今回は、『風と木の詩』文庫版第10巻巻末の、増山法恵さんのエッセイからはじめたいと思いますm(_ _)m
>>私は、幾つかの作品の原作を作り、竹宮がアイデアに詰まると、二人でセッションを繰り返し、一緒にストーリーを練り上げた。作品が読者に受け入れられると、二人で大喜びして、反応が薄いと二人でガッカリした。
良い作品とは何か、漫画家としてどう生きてゆくべきか、などを話し合う、いわば〃運命共同体〃だったように思う。私から見れば彼女は、一緒に青春を駆け抜けてくれた〃戦士〃にほかならない。
『風と木の詩』の誕生から終焉までを、キッチリ見届けたことは、私にとっても大切な宝物になっている。いかに彼女がこの作品を愛し、なみなみならぬ執念で描いていたか、昨日のことのように思い出す。
「この作品が読者に受け入れられなかったら、漫画家をやめる」とまで覚悟して、連載をスタートさせたのは、おそらく『風と木の詩』だけだったように記憶している。彼女の悲愴な決意は、作品掲載と同時に、山のように届いた熱烈なファンレターのおかげで、喜びと自信に変わっていった。
全身全霊で打ち込んだ作品が、読者から熱烈に支持される、という幸運な合体は、そうたびたび起こるものではない。作者の『信念と努力と根性』に『才能』が加わって、初めて花咲くものだという事実を教えてくれたのも、彼女だった。
今回この文章を書くにあたって、竹宮に、
「一体私は、あなたの何だったのだろう」
と尋ねると、竹宮はウーンと唸ったあげく、
「私のブレーン、というとこかなぁ。まあ、運命と青春の共同体だよね」と答えた。
彼女も私と、ほとんど同じように過去を受け止めていたのを確認して、妙に嬉しかった。
一緒に、全力疾走で駆け抜けた青春。楽しいこともたくさんあったが、同じくらいの量でつらいことも多かったのも事実だ。
「もう一度やれと言われても、絶対にいやだな、私」
と言うと、竹宮は、
「そうだろうね」と即座に同意して、愉快そうにアハハと笑った。
(『風と木の詩』第10巻/白泉社文庫より)
わたし、ここ読んだ時……正直、「残酷だなあ」と思いました。ただ、萩尾先生は増山さんがその後小説家として作品を発表されていたとはまったくご存知ないようで、『一度きりの大泉の話』の中で、>>「豊かな感性は持っているのに、表現の手段を持たない。そういう方はたくさんいるのかもしれません」と、増山さんに関して書いていて――ここは増山さんにとっては結構がっかりポイント☆だったのではないかと思います(^^;)
人間関係的な意味では、<運命と青春の共同体>から萩尾先生を外してしまったという意味で、竹宮先生と増山さんは残酷だったと思うんですよね一方、竹宮先生と増山さんとふたりがかりでも、萩尾望都というひとりの漫画家に到底敵わなかったという意味では……萩尾先生も別の意味で残酷であられたのかもしれません。
誤解のないように書くとしますと、竹宮先生と増山さんはふたりとも、非凡なる才能の持ち主と思います。でも、萩尾先生は芸術のミューズたちの神殿に、死ぬことなく生きたまま挙げられ、そのまま永遠に生き続けるのではないか――というくらいの、創作の生き神みたいなところがあって、他に誰か比べていい作家さんがいてはいけないくらいの方なのではないでしょうか(^^;)
ですから、人間関係的には竹宮先生も増山さんにも残酷なところがあった……そう思うものの、『100分de名著』の中で、精神科医の先生が『イグアナの娘』を評し、「トラウマ1、浄化100」とおっしゃっておられたように――とりあえずわたし、例の盗作疑惑に関しては、1のトラウマを負った程度ではなく、「トラウマ100、浄化1000」みたいな、そうしたことだったのではないかと想像しています。
どういうことかというと、萩尾先生は盗作疑惑をかけられてから今に至るまで、竹宮先生の漫画を一切読んでいないと言います。でも、漫画家さんの元には自分が連載している雑誌、あるいはそうでなくても、つきあいのある出版社さんから雑誌が送られてくるって言いますよね
その中には、竹宮先生が表紙を飾っていることもあれば、巻頭カラーを飾っていることだって何度もあったと思います。そして、萩尾先生は竹宮先生のところだけ見ないようにして、他の漫画家さんの漫画についてはおつきあいがあったり、純粋に続きが気になるといった理由から、すべて読んでいたわけでしょう。そして、こんなことを最低でも二十年とかそれ以上、ずっと続けておられたわけですよね(^^;)
