宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(2)

2016-08-26 06:21:42 | 祈り
     (前日から続く)
 ところが、私がいつも言いますように、人間
というものは神様から分かれて来た生命
ですから、そこから考えると、神様が苦しむ
筈がないんで、流れて来た生命が苦しんでる
筈がないんです。そうすると、この世の中で
苦しんでゆくとか、悩んでゆくとかというのは、
じゃあ全く無意味なことを我々が
やってるのかっていうと、そうでもなくって、
この地球世界というものの、こういう粗い
波動を、我々はお掃除をしてですね、
宇宙天使と協力をして、いろんな霊人と
協力をして、皆を掃き清めてゆく。本当の
本来の姿に還(かえ)してゆくっていうのが、
これが元々の人間の一番の役割でありまして、
そこのところをみんな、私が私がとか俺が
俺がとか、どっちが上とかどっちが下とか、
そういう想いの習慣というか、この地上の
生活の中の一つの秩序というもので考えて
しまいますね。会社に行けば上役と部下
とか、病院に行けば院長と職員とか、そう
いう上下関係があるんで、どうしても
その立場でもって皆んな、ものを見てしまう。

 ところが人間の本当の立場というものは、
神様とつながっている。私の朗らかな生命、
さらさらと流れている生命、これが本当の
人間の立場でして、そこから結局は全部が
つながっていく。本当につながっていくべき
ものにつながってゆくということが本来
なんです。ところが、そのあたりがどう
しても皆さんが間違ってしまう。どうしても
習慣に把われてしまう。
            (翌日へ続く)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(1)

2016-08-25 10:57:41 | 祈り
 “水のようにさらさらと流れてゆく生命”
と書きましたけれども、生命というものは
元々さらさらと流れているものでして、そして、
さらさら流れてないなと思える時っていうのは、
地上生活の中で、やはり、いろいろな
柵(しがらみ)に苦しめられ把われ悩んでいる
時なんですね。
 そうするとその自分の生命が苦しむように
見えるけれども、本当は、生命そのものは
苦しみも何にもない。本当にさらさらしてて、
何にも汚れもついてないし、本当に真っ白で
きれいなものなんだけれども、ところが
それが悩んで苦しんでっていうのは、これは
自分の想いというものが苦しむんですね。
 自分の本体本心というものはちっとも
苦しまない。で、そこの所が、人間ってのは
肉体というものをまとって生きてる
もんですから、肉体をどうしても自分だと
思うし、気持ちの中から湧いてくるいろんな
想いというものを、どうしても自分の想い
だと思っちゃう・・・
            (翌日へ続く)

続 さやけき生命(9)

2016-08-24 09:42:53 | 祈り
       (前日から続く)
 例えば、守護神なんかが動く時は、肉体経験の
ないものが動いちゃうと、人間側の苦しみ
悩み辛さが、どこまでなのか分かりませんからね。
 そこに守護霊という肉体経験のあるものがいて、
守護神の働きを受けとめて流すという、この
コンビが人間の後ろについていないと、肉体が
即座に消えて無くなってしまうくらいの迫力ある
光を降ろしてしまう。それだとこの人間世界は
壊れていってしまうんですね。ですから、
この人間世界を壊さないようにしながら、
しかも超常識が降りて来て、そして、その
超常識を祈りの中で完成をしていく。
 一人ずつの生活を大事にしながら、超常識に
則(のっと)ってこの世界が変えられていく、
祈りによって変えられていく。そして、
いつの間にか平和になる。そういうところを
私達の魂はすでに目指しているし、私達の
本心は、そこに向かってすでに歩み始めている。
 そのことを覚えておいて頂けたら、大変
有難いと思います。

 実際に、そういう時期にもう突入をしていて、
私達が自覚をするしないに関わらず、そこに
向かって歩を進めている。天と地が一つになる、
天の私と地の私が一つになる。一つになって
大きな深い働きをする。その時期に皆さん
一人一人がもうすでに突入をしている。
 そうして、その働きの中で生まれて
来るものが、本当の愛と調和と平和に
満たされた、気の流れであり、これをさらに
広げてゆくということなんだという意識を
持っていただけたらいいと思います。
           「さやけき生命」後半 了

続 さやけき生命(8)

2016-08-23 06:36:07 | 祈り
        (前日から続く)
 だから皆さん方はその先兵(せんぺい)である
と同時に、そのことを通して魂が澄まされて行く。
 そして自分自身が朗らかになって、天の心を
私の心とするようになる。
 その天心というものが自分の中にあるんだ
と思って祈っていく時に、あなた方の天命
というものが、一歩ずつ深くなって、一歩ずつ
開いていく。時に応じてそれは本当に大きく深く
なってゆく。最初は一歩一歩でいいんです。

 無茶な目標をかかげすぎると、出来ない自分に
うんざりしたりしますから、限定をしないこと。
 自分に限定の枠を設けてしまうと、そこから
どうにもならなくなる。その枠の中でしか
動けなくなるんです。ところが、神様の枠
というのは無限大ですから、枠というものが
ありませんからね。
          (翌日へ続く)

続 さやけき生命(7)

2016-08-22 07:17:52 | 祈り
       (前日から続く)
 世界が平和であるようにという誰もが反対
出来ない、そういう言葉を祈り言(ごと)にした。
 これはいつも申しますように、こういう言葉が
祈り言になった宗教というのは他にないんですね。
 それは、誰が読んでも誰が見ても誰が聞いても、
子供が聞いてもお年寄りが聞いても、そんな
馬鹿なとも思わないし、こんなことを言ってとも
思わない。敵をつくらない、自分の本心に
たずねてみても、ああ本当にそうだなあと思える。
 それを私を通して神様が与えて下さった。
 ですからこれは、神様の祈(の)り言(ごと)
なんです。全部結集しているんです。

 皆んなが結ばれていく生命であって、皆んなが
引っ掛りのない生命であって、皆んなが障りの
ない生命である。この障りのない生命が、みんな
赦し合って生きていく時に、社会は本当に平和に
なってゆく。ですから、前にも言ったことが
あるんですが、自分の家族、一つの家族、この
一つの家族が平和になるように、お隣りの人が
平和になるように、お向かいの人が平和に
なるように、これをずっと広げてゆくと、
世界人類に押し広げなくてはならない。
 一人一人をずっと祈ってゆけばいいんでしょう
が、それを一言で言うと、世界人類が平和で
ありますようにという言葉に集約されて来ますよ
と、言ったことがありますが、実際、この
世界人類の中に自分も入っているんですね。人も
入っているんですね。
 そしてこの中には、何の反発も競争心も
起こらない、神様からのひびきが伝えられて来る。
 単なる願いのような弱いものじゃない、理想
でもない。向こうの世界では、もう現実そのもの、
大調和の世界というものがすでに出来上がって
完成している。それを今、地上に少しずつ少しずつ
確実に降ろして、本心に植え付けていく。そういう
ことを今やっているんです。
             (翌日へ続く)