宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

祈り一念に はげんで下さい

2019-08-11 12:12:47 | 祈り
国連で
世界平和の祈りの場が
持てたことで
また 
グローバルリンクが
各地で覚えられ
実行されたことで
神様の計画になる
世界平和の達成が今
この地上に降ろされようとしているのです

地球の霊的な地軸の修正
つまりは
すっかり
この地球をおおっていた
亡びへとむかわせるための
不安と絶望と悲嘆
それに
憎悪による
深い業想念
幽界波動というものを
宇宙神のもとに
心をひとつにして
帰ってゆく
祈りによってかえってゆく
私ども一人一人が
本来の
永遠の生命の流れに
身を託したところからはじまる
霊波動に切りかえてゆく

世界人類
一人のこらず
世界平和の祈りを実際知っている人も
知らない人も
何の区別もなく
すべての人の本心に
世界平和を希い祈る心をうえて
そして
すっかりこの地球を
大元の愛によって
再生しようとする
その最後の調整といいますか
神霊方との共なる修行に
昌美は今
アメリカで
命をかけて命を投げ出して
祈っているのであります

自分のいのちの
ありなしを恐れては
これは決して
出来ることではないのであります
しかし
昌美は
立派にこの神からの
使命を果たすでしょう
絶対の
神への信仰というものが
どんなものかを
昌美は今
身に心に
味わっているのです
そして私は
昌美の
一挙手一投足を
世界平和の祈りを唱え
光を送りながら
見守りつづけているのであります

ただ
以前と
ちがうことは
以前なら私一人が
すべての業を光にかえる働きを
しておりました
今また昌美は
たった一人で
この神からの使命を達成しようと
しているようにみえますけれども
そこに
世界平和を祈って下さる
みなさん一人びとりの
働きが
大きくまた深く
昌美を
助けていることを
申し上げて
おきたいのであります
つまり
この地球を平和にするための
ひとつの使命を
昌美はになって
アメリカに渡ったのでありましたが
それと同時に
私が先ほど申しましたように
今や一人びとりが
本心本体の自分自身と合体して
この地球を
幽界波動
業想念波動から
霊波動へと
かえていかねばならない
消えてゆく姿と
世界平和の祈りによって
一日もはやく
それは成し遂げられなければならない
という
大目的が
同時に果たされている
ということなのであります

世界平和の祈りを
行じて下さる
みなさんの働きによって
この地上は
大きく変化をして参りました
なおこれからも
幾多の波をかぶることが
あるやも知れませんが
すべてを
消えてゆく姿とみて
世界平和の祈りをなしつづけて
参りますときに
かならず
この地球は平和になり
天界の霊人
宇宙の兄弟たちと
心をたずさえて
神の愛と
平和の気を満たすために
その
進化の列に加わって
ゆくのであることを
申し上げて
益々
祈り一念にはげんで下さるように
お願い致します
それではどうもありがとうございました
      平成2年2月12日 記

※(西園寺)昌美:白光真宏会・現会長

すなおさが すべてを決定していく

2019-08-10 07:53:00 | 祈り
すなおさが
すべてを
決定していきます
自分にすなお
人にすなお
そして
神にすなおであること

ここで私が
すなお
といっているのは
自分の我に対して
すなおであれ
といっているのではありません

他人の
感情想念に
振りまわされる
というのでもないのです

自分にすなおというのはまず
自分の本心本体に対して
すなおということです
光の自分自身に対して
すなおであれ
ということです

どんな人でも
その本心はかがやいているのです
神界で生き生きと働いている
その人自身がいるのです

その人のいのち
というのは
とどこおることが
ありません
なぜなら 
みんな
神様から
わかれてきた
生命だからです
神様から
わかれてきた
霊だからで
あります

そのいのちの流れを
ずっと追ってゆくと
宇宙神の
愛のみこころふかくに
たどりつくのです

村田さんの霊界通信のなかに
木口さんが
五井先生のなか
とこたえているけれど
あれなのですよ
みんな
神様のなか
なのです

いのちというものは
そして
そのいのちの元となっている
混沌のなかから生まれ出た
大元の光というものは
この宇宙神のこころから
発せられたものであり
今もなお
発せられつづけて
いるのであります

みなさんが
生きているということは
だから
光のなかを歩いている
生きている
ということなのであります

神の光
すなわち愛があって
私どもは
生きつづけることが
できるのであります
神の愛に勝るものは
何一つありません
その大愛によって
すべては
つくられ
生かされているものなのであります

神は 
かってみずから語られたように
有ってあるもの
なのであります
私どもは
この神の愛をまとって
地上に降り立ったのでありましたが
いつか
この地球での生活が
つづくうちに
永遠の人類の進化にむけての
私ども自身の
精進努力
すなわち
祈りのうちに
神をよび求め
神をしたいつつ
この地上に働きをなしていく
という
大目的を
忘れてしまったのであります

この世というところは
肉体人間の出す業想念と
光とが
まじり合って
実に複雑なすがたになったのであります
一人や二人の聖者が出て
この地球を救うというような
そんな生易しい事態では
なくなってしまったのです

