ロゼッタストーンは、ナポレオンの軍が発見しました。
そのままナポレオン軍が、持ち帰れば、これは、今頃ルーブル美術館に飾られていたでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/2c/63d977bcbc171961f4703519ad197c2a.png)
しかし、発見した後、エジプトでイギリスのネルソンの軍隊と戦争になり、ナポレオン軍が負けます。そのときに、このロゼッタストーンを奪われたということです。
この頃は、発見した国が持ち帰って良いという取り決めになっていたようで、ネルソンの軍隊が自分の国イギリスに持ち帰ったので、今、ロンドンの大英博物館にあるのです。
ーーー
このロゼッタストーンは、三つの言葉が書かれています。
一番上は、エジプトの古代文字ヒエログリフです。
二番目は、エジプトの民衆文字デモチックです。
三番目は、ギリシャ文字です。
発見された場所がロゼッタという地名なので、ロゼッタストーンと呼ばれています。
ナイル川の河口三角州にあるロゼッタです。
三種類の文字で書かれていることから、これは、英文和訳のような翻訳文ではないかと思われます。下のギリシャ文字は時代が新しいので、読めます。同じ内容なら、他の二つも解読できるのではないかと解読競争が行われました。
最初に成功したのが、フランス人のシャンポリオンでした。
イギリスのネルソンに負けた悔しさをフランス人の意地で翻訳競争に勝って晴らしたといわれます。
ギリシャ文字を読むと、クレオパトラという文字とプトレマイオスという文字が見つかります。
ということは、この石が作られたのは、エジプトの末期ということがわかります。
しかし、あの有名なクレオパトラではありません。
クレオパトラと言う人は、7人いました。
ローマのシーザーと結婚したクレオパトラは、7代目です。
このロゼッタストーンは、大きさ的には両手で抱えられるくらいの物です。
発泡スチロールでできていれば持ち上げられます。
私が行ったときには、手で触れるように置かれていました。
今は、ガラスのケースに収まっているようです。
そのままナポレオン軍が、持ち帰れば、これは、今頃ルーブル美術館に飾られていたでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/2c/63d977bcbc171961f4703519ad197c2a.png)
しかし、発見した後、エジプトでイギリスのネルソンの軍隊と戦争になり、ナポレオン軍が負けます。そのときに、このロゼッタストーンを奪われたということです。
この頃は、発見した国が持ち帰って良いという取り決めになっていたようで、ネルソンの軍隊が自分の国イギリスに持ち帰ったので、今、ロンドンの大英博物館にあるのです。
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このロゼッタストーンは、三つの言葉が書かれています。
一番上は、エジプトの古代文字ヒエログリフです。
二番目は、エジプトの民衆文字デモチックです。
三番目は、ギリシャ文字です。
発見された場所がロゼッタという地名なので、ロゼッタストーンと呼ばれています。
ナイル川の河口三角州にあるロゼッタです。
三種類の文字で書かれていることから、これは、英文和訳のような翻訳文ではないかと思われます。下のギリシャ文字は時代が新しいので、読めます。同じ内容なら、他の二つも解読できるのではないかと解読競争が行われました。
最初に成功したのが、フランス人のシャンポリオンでした。
イギリスのネルソンに負けた悔しさをフランス人の意地で翻訳競争に勝って晴らしたといわれます。
ギリシャ文字を読むと、クレオパトラという文字とプトレマイオスという文字が見つかります。
ということは、この石が作られたのは、エジプトの末期ということがわかります。
しかし、あの有名なクレオパトラではありません。
クレオパトラと言う人は、7人いました。
ローマのシーザーと結婚したクレオパトラは、7代目です。
このロゼッタストーンは、大きさ的には両手で抱えられるくらいの物です。
発泡スチロールでできていれば持ち上げられます。
私が行ったときには、手で触れるように置かれていました。
今は、ガラスのケースに収まっているようです。
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