宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(12)

2013-02-18 08:48:08 | 祈り
      (前日から続く)
 地上の生活の中では、自分というものが
無くなっちゃったら困る訳ですけど、本当の
世界へ突入して行くと、自分というものが
有っても無くてもどっちでも構わない。
 何故かというと、神様と一つになる世界
なんだから。自分というものが必要に応じれば
出て来るし、必要がなければ出て来ない。という
のが本来の光の世界なんですね。だから
そういう所まで人間を、どんな人でも
神様は持って行くんです。そこまで修行
させるし、修行なんて思わなくてもそこまで
ちゃんと道案内して、守護霊や守護神、
いろんな人達があなた達を連れて行ってくれる。
 その連れて行かれ方というのは、みんな
千差万別ですけれども。
               (翌日へ続く)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(11)

2013-02-17 08:46:42 | 祈り
     (前日から続く)
 肉体というものの生命は、たかだか
50年か60年か、よく生きて80年か…
 人間の本体はそんなもんじゃないですから、
7,80年の生命は何ともないわけですね。
 私のように神様に生命を返してしまった
ということは、神様と一つになってる。神様
というのは、前にも言いましたように、
無限の供給、生命の供給なんです。

 ところが、無限の生命の供給というと、
永遠に生命が続いて死なないんだと。肉体の
生命がずっと続いて行くんだというように、
地上の生きている側からすれば、そういう想像
しか出来ないんですが、そうではない。
 自分の奥の奥の生命そのもの、本質的な
生命の時間がずーっと続くということです。
 余分なものがどんどん払われて、祈りと
自分が一つになって、祈りが自分なんだか、
自分が祈りなんだかわかんない。そこまで
世界平和の祈りを唱えて唱えて、そして、空を
突き抜けて、無を突き抜けて、光の中へ
突入しちゃうと、こりゃもう自分というものが、
その時どうでもいい訳です。
                  (翌日へ続く)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(10)

2013-02-16 08:18:17 | 祈り
      (前日から続く)
 しかし地上に生活していると、やっぱり
食べることが大事、寝ることが大事、本当に
大事なことで、忘れちゃ困るし、肉体を
可愛がってやらないと困るけれども。ただ
食べるため、お金をもうけるため、立場を
守るために肉体はあるんじゃない。現れて
いるんじゃない。肉体がすべてじゃない。
 その奥の奥に、本当に自由自在な自分という
存在がいて、その自分というのは神様と
キッチリつながっているということを
考えてゆきますと、何をなさなきゃいけないか、
何をしなきゃいけないかということになる。
 やはり徹底して自分を無くしてゆく時に
本当に大きな働きが出来る。それは自分が
させてもらえる。自分で何かをやろう
といっても何事も出来ない。何事かをしよう
とする時に、祈ってごらんなさい。祈ると
本当に思いもかけない道が開いて来たり、
それから思いもかけない援助が来たり、お金が
必要だと思っているとお金が入って来たり。
 でもお金だけが欲しいと思うと入って
来ないんです。お金だけが欲しいとか、地位
だけが欲しいとか、そういう欲というのに
からんで、それだけを欲しい欲しいと思うと、
来るかもしれないけれど、念の入ったものが
入って来る。体が痛んだり、病気になったり。

                  (翌日へ続く)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(9)

2013-02-15 07:39:26 | 祈り
      (前日から続く)
 そこのところを皆んな間違えてしまって、
あの人よりも私の方が何だかんだと判断
してしまう。その立場に持って行かれるのは
神様。その場所で一生懸命やりなさいと
させるのは守護の神霊なんですね。だから
その時いかに私を無くして素直になるか、
素直になって祈るかということによって、
すべてが決定してゆく。すべてが開いてゆく。
 祈って開いてゆかないことなんて全く
ないんです。ただ人間というのは、祈れば
すぐにも何か素晴らしいことが起こる
ように思う。我々天界の方から見てますと、
何千年何万年の計画の中の一コマとして
動かしているわけですから、例えば
一年二年の次元でこれがどうなるかというのは、
地上の見方なんですけども、我々の方から
見てますと、そんなもんじゃなくて、百年先に
これをどうしようかなっていうような会議が
あるわけですね。百年というのは、こちら側の
時間で言うと百日位のもんですね。
 そうするとそんなに長い時間じゃない。単に
時間が短縮されているということだけ
ではなくて、それ程生命の流れというのは
速いし深いし、質的なものなんですね。時間
というものも本質的なもので、生命という
ものも本当に深いものです。
                  (翌日へ続く)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(8)

2013-02-14 08:19:12 | 祈り
        (前日から続く)
 我々一人一人がそれぞれの立場で、そういう
生命というものを我々はいただいているんだ
ということを、この身に刻んでゆくのが
世界平和の祈りなんです。だから、分かろう
とか、分からないとか、このあたりだとか
いうのは、これは人間の判断なんです。
 この人間の判断というのは、時に応じて
とても大事なんですが。仕事が出来ない人に
うんと高い仕事を与えても無理で、能力の
ない人が企業のトップになったら
つぶれちゃいますから、そういう地上の
なかでの、そういう枠組の中での秩序
というのはやはり、ひっくり返っちゃ困ります
けれど、元々の人間の出来、不出来ということ
からすれば、不出来な人間なんてものは本当は
一人もいない。人間の本体というものが輝いて
いないということも一つもない。そういう所は
公平平等なんですね。とっても公平平等です。
                 (翌日へ続く)