(マージョリーかわゆ♪)
いえ、この件に関してまだ何か書くことあるのかと、自分でも驚いてしまいますが(笑)、ようやくとうとう、同じ意見の方の記事を探しあてることが出来たというか
『萩尾望都、少年愛には関心はなかった。竹宮惠子との絶縁の真相。』
わたし、2チャンネル系のページってほとんど読まない人なので……たぶん、そのあたりを探せばありそうと思っていたとはいえ(スレッドのほうは、萩尾先生より、竹宮先生よりのものなど、双方への批判OKといった形で立ち上がっているそうです)、ここまででも色んな方がこの件については色々なことを書かれているので――なんとなく読む勇気がでませんでした(^^;)
ええと、この方の御意見も全部が全部「そのとおり!」とまでは思わないわけですが、唯一、
>>だから当事者のかたわれたる萩尾自身が、そんな革命は竹宮と増山が考えていただけだと言い、少年愛になど関心がなかったと言うことは、私には長年の呪縛からの解放のように感じられた。
しかし萩尾は「残酷な神が支配する」について本書では何も言っていない。やはりあれは少年への大人によるレイプすら美化してしまった竹宮への批判だったのだろう。その点では、竹宮を祭り上げてきた漫画評論家たちが、改めて批判されなければならないだろう。竹宮の自伝出版を発端として、萩尾がこの件を明らかにしてくれたことは、漫画史のみならず、思想史的にすら重要なことだったと、私は感謝の念すら覚えるのである。
>>やはりあれは少年への大人によるレイプすら美化してしまった竹宮への批判だったのだろう。……というところ、ここだけ物凄く思うところがあったというか(^^;)
そのですね、萩尾先生は「風と木の詩」を読んでないはずですから、記事をお書きになった方が「読んだ前提」でこう書くのはそもそもおかしいことなはずなんですけど……わたし自身、「風と木の詩」を読んで驚いたのがこの点なんですよね
「萩尾先生は、「風と木の詩」を同じテーマ(同性愛)を扱った「残酷な神が支配する」によって、打ち倒している」と思ったというか。もちろん、萩尾先生は「風と木の詩」を読んでいないわけですし、「残酷な神が支配する」のウィキなどを見ると、萩尾先生がかなりのところ高尚な動機によって「残酷な神~」を執筆するに至ったらしいということがわかります。
なので、こんなふうに思ってはいけないかもしれないんですけど……自分的にはやっぱり、<創作的復讐>というか、それも無意識・無自覚での創作的復讐といったように思ったというか(^^;)
ええと、わたしもう竹宮先生のことも好きになりましたし、それがBLでもなんでも、あんまり誰かの作品を批判したりって好きじゃないのですでも、唯一「風と木の詩」については、「この作品のために萩尾先生は傷ついた」という怒りがあったので、色々書いてしまいました
中でもわたしが「一番問題ある」と感じたのが、現在の文庫版にして第3巻くらいの内容なんですよね。このころ、ジルベールはまだ9歳くらいと思うのですが、ヒゲもじゃらのおっさんに犯されて、>>「初めてだったのか?それならそうと言えばいいのに……もっとやさしく扱ったろうよ」などと言われています。いえ、このヒゲもじゃらのおっさんのボナール、ほんとはすごくいい人なのですが、ここを読む限りにおいてはただの変態としか思えません(笑)
それで、おてぃんてぃん☆のあたりをなめまわしたりなんだり、大変なことをなさっているわけですが……「風と木の詩」が連載されていた「週間少女コミック」は、当時中学生くらいの少女が大体中心読者層だったと言います。「少年の名はジルベール」において、竹宮先生は本作を描くにあたって>>「教育的であろうとした」とのことなのですが、実際のところは「連載さえ決まってしまえば、教育的かどうか」というのは、二の次、三の次の問題だったのではないかという気がします。
それで、ボナールというヒゲもじゃらのおっさんに初めてを奪われたあと、ジルベールは実の父親であるオーギュストと近親相姦関係になっていて(この時点でジルベールはオーギュストが父であるとは知りません)……このあたりの描写についてのみ、個人的に「当時はどうかわからないけど、今は問題あるのでは?」と思ってしまうわけです(ここさえ越えてしまえば、わたしが以前嫌悪感を覚えたと書いた、西洋番長アダムらの性的リンチなどはもうどうでもいいとさえ思える)。
