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テレビ東京「よじごじDays」 提供した資料④  中華街でクイズ(謎)等に使えそうな物

2024-12-31 07:19:53 | 散策記録

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中華街は、中華街の魅力を、最近の中華街は中年おじさんの散策part2-ご覧ください。

私のもう一つの趣味、山登り(過去の記録をまとめています)。山好きおじさんの部屋 もご覧ください

 

中華街でクイズ(謎)等に使えそうな物

➀なぜ中華街の道は斜めなのか}

「答え」 中華街は「吉田新田」と言う開拓された田圃だった
「豆知識」    
・現在でも地盤は弱くも地下を作っている建物は少ない。

 「資料」 https://www.chinatown.or.jp/feature/history/vol01/
はじめに上の地図を見てみてください。海岸線を基準に、平行または直角に道が作られている横浜の町のなかで、中華街だけが斜めになっているのがわかります。なぜ、中華街だけが、このように斜めになっているのでしょうか?
“風水思想に基づいて中国人が造成した”という説もありますが、じつはこれは間違いで、土地の造成と街路整備はもともと日本人によって進められたものです。では、なぜここだけが斜めのままなのか? なぜここに中華街ができたのか? 理由は3つありました。
横浜開港資料館、伊藤泉美さんの調査研究で明らかになってきた本当の理由。その謎解きには、横浜が開港した150年ほど前にまでさかのぼる必要があります。
安政6年、1859年に描かれた「神奈川御開港横浜絵図」(横浜開港資料館所蔵)。横浜新田が川と堀に囲まれているのがわかる。

土地の高低差
1858年、日本はアメリカを皮切りに、イギリス、フランス、オランダ、ロシアと通商条約を結び、横浜を開港します。それと同時に、港の近くに外国人が住むことを認め「外国人居留地」を作りました。開港から数年で、海岸に近い土地は各国の商館で埋まり、背後に広がる土地が急ピッチで整備されていきます。そのひとつが「横浜新田」と呼ばれる、この斜めの一角、現在の中華街のエリアでした。
開港当時の地図を見るとわかるように、現在の元町と中華街の間の「堀川」に向かって、細い水路が流れています。当時はこの水路を境に、海側の土地と横浜新田とは高低差があったようで、その隔たりが、このエリアと周囲とを分断していたのです。この地形的要因が、ひとつめの理由です。

立ち退きを迫られた村民の思い
理由その2は、横浜村の村民たちの思いにありそうです。
横浜新田が「外国人居留地」に指定されたとはいえ、当然ながら元々この土地に住んでいた横浜村の村民がいます。土地は幕府に召し上げられ、村民たちには代償として、立ち退き一時金と毎年の保証金が与えられました。その額は、土地の広さに応じていたといいます。となると、むやみに区画に手を加えてしまうと、各村民の給付金の査定が狂ってしまいます。元々の田畑の形を残しておく必要があったのではないでしょうか。

 

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