勝手ながら、自分的に想像しますのに、この中でも萩尾先生がもっともつらかったのは、竹宮先生が『風と木の詩』を連載しておられた期間ではないかという気がします。その内容を具体的に読まないまでも、うっかり巻頭ページが目に入ってきてしまったということがあったり、そこにあったアオリ文句を読んでしまっただけでも……ストーリーを説明されずともわかる部分があったに違いありませんし、話題を呼んでヒット作となったことからしても――そうした作品を盗作したと言われたことは、萩尾先生を二重に傷つけることだったのではないかと思います
ですから、こんな身に着けたくもない奇妙な習慣を与えた竹宮先生に対して、「許しなさい」とか、「そもそも大したことでもない」とか、自分的には絶対言ったり出来ないことじゃないか……と、そんなふうに思っています(^^;)
ただ、前回書いた「なーんだ。そんなことほんとに50年も気にしてたのー?だったらもっと早くに言ってよ。わっはっはっ」というのは、あくまで増山さん的にはそうした部分があるのではないか……ということなんですよね。何故かというと、例の盗作疑惑をかけた時、おもに話していたのは竹宮先生で、増山さんは>>「いいのよ、どうなのか、ちゃんと言って」と、困ったような優しい声で言ったと、彼女がこの件で口を挟んだのはそのくらいだったらしいからです。
その後、手紙を持って萩尾先生宅を訪ねたのも竹宮先生ひとりであって、増山さんはどうも、このあたりの竹宮先生の苦しい胸の内を、この時はそんなにご存知じゃなかったらしく……また、増山さんはこの件に関して>>「ある時、竹宮さんから大泉サロンを解体したのはあなたを萩尾さんには取られたくなかったから、と打ち明けられた」とおっしゃってるわけです。だから、竹宮先生が萩尾先生に手紙を持っていったとか、実はその時ふたりの間で決定的な別れがあったとは知らなかったということなんですよね。萩尾先生がいつの間にか来なくなったのは、忙しいからだろうくらいに思っていた、とも――萩尾先生と増山さんは、その後も1年くらい手紙のやりとりをしていたと言いますから、最後の部分はちょっと「??」と思いますが、増山さんはとりあえず、直接はっきり萩尾先生のことを傷つけたわけではない……そんなふうに思える部分があったりするわけです。
>>私は二人から離れ、考えまいとしました。
その後お二人がどうなさったかも、聞かずにすませてきました。私が知りたくなくても、時々風の噂のように流れてきます。なるべく耳をふさいでいます。何も聞きたくもないし、何も言いたくもない。冷蔵庫に入れて、鍵をかけたのです。大泉も下井草も。鍵はなくしました。
>>これはあくまで私の個人的な体験です。
人間には多様な面があります。多面体のように。もっと異なる面に出会われた方も、多々おられることは理解しています。
ただ、私と竹宮先生たちとの面と面との出会いでは、このようになってしまいました。それを良いとか悪いとか残念とかああしていればとか考えるのは放棄いたしました。とてもとても一言では言えないからです。
ただ、考えないようにしています。私は今も今後も竹宮先生の作品は手に取れませんし、お近くに寄ることはなく、離れていたいと思います。
(『一度きりの大泉の話』萩尾望都先生著/河出書房新社より)
そうなんですよね。だから、この「放棄する」に至るまでの心理状況というのがとてもつらいもので……これはわたしの個人的な私見ですけども、『残酷な神が支配する』以降、萩尾先生はそうした悟りの境地に入っておられたのではないか――そんなふうに想像するんですよね(^^;)
言ってみればまあ、「モトのターン!!『トラウマ100、浄化1000』のカードを発動!!」みたいな、何かそんな感じのことです。もちろん、萩尾先生は『残酷な神が支配する』を、とても高尚な動機でお描きになっておられると思いますし、インタビューなどで、(性的虐待などは別として)お父さまのことや、ご家族のことも関係しているといったようにもおっしゃってたと思います。
でも、自分的に『風と木の詩』に対する打ちすえ具合がマジでハンパないと言いますか、「ゴリッゴリッ☆に引き潰してやったけど、それが何か?」とでもいったような、本当にエグイくらい才能の差、漫画家としての力量の差を見せつけてやった――一読者的には、どう考えてもそうとしか思えないのです(^^;)
ドラクエにたとえたとすると、レベル1の勇者タケミヤを3頭のヒババンゴが囲んで襲ったくらいの威力と思います。そして、巻き添えをくった魔法使いのマスヤマがホイミをかけるも虚しく、HPがゼロになったパーティは全滅、ズガッ!という音とともに画面は赤くなり~GAME OVER~……自分的には何か、そうした印象なんですよねあるいは、暴走したエヴァンゲリオンがシトのS2機関をかっ喰らい、いびつな勝利の咆哮を上げてのち、ズシーンズシーンと去っていく――そのくらい、『風と木の詩』という作品を『残酷な神が支配する』はひき潰して去っていった……個人的にはそうした印象なわけです