一方、萩尾先生の「残酷な神が支配する」については、わたしは賞賛してやみませんが、でも、1巻目から暫くの間、えんえんと続く義父グレッグの主人公ジェルミくん(この頃15歳)に対する「これでもか」とばかりの性暴力っていうのは――読んでいて「うんざりする」とか「うんざりした」という方というのは、いらっしゃると思うのです。。。
わたしも、最初に読んだのが今の文庫版の第5巻くらいまでで、今にして思うと、よくそこで読むのやめられたなと思いますが、「これは主人公のジェルミがもし最後救われなかったら、とても耐えられない」と思って、続きについては忘れていました。また、このころちょうど、「24人のビリー・ミリガン」とか、そうした虐待された方のノンフィクション系のものを色々読んだりしていたので――「ああ、またか」というような感じで、読むのが嫌になってしまったというのもあったと思います(また、「残酷な神が支配する」は落ち込んでいる時など、さらに気分が重くなる可能性大なので、メンタル的に健康元気な時に読んだほうがいいかもしれません^^;)。
なので、「風と木の詩」と「残酷な神が支配する」の両方を読まれた方が、「いや、同性愛者のセックスって意味では、どっちもどっちだろ☆」と思われたとしても、不思議はないかもしれません。
でも、わたしの個人的な意見としては、萩尾先生にその意図はなかったにしても(だって、「風と木の詩」を読んでないはずですから)、「残酷な神が支配する」のほうが、遥かに高い位置に存在価値が置かれていると思うんですよね(^^;)。
たぶん、萩尾先生は竹宮先生から何故関係を絶たれたかについて、その後、「風と木の詩」の連載開始後、かなりのところはっきり気づかれたでしょうし(読んでなくても、その評判を伝え聞けばわかったに違いありませんし、知りたくなくてもそのあたりのことは嫌でも耳に入ってきたのではないでしょうか)、そもそも、「これだけ作風の違う話を盗作だなんてっ!」という怒りが湧いてきても、あれはまったく不思議でないという話なんです。
また、日本においては「トーマの心臓」と「風と木の詩」がBL漫画の元祖と言われているそうですが、BL女子の方の批評として――「トーマの心臓」は名作だが、萩尾望都のある限界を示してもいる、みたいにも言われてしまうわけです。それよりも「風木」のほうが、性描写ではかなりのところ踏み込んでいるので、BL作品としては遥かに上だ……といったような意見まであると言います。
もちろん、萩尾先生はそうした意見についてなんてご存知ないでしょうし、たまたま偶然そうした感想を目にしたとしても、特段何か思うところがあるとも思えません。ただ、「残酷な神が支配する」は、そうした方の口も黙らせるくらいの力があると思いますし、同じように「風と木の詩」という作品のことも薙ぎ倒してしまうほどの威力があると、個人的には思うわけです(^^;)。
わたし、「風木」については大変な労作であると思ってますし、作品自体を全否定しているわけでもなければ、むしろ「漫画家としてすべてを賭けていた」という竹宮先生のことを思うと、ヒットして良かったと、心の底からそう思います。また、この作品に関連して萩尾先生は傷つけられたのだ……ということに対する怒りも、「でも、萩尾望都ファンには「残酷な神~」があるから」と思えば、かなりのところ静まります。
そのですね、今はもう竹宮先生も、萩尾先生の「トーマの心臓」が「風と木の詩」と並んで日本のBL漫画の元祖――みたいに語られていても、特に何か思われることはないと思うんですよね。ただ、なかなか「風木」を連載させてくれる雑誌や出版社が見つからない間は別で、それはたとえていうなら、萩尾望都と竹宮惠子のどちらがいまだ未踏のBL山(ボーイズラブ・マウンテン?笑)に登頂し、少女漫画の歴史に名前を残すか否か……という瀬戸際にあったという、そうしたつらい精神状況が竹宮先生にはあったのではないか、ということなんです。
