羽花山人日記

徒然なるままに

ラジオ

2025-02-08 21:37:36 | 日記

 ラ ジ オ

今日の朝日新聞「声」欄はラジオについての特集だった。

その中の一つ、兵庫県の奥井淳一さんの投書には、同じ世代だけに、わたしに共通する思いが書かれている。

子どもの頃の思い出で残っているのは、『鐘の鳴る丘』と『笛吹き童子』の主題歌だろう。今でもメロディーと歌詞を覚えている。しかし、放送劇の方は毎回聞いていたはずだが、内容は覚えていない。

一番印象的だった放送は、やはり1945年8月15日の「玉音放送」だ。

夏の暑い日だった。天皇の放送ということで、母・姉妹とともにラジオの前で正座していた。ちょうどその時来客があり、母が「今天皇陛下の放送があるので待っていて欲しい」といったところ、男の方だったが、玄関先で直立不動の姿勢で放送が終わるのを待っていた。

その方も含めて、放送の内容は誰も理解できなかった。軍国少年だったわたしは、「一億火の玉で戦おう」といったと勝手に解釈していた。父が帰ってきて日本の敗戦を聞かされ、泣き出したことを覚えている。

奥井さんは今でも「ラジオっ子」らしいが、わたしは耳が遠くなったこともあって、ラジオを聴くことはほとんどなくなった。

乗せてもらった車でラジオの放送が聞こえると、懐かしい気持ちになる。

 

納  豆

総務省は、全国の県庁所在地と政令指定都市を対象にした去年1年所帯当たりの納豆購入額を発表した。

それによると、一位は福島市の7830円で、以下秋田市、青森市、盛岡市と続き、わが水戸市は前年より177円増加したが、6627円で順位を二つ下げ五位に甘んじた。

水戸市は、2022年に7月10日を「納豆の日」とする条例を制定したが、ライバルの福島市の方は毎月10日を納豆の日にしているらしい。

わが家ではほぼ毎朝納豆を食べている。年間の購入額は概算で17200円と、福島市をはるかに上回っている。

ひいきにしているのがタカノフーズ(おかめ納豆)の「ふわりん」。その名の通り、フワッとした小粒の納豆で、かき回しやすい。トッピングは、和がらし、きざみネギ、小魚、もずく、ひじきと盛り沢山で、混ぜ合わせるのにフワッとしているので都合がいい。

ひじきのトッピングは去年痛風の診断を受け、参考文献にひじきが推薦されていたので付け加えることにした。

納豆は健康食品として評価の方は国際的に高いが、評判の方はその匂いが原因で低迷している。

前にも書いたことだが、パラグアイの大豆の研究者に、これが食べられなければ大豆の専門家とは言えないと無理に食べせたら、口に入れたとたんに部屋から外へ飛び出していった。


STOP WAR!


コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 癒す | トップ |   
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (寺井)
2025-02-09 07:38:14
8月15日のこと、身にピリピリ染み込むほどに思い出しました。
納豆は外国人にはかなり厳しいですね。ルイスもとても無理、食べられません。
返信する
Unknown (kamijimaakio)
2025-02-09 09:20:23
1945年8月15日の「玉音放送」は、疎開先の親戚の村の広場で村人と一緒に姿勢を正し聴いたのをはっきりと覚えています。誰も負けたと言えず解散しました。
納豆は、私は大好きですが、家内は関西人なので時々食べる程度です。私一人でよく食べますね!
返信する
Unknown (天野明)
2025-02-09 09:59:55
玉音放送は疎開先の高遠町の叔父の家で聴きました。
今でも陛下の声と共にはっきり記憶しています。やっと両親と無事に会える喜びもありました。
私も納豆は大好物です。東京での幼小時耳にした納豆売りの「納豆」「納豆」の売り声は印象に残っています。当時は藁に入った納豆でした。
返信する
Unknown (山人)
2025-02-09 22:02:50
8月15日という日は、それまでの歴史がそこに濃縮されて、そこから新しい歴史が展開していくという歴史の結節点だったんですね。
納豆を最初に食べた人は勇気があったのか、それとも日本人には納豆臭を受け入れる素地があったのか。わたしは納豆に抵抗感を覚えたことがありまあせん。
返信する

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事