いえ、『風と木の詩』は色々問題あるかもしれませんけども、イラストなどは本当に芸術的ですし、一コマ一コマ、綺麗な絵は本当にたくさんあって、竹宮先生の漫画家としての天才性を堪能することの出来る作品と思います。ただ、『残酷な神が支配する』の連載が1992年くらいだったと思いますが、この頃どうやらすでに増山さんは竹宮惠子プロダクションから独立していたらしく――『一度きりの大泉の話』にも、「1990年頃からは、おふたりの噂も流れてこなくなりました」みたいにあります。
これはあくまでわたしが勝手に想像していることですけど、だからこその「モトのターン!トラウマ100、浄化1000の効果発動!!」なわけですよ(^^;)繰り返しますが、萩尾先生は『風と木の詩』を読んでおられないと思います。でもむしろだからこそ……同じ同性愛というテーマにおいて、この上もなく完璧なストーリーを構築し、完璧な絵によって仕上げておられるのではないかと、そんなふうにも感じられると言いますか。。。
竹宮先生との例の件に関して、>>「時間と記憶の死体」という書き方をしているのを読んで、「ちょっと大袈裟なのでは?」と思われた方は、もしかしたら多いかもしれません。でも、確かにこれ、萩尾先生にしてみれば「時間と記憶の死体」としか言いようのないことなのではないでしょうか。いつも送られてくる雑誌に、<竹宮惠子>という名前や彼女の絵を見るたび、最初の頃は特に胸が痛んだでしょう。でも、竹宮先生の漫画だけは絶対読まないと決めておられる萩尾先生にとって――こうした形、あるいは他の方の噂などによって生存は確認できても、お互い関わることだけは決してない相手……そんな人は「死んでるのと同じ」=「死体」なわけですよ。
ただ、ちょっと怖いのは、萩尾先生のような天才に、こうした無意識の内にもストレスを長きに渡って与えた場合……それは、大きな創作の引き金になると思うんですよね。そして、わたし個人の推測では『残酷な神が支配する』以降――時々、竹宮先生のお名前を雑誌などで偶然目にすることがあっても、特別それほど胸が痛まなくなっていかれたのでないかと、そんなふうに思うわけです(何故なら、『浄化1000』か1万か、あるいは1億かわかりませんけれども、その効果が発動したあとだからです^^;)。
もし、この浄化の効果によって、竹宮先生・増山さんとのことに心理的な部分である程度解決がつき、記憶の永久凍土にでも沈めることが出来たのだとしたら……そんな記憶のことは、誰だって二度と解凍したくないでしょうし、今後ともおふたりとは関わりあいになりたくない――そう思うのは、人としてあまりに当然のことではないでしょうか。
これも個人的に勝手に思うに、竹宮先生が『少年の名はジルベール』を執筆・出版されるに当たって、「見誤った」気持ちというのも、すごくよくわかるんですよね(^^;)何故といって、萩尾先生はご自身の経歴を聞かれた時に、<大泉時代>のことを楽しく振り返っている……といった調子で話されており、それはたぶん「(竹宮先生以外の)漫画家先生との交流は楽しく」、「(竹宮先生以外の)漫画家先生や遊びにこられたみなさんと、こんなことがありました」みたいに、例の盗作疑惑の一件を除けば、萩尾先生にとっても素晴らしい青春の思い出でもあるからなのだと思います。
わたしも、そうしたインタビュー系のものを2、3読んだのですが、そうした時の萩尾先生の持っておられる語り口調や雰囲気から察して――「過去に起きたあんな小さなこと、わたしはどうとも思ってやしませんよ」と、竹宮先生や増山さんからしてみれば、そう見えても不思議はないというか、むしろそうとしか見えないくらいなんですよね(^^;)
でも、蓋を開けてみると、本音は『一度きりの大泉の話』に書かれたことなわけで……過去の記憶の中の小さな黒いシミ(竹宮先生&増山さん視点)を消すために、その白いワンピースをエヴァンゲリオン級の兵器まで使って全消しすべく踏み潰した――という、「本物の天才を怒らせると怖い」という、そうした事態であったわけです。
ちなみにわたし、自分がひどく穿ったものの見方をしているとわかってますが、そんな萩尾先生のことを心から愛し尊敬し、永遠に応援します……!!といったタイプの、軽くヤヴァい系のモーさまファンなのかもしれません(笑)。
それではまた~!!