(前日からの続き)
何もかもがなくなった時に、人はまず
飢えます。
いのちの心配をします。
生きるために必死になります。
そういうところに白光という、
世界平和の祈りという祈り言は、
神様から私が預かって、この祈り言が
そういうところに降り立ったので
あります。
今地球は、そして地球から遠く離れた
宇宙を含めて、本当の意味の光明や、
本当の意味の明るさや、本当の意味の
愛念といったところから遠くならざるを
得ない。
自らのことで必死であり、自らの
いのちを守ることで汲々とし、不安に
さいなまれながら、どうやって日々を
つむいでいくかということ、そのことに
まず目を奪われているような、この日常
だからこそ愛念というのを強く燃え立た
せて、そうしてその愛念というものが、
私たちのいのちを正しい方向に導いて
下さるのだ。
なぜなら、この愛念というものは私たちの
孤独や、私たちのわがままや、私たちの
情念や、私たちの感情から生まれる
はずはないものであります。
(つづく)
何もかもがなくなった時に、人はまず
飢えます。
いのちの心配をします。
生きるために必死になります。
そういうところに白光という、
世界平和の祈りという祈り言は、
神様から私が預かって、この祈り言が
そういうところに降り立ったので
あります。
今地球は、そして地球から遠く離れた
宇宙を含めて、本当の意味の光明や、
本当の意味の明るさや、本当の意味の
愛念といったところから遠くならざるを
得ない。
自らのことで必死であり、自らの
いのちを守ることで汲々とし、不安に
さいなまれながら、どうやって日々を
つむいでいくかということ、そのことに
まず目を奪われているような、この日常
だからこそ愛念というのを強く燃え立た
せて、そうしてその愛念というものが、
私たちのいのちを正しい方向に導いて
下さるのだ。
なぜなら、この愛念というものは私たちの
孤独や、私たちのわがままや、私たちの
情念や、私たちの感情から生まれる
はずはないものであります。
(つづく)