(前日からの続き)
祈るということは
神様と一緒だ
いつも一緒だと思うこと
同行二人ですよね
けれど
そう思うためには
神様というチャンネルを
ひねらなきゃ
何にもなりませんでしょう
アンテナを神様に合わせないとね
そこから祈りは
深くなってゆくんです
先ず
神様というアンテナに
合わせること
スイッチをひねって
チャンネルを
合わせて
すべては
そこから始まるんです
ですから
苦しい時の神頼みというのを
私はちっとも
軽べつしません
神様というのはね
何とかして
人間を
抱きとろう抱きとろうと
あらゆるチャンスをつくって
待って下さってるんです
だから
神様助けて下さい
うちの会だと
守護霊さん
守護神さん
助けて下さい
それも大変な時は
五井先生
お願いします
ですよね
そうすると
どうなるかというと
私という空っぽのからだをとおしてね
私をよんだ人にですね
神様の愛念がパーッと行くわけですよ
瞬間にゆくわけ
それは
とっても
はやいんです
呼んだ瞬間に
こっちにすりゃあ
呼ばれた瞬間に
その人を
光で愛でおおっている
神様が愛で抱きとってるんです
すごいですよ
神様の愛というのはね
それでもって
さあおちついたかい
それじゃあ
あなたの知ってる祈りを
やってごらんと
こうなるわけですよ
人間というものは
一たん
愛で抱きとられて
激しくないて
訴えて
おちついてくると
今度は
神様との
会話を
始めるんです
それが祈りです
会話してゆく内に
段々
我がうすれてきて
ただ
神様と話すことが
嬉しくなって
そのうちに
我というものがなくなっちゃって
ただもう
神様神様と
おもっちゃう
こうなると
その人は
どこもかしこも
光ってるんです
光でいっぱいになっている
そうして
元々の人間の本来
神の光明体
光のからだを
あらわしてゆくんです
もうその頃になると
自分で光ろうなんて
思ってない
光ってるとも思わない
ただ
神様と話すのが
嬉しくて
嬉しくて
しようがない
自分というものが
なくなっちゃってるんです
自分というものを忘れてる
ねっ
それでもってただ嬉しいわけ
その嬉しいというのは
あなた方の本心が
あなたをつくってる
元々が嬉しがるわけですよ
こうやって
祈りっていうのは
どこまでも
どこまでも
自分を昇華して
澄み清めて
すきとおった
純な心になって
遂に光そのものになるまで
つづいてゆくんです
ね、
人間っていうのは
いつでも祈ってんですよ
みんな気付かないけれど
絶えず祈っている
十五分
統一して
これで今日のお祈りはおわり
なんてそんな
ちゃちなものじゃないんです
もう
どんな時でも
祈っている
祈りつづけている
全身全霊
未来永劫
人間というのは
祈りのかたまりです
その祈りは
神様とともにあるというよろこび
自(おの)ずから
自分の光に
気付いてゆくよろこび
自分のいのちが
光っていることに気付くよろこび
これなんです
あなた方が祈る時
そこは光になります
なぜならみんな
神様の子ども光の子
だからです
祈りは光
光そのものなのです
昭和62年3月5日
祈るということは
神様と一緒だ
いつも一緒だと思うこと
同行二人ですよね
けれど
そう思うためには
神様というチャンネルを
ひねらなきゃ
何にもなりませんでしょう
アンテナを神様に合わせないとね
そこから祈りは
深くなってゆくんです
先ず
神様というアンテナに
合わせること
スイッチをひねって
チャンネルを
合わせて
すべては
そこから始まるんです
ですから
苦しい時の神頼みというのを
私はちっとも
軽べつしません
神様というのはね
何とかして
人間を
抱きとろう抱きとろうと
あらゆるチャンスをつくって
待って下さってるんです
だから
神様助けて下さい
うちの会だと
守護霊さん
守護神さん
助けて下さい
それも大変な時は
五井先生
お願いします
ですよね
そうすると
どうなるかというと
私という空っぽのからだをとおしてね
私をよんだ人にですね
神様の愛念がパーッと行くわけですよ
瞬間にゆくわけ
それは
とっても
はやいんです
呼んだ瞬間に
こっちにすりゃあ
呼ばれた瞬間に
その人を
光で愛でおおっている
神様が愛で抱きとってるんです
すごいですよ
神様の愛というのはね
それでもって
さあおちついたかい
それじゃあ
あなたの知ってる祈りを
やってごらんと
こうなるわけですよ
人間というものは
一たん
愛で抱きとられて
激しくないて
訴えて
おちついてくると
今度は
神様との
会話を
始めるんです
それが祈りです
会話してゆく内に
段々
我がうすれてきて
ただ
神様と話すことが
嬉しくなって
そのうちに
我というものがなくなっちゃって
ただもう
神様神様と
おもっちゃう
こうなると
その人は
どこもかしこも
光ってるんです
光でいっぱいになっている
そうして
元々の人間の本来
神の光明体
光のからだを
あらわしてゆくんです
もうその頃になると
自分で光ろうなんて
思ってない
光ってるとも思わない
ただ
神様と話すのが
嬉しくて
嬉しくて
しようがない
自分というものが
なくなっちゃってるんです
自分というものを忘れてる
ねっ
それでもってただ嬉しいわけ
その嬉しいというのは
あなた方の本心が
あなたをつくってる
元々が嬉しがるわけですよ
こうやって
祈りっていうのは
どこまでも
どこまでも
自分を昇華して
澄み清めて
すきとおった
純な心になって
遂に光そのものになるまで
つづいてゆくんです
ね、
人間っていうのは
いつでも祈ってんですよ
みんな気付かないけれど
絶えず祈っている
十五分
統一して
これで今日のお祈りはおわり
なんてそんな
ちゃちなものじゃないんです
もう
どんな時でも
祈っている
祈りつづけている
全身全霊
未来永劫
人間というのは
祈りのかたまりです
その祈りは
神様とともにあるというよろこび
自(おの)ずから
自分の光に
気付いてゆくよろこび
自分のいのちが
光っていることに気付くよろこび
これなんです
あなた方が祈る時
そこは光になります
なぜならみんな
神様の子ども光の子
だからです
祈りは光
光そのものなのです
昭和62年3月5日