すなおになるということ
すなおになるってことは
りくつじゃないんです
おのずからよろこびが湧き上がってくる
生かされているとおもえて
うれしくなる
思わず
天地自然に
ありがとうございます
と
いいたくなる
本当にすなおなこころに
なってくると
こうしなきゃ
こう思わなきゃ
と思わなくても
思えるようになるんです
だけどそれは
業想念の渦がいっぱいある
肉体の
ゆれ動く感情に
スイッチを合わせちゃうと
もう滅茶苦茶になってしまう
感情にアンテナを合わせて
スイッチを入れちゃ駄目なんです
じゃあ
どうするかというと
祈りでもって
この肉体のまま
光の自分自身というものを
だんだん自覚してゆくわけです
祈りによってしか
これはできないんです
法然さんが出て
南無阿弥陀仏を説き
イエスが出て
主の祈りを説いた
そして今
私がきて
世界平和の祈りを説き
伝えるんです
南無阿弥陀仏も
主の祈りも
ともに
光明の祈りですけれど
世界人類のすべてが
心を一つにして
祈る祈り
祈れる祈りっていうのは
世界平和の祈り以外ないんです
この祈りを知って
祈ってゆくうちに
みんな本当に自由自在に
なってゆく
明るくなってゆく
朗らかになってゆく
心がおちついてくる
何故か
それは
神の大愛が
この祈りをつらぬいているからです
神の
分霊(わけみたま)
分生命(わけいのち)
である人間を
神が捨てる筈がないんです
捨てるどころじゃない
迷って苦しんで
自分というものがわからなく
なってしまっている
我々に
みんなの帰る所は
ここなんだ
と道をさししめしたのが
世界平和の祈りなんです
元々
神様とともにあった
私たちが
この地上にくらす内に
肉体だけを
自分自身だとおもい
地上だけを
唯一の世界だと
考えた
そこから
さまざまな
不安や
恐怖や
とらわれが
出てきたんです
自分を守りたい
守らなければという
想いもでてきた
そうすると
一番恐いものは
死になるんです
今こうして生きて
動いている私たちだけど
死ねばどうなるんだろう
すべてが
無に帰してしまうんじゃないか
とおもうわけ
すっかり私たちが
現世は勿論
三界をつらぬいて
それぞれの世界に
生きているんだという事実
しかも神の無限の愛に抱かれて
ずっとずっとすなおになってゆく
光一元のいのちに帰ってゆく
それが私たちなんだって
いうことを
忘れ果ててしまって
どうしようどうしようと思ってる
わけですね
その忘れてる記憶
本当の自分自身のすがたを
呼び覚まして
それぞれの朗らかないのちのすがた
天命を祈るのが
世界平和の祈りなんです
そして
世界人類それぞれに
わけられた天命が
元は
ひとつのもので
神の愛と溶け合った
ものなんだ
ということを
思いおこして
神様ありがとうございます
と感謝せずにはいられなく
なるのが
世界平和の祈りなんです
私たちはこの祈りの
ひびきにのって
自分をすなおにしてゆけば
それだけで自分もまわりも
そして世界も平和になってゆくのです
平成2年1月13日
すなおになるってことは
りくつじゃないんです
おのずからよろこびが湧き上がってくる
生かされているとおもえて
うれしくなる
思わず
天地自然に
ありがとうございます
と
いいたくなる
本当にすなおなこころに
なってくると
こうしなきゃ
こう思わなきゃ
と思わなくても
思えるようになるんです
だけどそれは
業想念の渦がいっぱいある
肉体の
ゆれ動く感情に
スイッチを合わせちゃうと
もう滅茶苦茶になってしまう
感情にアンテナを合わせて
スイッチを入れちゃ駄目なんです
じゃあ
どうするかというと
祈りでもって
この肉体のまま
光の自分自身というものを
だんだん自覚してゆくわけです
祈りによってしか
これはできないんです
法然さんが出て
南無阿弥陀仏を説き
イエスが出て
主の祈りを説いた
そして今
私がきて
世界平和の祈りを説き
伝えるんです
南無阿弥陀仏も
主の祈りも
ともに
光明の祈りですけれど
世界人類のすべてが
心を一つにして
祈る祈り
祈れる祈りっていうのは
世界平和の祈り以外ないんです
この祈りを知って
祈ってゆくうちに
みんな本当に自由自在に
なってゆく
明るくなってゆく
朗らかになってゆく
心がおちついてくる
何故か
それは
神の大愛が
この祈りをつらぬいているからです
神の
分霊(わけみたま)
分生命(わけいのち)
である人間を
神が捨てる筈がないんです
捨てるどころじゃない
迷って苦しんで
自分というものがわからなく
なってしまっている
我々に
みんなの帰る所は
ここなんだ
と道をさししめしたのが
世界平和の祈りなんです
元々
神様とともにあった
私たちが
この地上にくらす内に
肉体だけを
自分自身だとおもい
地上だけを
唯一の世界だと
考えた
そこから
さまざまな
不安や
恐怖や
とらわれが
出てきたんです
自分を守りたい
守らなければという
想いもでてきた
そうすると
一番恐いものは
死になるんです
今こうして生きて
動いている私たちだけど
死ねばどうなるんだろう
すべてが
無に帰してしまうんじゃないか
とおもうわけ
すっかり私たちが
現世は勿論
三界をつらぬいて
それぞれの世界に
生きているんだという事実
しかも神の無限の愛に抱かれて
ずっとずっとすなおになってゆく
光一元のいのちに帰ってゆく
それが私たちなんだって
いうことを
忘れ果ててしまって
どうしようどうしようと思ってる
わけですね
その忘れてる記憶
本当の自分自身のすがたを
呼び覚まして
それぞれの朗らかないのちのすがた
天命を祈るのが
世界平和の祈りなんです
そして
世界人類それぞれに
わけられた天命が
元は
ひとつのもので
神の愛と溶け合った
ものなんだ
ということを
思いおこして
神様ありがとうございます
と感謝せずにはいられなく
なるのが
世界平和の祈りなんです
私たちはこの祈りの
ひびきにのって
自分をすなおにしてゆけば
それだけで自分もまわりも
そして世界も平和になってゆくのです
平成2年1月13日