絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

オベリスクの答え

2009-06-23 | 美術
いろいろ教えてくださったみなさんありがとうございました。

どうも、どこから持って来たかは、明らかではないようです。
一説には、オクタビアヌスの時代にアレクサンドリアにあったオベリスクではないか?という情報がありました。
しかし、カリギュラが持って来たという説もあります。

ただし、ヒエログリフがないので神殿のものではなく、ローマ時代にエジプトの石を切り出して、その場で形を作らせたという考えもあるそうです。

カリギュラは、一時期ローマの首都をアレクサンドリアに移したいと言ったという話もあるので、カリギュラが命じて作らせて、ローマに運んだというのが、可能性としては高いかなと思いました。
カリギュラは、それをカリギュラ広場に立てたと言います。
カリギュラ広場は、今のサンピエトロ大聖堂が建っている辺りのようです。

それを、ルネッサンスの時代に、今の位置に移動した。移動させたのは、シクストゥス5世だとか?サンピエトロ大聖堂の建築のために移動したのでしょうか。

サンピエトロ大聖堂の改築は、ユリウス二世がブラマンテに命じて始めましたから、それより前の段階でしょうね。
オベリスクを良く見ると、その上に十字架があるようです。ということは、カリギュラの時代であるわけがないですから、キリスト教が認められた後の時代に、これが取り付けられたと考えます。
どちらにしても、運んできたのが、カリギュラなら、その後の時代に移動したり、十字架がつけられたりということが行われたのですね。

はっきりしたことは、わかりませんが、ローマ皇帝が力を誇示するために、オベリスクを持ってきて立てた。後には、キリスト教の力を誇示するために、その上に十字架を付けたということが考えられると知りました。

オベリスクは、ピラミッドの代わりのようなものですから、ピラミッドの上に十字架を立てたら、古代からの偉大なものの上にキリスト教が君臨するような感覚になったかもしれません。

いろいろ勉強になりました。



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