宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(17)

2013-02-23 08:43:07 | 祈り
      (前日から続く)
 世界人類が平和でありますようにというのは、
地上に戦争が起こりませんように、争いごとが
起こりませんようにという、それだけじゃあ
ないんですね。平和でありますように
というのは、平和な気が満ち溢れますように、
地上の波動そのものが神様の愛念で調和、
平和そのもの、宇宙神のそういう気と同じく
なりますように、ということですよ。もう一つ
奥を言えば、まず地上が平和にならなければ、
神様の平和の気を自分の奥へ呼び込むことも
出来ないし、神霊側から言うと、それを
流し込むことも非常にむつかしいんです。
 だからこそ、世界人類が平和であります
ようには、まず私達が平和でありますように、
地上に争いが起こりませんように、家族が平和
でありますように、自分の身が平和であります
ようにということから始まっているん
ですけどね。
               (翌日へ続く)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(16)

2013-02-22 08:30:07 | 祈り
      (前日から続く)
 別に祈らなくても、芸術でも何でも、結局
スーッとしてるっていうことは、そういう
高い所へ自分がいるというのと同じなんです。
 人間というのは気が付かないうちに、
一日のうちに、観音さんにもなれば、餓鬼道
にも落ちる。一日のうちに、怒りにふるえて
いる時もあれば、ニコニコしている時もある。
 その混じり合っているのを元へ還(かえ)す。
 何度も言いますけど、元の混じり合わない
きれいに澄んだ生命の所へ還すというのが
私の役目なんです。

 今、世界平和の祈りがどんどん広がって
いって、それを唱える人も勿論だけども、
見る人も光を受ける。中へ光が入る。
 自分が知らないうちに変えられて、自分の
内側から変えられていって、朗らかになって
穏やかな気持ちになる。そういう平和な気が
流れ、その人とつながる人が又平和に
なっていく。
              (翌日へ続く)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(15)

2013-02-21 08:58:37 | 祈り
      (前日から続く)
 しかし、やっぱりこの地上の生活を馬鹿に
してはいけないし、現実というものも馬鹿に
してはいけません。家族の中に悩みがあれば
共に悩んであげる、祈ってあげる。出来る
だけのことは全部してあげる。それはとっても
大事なことで、大事なことなんだけども、
もう一方ではキチンと祈って、神様の方へ心を
向けて、悲しみながらでもいいから、悩みながら
でもいいから、神様の方へ心を向けて、祈りの
時間を5分でも10分でも、御飯食べるように
持っていると、そうすると中から自分が
変えられてゆくんです。そして肉体波動だけ
ではない、もうみなさんすでに四次元波動
というものをもらわれたね。天から宇宙から
もらわれた。で、四次元だけが高い波動
じゃない、もっと上の波動があるんですね。
 その上の波動、どんどん高く高く、祈って
祈って祈っていくと、自然に澄み極まって
しまって、自分の心が穏やかになり、平和に
なって、平和なところから愛が生まれる。
               (翌日へ続く)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(14)

2013-02-20 08:04:23 | 祈り
      (前日から続く)
 南無阿弥陀仏だろうと南無妙法蓮華経
だろうと何でもいいんです。本当に祈って
祈って祈って祈り抜いた時には、真理の方が
ポンと向こうから自分の身体の中へ入って、
真理の光にとらえられて、守護霊守護神が
その人に適した世界へポンと連れていって
くれる訳ですよ。
 だから任せてしまえばいいんだけれど、
なかなかその任せるっていうことができない。
 自分の腕を見て、これは自分の腕だと思うし、
肉体見てこれ私だと思っちゃうから。ところが、
いつも申しますように、肉体というのは
上着ですね。肉体はあなた方の本体ではない。
 それをなかなか思えないから、これは消えて
ゆく姿なんですよ、すべて消えてゆく姿
なんですよと。そして、世界平和の祈りを
しましょうねと。そして祈りのハシゴを掛けて、
その大元の世界へ戻して行くということを
私はやって来た訳ですけどね。
                 (翌日へ続く)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(13)

2013-02-19 09:03:37 | 祈り
      (前日から続く)
 しかし、世界平和の祈りをして、五井先生を
呼んで、悪い世界へ行く筈絶対ないんです。
 死んだらいい世界へ行けるとか、悪い世界へ
行くとかというのは、これは想いが決定する
と言ってますけれど、そんなチャチな世界
じゃない。やはりこの世の中で、いつも
申しましたように、明るく素直に生きるという
ことがとっても大事です。暗くなりかけたら
その時に祈る。あ、いけないと思ったら祈る。
 祈ってスイッチを切り換える。渋滞したら
祈る。これをもう習慣みたいに、御飯食べる
みたいに祈ればいいんです。お茶飲む
みたいに祈ればいいんです。祈りというものは、
祈っただけで光が身体の中に総身(そうみ)に
入って来るものなんです。それが見えてる側
からすれば、ものすごくよく分かるんだけど、
肉体まとっている無神論、物質論者の人達から
すれば、そういう真実は隠されていますから…。
                 (翌日へ続く)