印象派を考える時の、材料としてそれ以前の絵画を考えることは、大切なことだと思います。なぜなら、それ以前の絵画に対して出てきたからです。
ルネッサンスをかんがえる時も、それ以前の時代がどうであったかと、比較することで、ルネッサンスとは何であったのかという捉え方になると思います。それと同じことですね。
ルネッサンスの場合は、塩野七生さんは、「飽くなき探求心」という言葉で表しています。そうなると、それ以前の中世の時代は、その探求が許されない時代だったのかもしれませんね。キリストが海の上を歩いたとか、死んだ後復活したとか、水をぶどう酒に変えたとか、いろいろな不思議がありますが、それをおかしいと疑うことが許されない時代だったのに、その疑問を疑問として、考える時代になたということでしょうか。だから、地平ではなく地球ではないかと大航海時代が始まるとか、常に、なぜだなぜだと言い続けるレオナルドのような人間が出てきたり、それでも地球は回ると言ったガリレオがでてきたりということになったのでしょう。
話を元に戻しますが、印象派も、それ以前の時代に対して出てきた。
だから、それ以前がどうであったかを知る必要があるのです。
ただ、それ以前に対するという考えと共に、それ以前からその先駆けがあったということも知っておく必要があります。
ーーーーーー
先日、アングルについて語った時、多視点の絵画という意味で、セザンヌを先駆けているという話をしました。そう考えたら、それは印象派どころか後期印象派やキュービズムの先駆けだったわけですよね。
印象派の先駆けとしては、私がすぐに思いつくのは、ターナーです。先日コンスタブルの絵画がドラクロワに影響を与えたと言いましたが、そのコンスタブルと並んでイギリスの風景画家を代表するのが、このターナーです。
ターナーの絵は、霧に霞んだような表現で有名ですが、その靄がかかったような状態は、空気を描いていることになります。それまでの絵画では、ほとんど扱われていなかったものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/db/6a5c337bbaa4119d9cf1609b8716219a.jpg)
レオナルドダビンチが空気遠近法を発明して、空気に霞んだような遠景を描きましたが、それは、本当に見えるとおりに描きたいという探求心から発見した技法でした。しかし、それは、時間とともに変化する自然の空気という意味ではありませんでした。ターナーのそれは、自然はいろんな様相をみせるものだという時間も含めて変化する自然を扱っているように見えます。その点が印象派を先駆けています。
また、もう一人思いつくのが、フランスハルスです。筆のタッチです。印象派は、筆のタッチで絵を描きました。筆の味ですね。
それを感じさせる絵があります。ハルスのジプシー女の洋服の描き方です。本来なら、質感を求めて、徹底的に細かい明暗まで描き込む必要がある絵画ですが、それをまるで描きっぱなしのような筆の跡を残して、そのままです。しかし、それがなかなかいいんですね。それこそ、筆の味です。その点が印象派の筆触分割に通じる部分です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/8d/20ca7cbada76ee8abd10219f28cf69dd.jpg)
もう一つ、これは私だけかもしれませんが、ベラスケスのラスメニーナスの自画像の部分の手に持った筆の描き方にもそれを感じます。離れてみると分かりませんが、筆を描いている部分は、近づくと、ただ絵具がくっついているだけです。筆に見えません。しかし、離れると筆に見えます。そういう表現は、古典技法では許されないものだったはずです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/25/d72ff160be0e331763e273b8f436aeea.jpg)
それに通じるのが、モネの「印象日の出」です。水の上に黒い絵具が着いています。なんだかわかりません。しかし、離れてみるとそれが、手漕ぎボートの上に人が立って漕いでいるように見えます。そのことと似ています。それまでの絵画は、人を描くなら、例え小さくても、目鼻口などをしっかり描いて近づいて見ても人だとはっきり分かるように描くのが常識でした。それを、モネは、絵具をくっつけただけで済ませました。そのことと似ています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/61/80f0ac2fd99a7f7168bd076a083e6257.jpg)
まだまだ、印象派の先駆けだと言われる絵があると思いますが、とりあえず、いま思いつくものを書いてみました。
そうだ、クロードロランの港の風景も印象派的なテーマですね。クレオパトラの上陸などという絵がありますよね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/00/b7773cbda5a29ffbc0dd396feb8c288e.jpg)
ルネッサンスをかんがえる時も、それ以前の時代がどうであったかと、比較することで、ルネッサンスとは何であったのかという捉え方になると思います。それと同じことですね。
