世界平和の祈りは、すべてを調和させる
祈りであります、我々人間の内と外、
この地上、地球世界の陰陽、そして、
宇宙の大調和という大神様の大法則を、
おのずから発展させ、大法則にのっとった、
光そのものの祈りであります。
私が、今ここに陰陽ということを申しました
けれども、たとえば、月は、つねに中空に
ありながら、太陽の陰になっていて、昼間は
私どもの眼に見えません。
それだからといって、月の光が、少しも
なくなった訳でもなんでもない。
ただ、自然の摂理、神のみこころによって、
月は夜、光をもってあたりに照らすことに
なっているのであります。
これを、言いかえますと、陰陽それぞれの
働きがあるのだということになる
のであります。
太陽には、眩しい程の光がありますが、
月は又、月明かり、月明といってやさしい
光がある。
それぞれの持ち場があり、それが、陰と陽
という働きとなって、お互いを助け、
引き合っているのであります。
ところで、このような働きは、神様の愛の
光を受けてなされるのでありますが、人の
想い(我)というものが、段々幅をきかせて
参りまして、一口にいうなら、人間が本体を
まちがえてですね、我を自分の主人だと
思ってしまって、おもいをはびこらせて
しまったものですから、この自然の働きという
ものが、まっすぐにゆかなくなってしまった。
それほど、人間の我というものは、増大
してしまったんです。
(つづく)
祈りであります、我々人間の内と外、
この地上、地球世界の陰陽、そして、
宇宙の大調和という大神様の大法則を、
おのずから発展させ、大法則にのっとった、
光そのものの祈りであります。
私が、今ここに陰陽ということを申しました
けれども、たとえば、月は、つねに中空に
ありながら、太陽の陰になっていて、昼間は
私どもの眼に見えません。
それだからといって、月の光が、少しも
なくなった訳でもなんでもない。
ただ、自然の摂理、神のみこころによって、
月は夜、光をもってあたりに照らすことに
なっているのであります。
これを、言いかえますと、陰陽それぞれの
働きがあるのだということになる
のであります。
太陽には、眩しい程の光がありますが、
月は又、月明かり、月明といってやさしい
光がある。
それぞれの持ち場があり、それが、陰と陽
という働きとなって、お互いを助け、
引き合っているのであります。
ところで、このような働きは、神様の愛の
光を受けてなされるのでありますが、人の
想い(我)というものが、段々幅をきかせて
参りまして、一口にいうなら、人間が本体を
まちがえてですね、我を自分の主人だと
思ってしまって、おもいをはびこらせて
しまったものですから、この自然の働きという
ものが、まっすぐにゆかなくなってしまった。
それほど、人間の我というものは、増大
してしまったんです。
(つづく)