羽花山人日記

徒然なるままに

迷子

2025-02-19 19:57:23 | 日記

迷  子

今日の天声人語に、認知症による行方不明の話が取り上げられていた。それにしても、年間1万9千人の行方不明者というのは、ずいぶん多いなと思う。

この話を読んで、わたしは母のことを思い出した。

両親が高齢になってから、冬の厳寒期だけ、わたしは両親を松本から呼び寄せていた。

東京から茨城に勤務地が変わるのに伴って、両親も冬の間茨城で一緒に暮らすことになった。

茨城に住み出して間もない日、母が保護されているので迎えに来て欲しいと勤め先に警察から電話があり、カミさんが当日留守だったこともあって、急遽言われた所に駆け付けた。

自宅から500mほど離れた雑貨店の店先に、お巡りさんと一緒に母は立っていた。買い物に出て帰り道がわからなくなり、その店に助けを求めたらしい。わたしの名前と勤め先を言うことができたので、わたしに連絡を入れたということだった。

お巡りさんから別れ際に、「お母さんを叱ってはいけませんよ。」と繰り返し言われた。

自宅に帰ると、母は激しく泣き出した。あんなに号泣した母を見たのはその時1回だけである。

当時は母は82歳で、以前から少し認知症的なところがあった。今考えると、東京から茨城へと居住地が変わった環境の変化が、症状を少し進めたのかもしれない。

しばらくして、もう1回買い物の帰り道に迷子になったことがあって本人も自覚し、カミさんと相談して、買い物を一カ所だけ角を曲がれば到着できる小型のスーパーマーケットに限定することにした。

3回くらいカミさんが同道し、一人でも行けることを確認して、あとは本人の自由に任せた。

わたしの研究室からその通り道を見下ろすことができ、時々母が買い物に行く姿を見かけた。

自宅とそのスーパーの間に、稲荷寿司や団子を売る店があり、母は帰り道お土産に買ってきた。道路からその店先まではちょっと上り坂になっていて、母がお店の前に立ち止まると、店員さんが道路まで下りてきてくれて注文を聞き、品物を渡してくれた。

高齢になってから異郷の地に来て、話し相手もなく、買い物が母にとって唯一の楽しみだったろう。

30年以上も前の話である。母が通っていたスーパーマーケットはなくなったが、お稲荷さんを売る店は続いていて、その前を通ると母の買い物を思い出す。

 

自宅ベランダから撮影

 

STOP WAR!

コメント (3)
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