中年おじさんの散策part2-3

東京都内・海外の散策を楽しんでいる叔父さん。いろいろなところを散策し記憶として記録しています。よろしかったらご覧ください

散策 「東京郊外-89」 八幡八雲神社

2022-08-29 06:35:07 | 東京郊外

このブログは「中年おじさんの散策」3の継続版です 

この企画は 私が引率します sosamu@ya2.so-net.ne.jp

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ) https://blog.goo.ne.jp/sosamu25

 

八幡八雲神社(はちまんやくもじんじゃ)

八幡八雲神社(はちまんやくもじんじゃ)は、八王子市の中央部に位置した神社で、八幡神社と八雲神社を合祀したものです。

八幡神社の創立

八幡神社の創立は延長2年(924年)、武蔵盛隆泰が国司の時、此の地へ石清水八幡宮をまつり、国土安全を祈願したのが当社の起源です。
その後、隆泰の長子、小野義孝は武蔵権之守に任ぜられて当地に来り、父の遺志を継いで八幡宮を再建し、任期が満ちたので此地に永住することとなったのです。
そしてまず小野氏を横山氏と改め、追々当地を開拓し、遂に一村落を形造り横山村と呼びました。

横山神社について

義孝は八幡宮を中心に祭政一致を行ないました。
この人が武蔵七党の一つである横山党の始祖で横山義孝と申す方であります。
八幡神社は実に、八王子草創の神で、当時は横山之庄(八王子を中心に方数里)の総鎮守でありました。
境内にある横山神社は開祖横山義孝公を祀った社で、その創立は建保年間(1213〜1218年)であります。

 

八雲神社の創立

八雲神社は、俗に天王様と申し、延喜16年(916年)大伴妙行が、深沢山(元八王子城山の古い名称)の頂上に奉斎し、天正年間、北条氏照が此山に城を築いてから氏神として崇敬しました。
天正18年(1590年)6月落城の時、城兵は天王の神体を奉戴し、川口村黒沢の地に密かに逃れ、北条残党の氏神として崇敬していました。
慶長3年(1596)6月、大洪水のため神体は流失し、遂に八王子新町の北なる板谷ヶ淵に漂着しました。
暗夜に御光を放ち現れた神体を、6月13日未明新町百姓五兵衛という者が之を発見し、自宅土間の臼上に移しました。
その後初穂の小麦を煎って供物とし、朝夕礼拝している内、或夜夢の中に不思議な神勅を受け、宿長の長田作左衛門の助力を乞い、八幡の社内に遷座しました。

その後

それから承応2年(1653年)に至り、八幡宮と棟を並べ社殿を建て、世に両社と尊崇され、長く当地の氏神となったのです。

 

 

 

20181122 東京郊外 像・紅葉

東京都八王子市横山町      

 八幡八雲神社

 八雲神社は、俗に天王様と申し、延喜十六年(九一六)大伴妙行が、深沢山(元八王子城山の古い名称)の頂上に奉斎し、天正年間、北条氏照が此山に城を築いてから氏神として崇敬しました。天正十八年(一五九〇)六月落城の時、城兵は天王の神体を奉戴し、川口村黒沢の地に密かに逃れ、北条残党の氏神として崇敬していました。 慶長三年(一五九七)六月、大洪水のため神体は流失し、遂に八王子新町の北なる板谷ヶ淵に漂着しました。暗夜に御光を放ち現れた神体を、六月十三日未明新町百姓五兵衛という者が之を発見し、自宅土間の臼上に移しました。その後初穂の小麦を煎って供物とし、朝夕礼拝している内、或夜夢の中に不思議な神勅を受け、宿長の長田作左衛門の助力を乞い、八幡の社内に遷座しました。hpより

 

 

 

 

 

 

 

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