ルネッサンスの場合は、塩野七生さんは、「飽くなき探求心」という言葉で表しています。そうなると、それ以前の中世の時代は、その探求が許されない時代だったのかもしれませんね。キリストが海の上を歩いたとか、死んだ後復活したとか、水をぶどう酒に変えたとか、いろいろな不思議がありますが、それをおかしいと疑うことが許されない時代だったのに、その疑問を疑問として、考える時代になたということでしょうか。だから、地平ではなく地球ではないかと大航海時代が始まるとか、常に、なぜだなぜだと言い続けるレオナルドのような人間が出てきたり、それでも地球は回ると言ったガリレオがでてきたりということになったのでしょう。
話を元に戻しますが、印象派も、それ以前の時代に対して出てきた。
だから、それ以前がどうであったかを知る必要があるのです。
ただ、それ以前に対するという考えと共に、それ以前からその先駆けがあったということも知っておく必要があります。
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先日、アングルについて語った時、多視点の絵画という意味で、セザンヌを先駆けているという話をしました。そう考えたら、それは印象派どころか後期印象派やキュービズムの先駆けだったわけですよね。
印象派の先駆けとしては、私がすぐに思いつくのは、ターナーです。先日コンスタブルの絵画がドラクロワに影響を与えたと言いましたが、そのコンスタブルと並んでイギリスの風景画家を代表するのが、このターナーです。
ターナーの絵は、霧に霞んだような表現で有名ですが、その靄がかかったような状態は、空気を描いていることになります。それまでの絵画では、ほとんど扱われていなかったものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/db/6a5c337bbaa4119d9cf1609b8716219a.jpg)
レオナルドダビンチが空気遠近法を発明して、空気に霞んだような遠景を描きましたが、それは、本当に見えるとおりに描きたいという探求心から発見した技法でした。しかし、それは、時間とともに変化する自然の空気という意味ではありませんでした。ターナーのそれは、自然はいろんな様相をみせるものだという時間も含めて変化する自然を扱っているように見えます。その点が印象派を先駆けています。
また、もう一人思いつくのが、フランスハルスです。筆のタッチです。印象派は、筆のタッチで絵を描きました。筆の味ですね。
それを感じさせる絵があります。ハルスのジプシー女の洋服の描き方です。本来なら、質感を求めて、徹底的に細かい明暗まで描き込む必要がある絵画ですが、それをまるで描きっぱなしのような筆の跡を残して、そのままです。しかし、それがなかなかいいんですね。それこそ、筆の味です。その点が印象派の筆触分割に通じる部分です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/8d/20ca7cbada76ee8abd10219f28cf69dd.jpg)
もう一つ、これは私だけかもしれませんが、ベラスケスのラスメニーナスの自画像の部分の手に持った筆の描き方にもそれを感じます。離れてみると分かりませんが、筆を描いている部分は、近づくと、ただ絵具がくっついているだけです。筆に見えません。しかし、離れると筆に見えます。そういう表現は、古典技法では許されないものだったはずです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/25/d72ff160be0e331763e273b8f436aeea.jpg)
それに通じるのが、モネの「印象日の出」です。水の上に黒い絵具が着いています。なんだかわかりません。しかし、離れてみるとそれが、手漕ぎボートの上に人が立って漕いでいるように見えます。そのことと似ています。それまでの絵画は、人を描くなら、例え小さくても、目鼻口などをしっかり描いて近づいて見ても人だとはっきり分かるように描くのが常識でした。それを、モネは、絵具をくっつけただけで済ませました。そのことと似ています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/61/80f0ac2fd99a7f7168bd076a083e6257.jpg)
まだまだ、印象派の先駆けだと言われる絵があると思いますが、とりあえず、いま思いつくものを書いてみました。
そうだ、クロードロランの港の風景も印象派的なテーマですね。クレオパトラの上陸などという絵がありますよね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/00/b7773cbda5a29ffbc0dd396feb8c288e.jpg)
しばらく金縛り状態になった思い出があります。
ジプシー女の目もとや口もとが動いて、
話し声や周囲のざわめきが聞こえてきました。
蝋人形みたいな名画とはまったく違う、
「生きている女性」を描いた画家の眼は、
フランス・ハルスだけのモノなんでしょう(^^”
私が「美味倶楽部なかまち」というお店に人物を飾っておいたら、その絵の目が動いたと言われました。子供が怖がるので、人物はやめて風景にしてもらえないかと言われました。
それ以来、人物は控えています。
なおさら人物画に打ち込むべきです。
それから「さま」はご勘弁のほどを・・・
恥ずかしながら、
エコール・ド・パリの無名画家気取りです(^^”
私はエコール・ド・本庄ができたらいいなと思っています。
絵を学びたい人は本庄へ行こうとなったらいいなと。
本庄第一はそうなりました。絵を学びたい子が続々と集まってきます。
通信とデッサン会もそうなりつつあります。