今や
私ども一人びとり
人類一人びとりが
その本心本体の自分自身
霊界神界に働いている
自分自身に目をとめ
本来の人間の相(すがた)に
深く想いを致して
何があっても
神のなかに
大元の光のなかに
久遠のいのちのなかに 
自分自身をいったんかえし
そしてそこから
世界平和の祈りによって
新しくされた
私ども自身を用いて
その私どもの祈りを用いて
急速に地球を光明化しなければ
ならない
と言う時代になったのであります

自分だけが助かりたい
他の人は
どうでもいい
もはや
そんな悠長なことをいっていられる
時代ではなくなったのであります

大体
人類は
神様という大愛の根から分けられてきた
存在なのでありますから
相食み
相争う
という姿自身
神から遠くはなれた姿なのであります
そして 
これさえも
過去世の業の消えてゆく姿として
世界平和の祈りのなかに
自分自身を投げ込みますときに
一切は消えてゆくのであります
それは神の大愛によって
消えてゆくのであります

すべての人々は 救われていく

2019-08-09 12:38:41 | 祈り
私は
神の前に
いのちを投げ出して
朗らかになった

消えてゆく姿と世界平和の祈り
によって
この地球の
すべての人々は
救われていく
という
神の大愛の言葉を
うけたとき
私の心はよろこびにあふれ
そして
本当にやすらかになった

世界は神の愛のもとに
平和になり
神の愛と
智慧と
ゆるしの光とが
この地上を支配していく

神からわかれてきた
神の光のすえである
我々人類が
その霊性に目覚め
神の愛の結晶である
世界平和の祈りを唱えてゆくとき
光は
宇宙で
我々に光を送りつづけている
沢山の兄弟たちのこころと
呼応して
つよめられてゆく

世界平和になり
人類は
神の智慧の光の一すじとしての
永遠の無心の進化の歩みを
はじめるときが
きたのである

世界人類が平和でありますように

すなおな心で 無心に祈る

2019-08-07 08:17:24 | 祈り
つよさと
やさしさは
神の心
神の愛
そこには
自分だけを守ろうとする心は
みじんもない

神の光をあびた
つよさと
やさしさとは
この世界に生きる
すべての人々の
天命を完うさせずには
おかない

この神の
つよさと
やさしさとを
あらわしたものが
消えてゆく姿で
世界平和の祈りなのだ

友よ
平和の祈りは
いつも
君のなかにあって
君の本心に鳴りひびき
美しい光明は 
絶えることなく
その肉の身から
放射されている
いや
君は
君たちは
すでに霊人なのだ
この現界と
神界霊界幽界をつらぬいて
神のみこころのなかに生きる
君たちは
霊人なのだ

肉体人間の君が
たとえ
迷いの波を出しても
私の名を呼び
世界平和の祈りを唱えるとき
君がどこにいても
光は
君のところに届くだろう

神は
肉体人間が
幾百度幾千度
自分をはなれても
かならず
極みのない愛で
その人々を
光の住者にすることを
誓われたのだ
そして私が
神様から預けられたのが
消えてゆく姿で世界平和の祈り
だったのだよ

君よ
人間にとって
一番大事にしなければならないのは
すなおな心で
無心に祈るということだ
その時間がながければ
ながいだけ
その人自身は
透明になる
もともと
人は
すきとおっていたのだから
そこへかえってゆくだけなのだが
一口にそういっても
無心に祈ってゆく
その段階は
すきとおるその段階は
いくつもいくつも
あるんだよ
上下関係じゃない
本心とともに祈る
ぴったりよりそって祈る
ということのむずかしさだ

心を澄ましていく
ということが
統一のなかでは最も求められることだ
けれども
統一なんてことをあまり考えずに
ということはどういうことかというと
ただとにかく
世界平和のなかに入る
ということが
大事なんだ

電車のなかで
バスのなかで
歩きながら
何処でも
祈りを唱えることはできる
君が祈りを唱えるとき
即座に
そこに
祈りの座がととのえられるんだ
霊眼でみれば
そうなんだよ

かって私が歌に詠んだように
世界平和の祈りを祈ると
たちまち
その人は光につつまれる
無碍光
無限の神のゆるしと智慧の光に
つつまれてゆくんだ
そしてそのとき
その人自身は
自覚するしないにかかわらず
光の世界の住者なんだよ
だから
祈りは決して
かたちではないんだよ
形式じゃないんだよ

君たちが
祈って
そのスイッチを
神様に合わせれば
神様のところまで
のぼってゆく
実際
そんなふうに出来ているし
そんなふうになってるんだ
ただ
そうするには 
すなおな心で
無心に祈るということが
さっきもいったように
必要なんだ

私なんか
自分なんかという
肉体にまつわる
我を出していると
なかなか
のぼってはいけないんだ
人間はもともと
そんな存在じゃないんだからね
だけど
なかなか
今の君たちは
そういうふうに思いなさいといったって
とてもむずかしかろうというんで
世界平和の祈りがあるんだよ

消えてゆく姿で世界平和の祈りを
行じてゆくと
実に無理なく
人間は
人間の本来の光のなかで
働くことが
できるのだ
だから
世界平和の祈りをいつも唱えて
私の名前を呼びつづけてごらん

いつの間にか君たちは自分自身が何ものをも
つらぬいていく
神の愛に
結ばれている
朗らかな
一すじの光であり
いのちであるということを
しることができるだろう
       平成2年2月12日 記