます(笑)。

 

 それではまた~!!

 

 

 

 

 


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アレンとミランダ。-【5】- | トップ | アレンとミランダ。-【6】- »
最新の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事