ですから、竹宮先生なんてもう重装備ですよ。「風木」の舞台となるフランスの風景や文化、建築物、当時のファッションについてなども出来る限り調べ、「いつか来たるべき日のために」怠りなく入念に準備を進めていた。ところが、ふと横を見ると、何かうまく抜け道を見つけるような形で、萩尾先生がなんなく<男子寄宿舎もの>について描いている……萩尾先生にその自覚はまったくなかったにしても、竹宮先生にとって――あれだけ気が長く優しく、親切に人に接する人が――「どうしても許しがたい」、「我慢できない」ことだと感じたというのも、よくわかる気がするわけです
たとえて言ってみれば、BL山登頂のために竹宮先生が登山道具などを十分準備している段階のところへもってきて、萩尾先生は着の身着のまま出かけていって、ざくざく山を登っていったようなものです。竹宮先生側は、この時点(『11月のギムナジウム』地点)では、「いや、相手はまだ1合目まで登ったに過ぎない」と思い、どうにか感情を抑えようとしたのかもしれません。でも、『ポーの一族』の「小鳥の巣」で一気に相手が5合目くらいにまでやって来たように感じ(こっちはまだ出発さえ出来ないのに!)、ここで訣別の時がやって来てしまった……とでもいうような、あの出来ごとはそうしたことでもあったのではないでしょうか。
もちろん、日本の少女漫画の歴史において、BL漫画の始祖として名前を残したのは竹宮先生(&増山さん)でしたでも、竹宮先生がこの件に関して寛容な態度に戻ることが出来たのはおそらく――その登頂フラッグを自分が立てることが出来て以後のことだったのではないでしょうか。
一方、萩尾先生はといえば、そのあたりのことがわからないので、何故竹宮先生から突然関係を絶たれたのか、すごく苦しんだり悩んだりされたのだと思いますもし、「ようするにそういうことだったんだ」ということさえわかっていれば……「ええっ!?わたしは少年愛で少女漫画の歴史に名を残そうなんて思ってないし、それはケーコタンとノンたんがふたりでやればいいことじゃない」くらいの感覚だったと思うんですよね。
前回【6】のところで、増山法恵さんの、「風と木の詩」文庫版第10巻の解説を引用したんですけど――「運命と青春の共同体」、それは元は萩尾先生もそこに加わっていたのに、何故か突然そこから弾かれてしまった、みたいなことだったと思うのです
マンガという、この自分が大好きな分野では、誰を傷つけることも、自分も傷つくことはないし、大泉にやってくる人たちとも、みんな楽しくやれてるし……竹宮先生の盗作疑惑のことがなければ、萩尾先生はマンガという大好きなフィールドではどす黒いシミが残るような、そんな記憶とは無縁なままだったかもしれません。
ただわたし、どこかでお見かけした>>大人しいタイプの天才を怒らせるとこうなる(笑)。という御意見には激しく同意します。落ち込んだ、苦しんだ、悩んだ……ということの他に、萩尾先生には怒りということも当然あったと思うのです。また、相手が竹宮先生ひとりきりであったとすれば、萩尾先生が負うことになった精神的負担も少しは軽かったかもしれません。けれども、竹宮先生と一緒に増山さんがいて、BLのことでは双子のように方向性が一致しているがゆえに――何かこう、BL山登頂直前で、着の身着のままの萩尾先生を雪山に置き去りにした罪悪感といったものが、おふたりには極めて希薄なのではないか?……自分的に、一読者として何かそんなふうに感じられてならないというか(^^;)
ですから、萩尾先生が「風と木の詩」を読んでない事実とは矛盾してしまうけれど、一ファンとしてはほんと、「残酷な神が支配する」によって、同じテーマとしては遥かに凌駕しているこの作品を見よ、といった具合で、本当に心が晴ればれするのです
たぶん、萩尾先生にその意図はなかったと思うとはいえ……ジャン・コクトーの『恐るべき子供たち』を萩尾先生が1979年に漫画化していると知り――思わず色々考えてしまいました。内容のこともありますが、『風と木の詩』の主人公の名前がジルベール・コクトーであることもあって……いえ、実はこのことだけではなく、竹宮先生の本も色々試し読みして、「次はどれを読もうかな」なんて見ているうちに、他にも気づいたことがありまして(^^;)
でも、今の段階ではまだ不用意なことは言えないので、そのあたりの本を順番に読んだりする過程で、考えがまとまったらまた記事にしていこうと思っていますm(_ _)m
それではまた~!!