世界平和の祈りは、すべてを調和させる祈りで
あります、我々人間の内と外、この地上、地球世界の
陰陽、そして、宇宙の大調和という大神様の大法則を、
おのずから発展させ、大法則にのっとった、
光そのものの祈りであります。
私が、今ここに陰陽ということを申しました
けれども、たとえば、月は、つねに中空にありながら、
太陽の陰になっていて、昼間は私どもの眼に
見えません。
それだからといって、月の光が、少しもなくなった
訳でもなんでもない。ただ、自然の摂理、神の
みこころによって、月は夜、光をもってあたりに
照らすことになっているのであります。
これを、言いかえますと、陰陽それぞれの働きが
あるのだということになるのであります。
太陽には、眩しい程の光がありますが、月は又、
月明かり、月明といってやさしい光がある。
それぞれの持ち場があり、それが、陰と陽という
働きとなって、お互いを助け、引き合って
いるのであります。
ところで、このような働きは、神様の愛の光を
受けてなされるのでありますが、人の想い(我)
というものが、段々幅をきかせて参りまして、
一口にいうなら、人間が本体をまちがえてですね、
我を自分の主人だと思ってしまって、おもいを
はびこらせてしまったものですから、この自然の
働きというものが、まっすぐにゆかなくなって
しまった。
それ程、人間の我というものは、増大
してしまったんです。
陰陽というものは、すべての働きの根元です。
自然の運行そのものなわけですね。それが、
人間達の自分勝手な思いで曲げられてしまった。
自然破壊にしてもそうです。天変地異、みんな、
これは、戦争にしても何にしても、人間の他を
かえりみない我から出発してるんだ。
このまま放っといたんじゃあ、地球は滅びて
しまいます。それで、今迄色々な人や祈りが
出たけれど、最終的に、世界人類が平和で
ありますようにという世界平和の祈(の)り言、
光明の真言を私を通して、大神様が人類に
おろして下さった。
すべてのものは、この自然にしても生き物達
にしても、植物も鉱物も、無機物といわれるものも、
そして私たち人間も、すべてのものは、調和、
大調和という宇宙の大原則-神様の愛のもとに
生きて、存在することができるわけです。
その調和がこわれかけているなら、それを
もう一ぺん、元の状態に、業の状態に、
もどさなきゃなんない。そのもどすについて
一番力のある、光にみちた、愛に満ちた祈りは
何かというと、世界平和の祈りなんです。天命
という祈り言がありますよね。私達の天命が完う
されますようにと祈る。
これは深い深い、祈りなんです。つまり、天命
という神様のふところ深くずっとずっと奥の
もう何といっていいかわからない大愛と一つになる。
自らも愛の光明となり、他を照らして、そして、
気付かない内に、神様の愛の光の一筋になる
という天命を、我々人類は皆持っているわけです。
それを、教えて下さった、指し示して
下さった祈りです。
我々はどこへ帰ればいいのか、神様の愛の中。ね、
このことを天命という言葉でもってさし示して
下さった。
だから、私どもは、この自分を愛し人を愛し
のなかに、自らの天命のなかに帰ってゆけば
いいんです。
ここに帰一すればいい。この祈りは大宇宙
そのもの。神様の愛、すがたそのものをあらわした
言葉なんです。やさしい祈りです。けれど
ずっと奥へ入ってくと、どこまで深いか分からない。
そりゃあそうです。神様の愛の祈りなんだから・・・
天命というのはね、あなた方、この世だけの
天命を指すんじゃない。何百生も何千生も永遠の
いのちを生きる私ども人間のいのちの天命を
さすんです。個人の天命であると同時に
宇宙の天命なんだ。
わかりますか。さっきから、陰陽陰陽
といったけれど、私達のなかに宇宙があるんです。
自在のいのちがあるんです。
人間のいのちというのは、神の分生命(わけ
いのち)分霊(わけみたま)です。光そのもの
なんです。その本体は神様の愛。もうすべてを
いつくしみ、調和させずにはおかないという愛、
つまり、大宇宙に満ちている大愛、大調和と
もとは一緒なんです。だから、私どもは、誰も彼も、
一人のこらず神様の子供なんです。
人間をこうして生かしているのは神様の愛です。
そして、その人、私たち一人一人のなかに
小宇宙があるんです。
私達の本来心はそれを知っていて、ふるさと
である大宇宙の大宇宙神を、母親を求める子供
のように追い求めているんです。
呼び合っている。
その呼び合って生きる存在なんだということを、
余分なものをのぞいてね、生命をスッキリと
神様の方に向けて、想いではなく、祈りで愛で
満たしていって、それで、個人も人類も、この
地球全体を愛でいっぱいにして変えてゆこう、
光明でいっぱいにしようというのが世界平和の祈り。
大元へ帰る祈りなんです。
よろしゅうございますか。
それではどうもありがとうございました。
昭和62年8月6日
五井 昌久
あります、我々人間の内と外、この地上、地球世界の
陰陽、そして、宇宙の大調和という大神様の大法則を、
おのずから発展させ、大法則にのっとった、
光そのものの祈りであります。
私が、今ここに陰陽ということを申しました
けれども、たとえば、月は、つねに中空にありながら、
太陽の陰になっていて、昼間は私どもの眼に
見えません。
それだからといって、月の光が、少しもなくなった
訳でもなんでもない。ただ、自然の摂理、神の
みこころによって、月は夜、光をもってあたりに
照らすことになっているのであります。
これを、言いかえますと、陰陽それぞれの働きが
あるのだということになるのであります。
太陽には、眩しい程の光がありますが、月は又、
月明かり、月明といってやさしい光がある。
それぞれの持ち場があり、それが、陰と陽という
働きとなって、お互いを助け、引き合って
いるのであります。
ところで、このような働きは、神様の愛の光を
受けてなされるのでありますが、人の想い(我)
というものが、段々幅をきかせて参りまして、
一口にいうなら、人間が本体をまちがえてですね、
我を自分の主人だと思ってしまって、おもいを
はびこらせてしまったものですから、この自然の
働きというものが、まっすぐにゆかなくなって
しまった。
それ程、人間の我というものは、増大
してしまったんです。
陰陽というものは、すべての働きの根元です。
自然の運行そのものなわけですね。それが、
人間達の自分勝手な思いで曲げられてしまった。
自然破壊にしてもそうです。天変地異、みんな、
これは、戦争にしても何にしても、人間の他を
かえりみない我から出発してるんだ。
このまま放っといたんじゃあ、地球は滅びて
しまいます。それで、今迄色々な人や祈りが
出たけれど、最終的に、世界人類が平和で
ありますようにという世界平和の祈(の)り言、
光明の真言を私を通して、大神様が人類に
おろして下さった。
すべてのものは、この自然にしても生き物達
にしても、植物も鉱物も、無機物といわれるものも、
そして私たち人間も、すべてのものは、調和、
大調和という宇宙の大原則-神様の愛のもとに
生きて、存在することができるわけです。
その調和がこわれかけているなら、それを
もう一ぺん、元の状態に、業の状態に、
もどさなきゃなんない。そのもどすについて
一番力のある、光にみちた、愛に満ちた祈りは
何かというと、世界平和の祈りなんです。天命
という祈り言がありますよね。私達の天命が完う
されますようにと祈る。
これは深い深い、祈りなんです。つまり、天命
という神様のふところ深くずっとずっと奥の
もう何といっていいかわからない大愛と一つになる。
自らも愛の光明となり、他を照らして、そして、
気付かない内に、神様の愛の光の一筋になる
という天命を、我々人類は皆持っているわけです。
それを、教えて下さった、指し示して
下さった祈りです。
我々はどこへ帰ればいいのか、神様の愛の中。ね、
このことを天命という言葉でもってさし示して
下さった。
だから、私どもは、この自分を愛し人を愛し
のなかに、自らの天命のなかに帰ってゆけば
いいんです。
ここに帰一すればいい。この祈りは大宇宙
そのもの。神様の愛、すがたそのものをあらわした
言葉なんです。やさしい祈りです。けれど
ずっと奥へ入ってくと、どこまで深いか分からない。
そりゃあそうです。神様の愛の祈りなんだから・・・
天命というのはね、あなた方、この世だけの
天命を指すんじゃない。何百生も何千生も永遠の
いのちを生きる私ども人間のいのちの天命を
さすんです。個人の天命であると同時に
宇宙の天命なんだ。
わかりますか。さっきから、陰陽陰陽
といったけれど、私達のなかに宇宙があるんです。
自在のいのちがあるんです。
人間のいのちというのは、神の分生命(わけ
いのち)分霊(わけみたま)です。光そのもの
なんです。その本体は神様の愛。もうすべてを
いつくしみ、調和させずにはおかないという愛、
つまり、大宇宙に満ちている大愛、大調和と
もとは一緒なんです。だから、私どもは、誰も彼も、
一人のこらず神様の子供なんです。
人間をこうして生かしているのは神様の愛です。
そして、その人、私たち一人一人のなかに
小宇宙があるんです。
私達の本来心はそれを知っていて、ふるさと
である大宇宙の大宇宙神を、母親を求める子供
のように追い求めているんです。
呼び合っている。
その呼び合って生きる存在なんだということを、
余分なものをのぞいてね、生命をスッキリと
神様の方に向けて、想いではなく、祈りで愛で
満たしていって、それで、個人も人類も、この
地球全体を愛でいっぱいにして変えてゆこう、
光明でいっぱいにしようというのが世界平和の祈り。
大元へ帰る祈りなんです。
よろしゅうございますか。
それではどうもありがとうございました。
昭和62年8月6日
五井 昌久