長野オリンピックのジャンプ競技で、選手が飛ぶ前にテストジャンプをする人たちの話をNHKでやっていた。
私は、初めてこの話を聞いて、こういう話は道徳の教科書に載せてほしいなあと思った。
ジャンプ競技をするには、選手が飛ぶ前に、テストジャンパーが飛んで、雪を固め選手が飛びやすくするということが必要である。それをやる人たちは、本来なら自分が選手として出場したい人である。しかし、代表として選ばれなかった人たちなのである。
しかし、この人たちがいなければ、競技は始まらない。
彼らの心境はというと、出られない屈辱、試しに飛ぶというモルモット的役割という気持ちがあるという。これは、実際にやっていた人の言葉である。
ーーーー
長野オリンピックのとき、1回目が終わって日本は4位だった。前回のオリンピックの悪夢がよみがえるかのようだった。それは、原田の失敗である。
原田という選手は、三振かホームランかという人で、すごいときと駄目な時の差が激しいのだという。そのために、前回のオリンピックでは、金メダル直前で失敗し、銀メダルに終わった。二位との差が大きく、105メートル飛べば金メダルということだったのに、75メートルで、銀になってしまったのだ。
そのことで、チームに迷惑をかけ、日本中からバッシングを受けたと聞いた。自宅にまで嫌がらせがあったという。
もし、原田が105メートル以上飛んでいたら、そのときのメンバーは金メダリストなのだ。それを思うと原田は仲間に済まないという気持ちで一杯だったという。
長野オリンピックのテストジャンパーは、25名。その中に、その銀メダリストの西方がいた。
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一回目が終わって、日本は4位。天候が悪化して、競技の続行が検討された。もし、このままの天候なら、それで終わりということもあり得た。そして、協議の結果、テストジャンパーの様子を見て決めるということになった。
もし、テストジャンパーが失敗するようなら競技は終了となる。
このとき、テストジャンパーの気持ちが変わった。絶対に失敗できない、日本のメダルは自分たちにもかかっている。そう感じたようだ。本来の力が出せれば、日本は間違いなくメダルが取れる力を持っていた。しかし、天候のために、運悪くまた原田が失敗してしまった。
二回目が飛べれば、チャンスはある。ほとんどの人がそう考えていた。いや、願っていた。
だから、テストジャンパーは、もう屈辱ではなかった。メダルを取るための、役割を担っているともいえた。
そして、誰一人失敗をしなかった。
最後に、西方が飛んだ。他のテストジャンパーはあまり力がないから、大きなジャンプはできない。だから失敗も少ないが、選手たちは大きなジャンプをする。だから、西方のような一流選手が飛べば、出場選手が飛ぶのと同じ軌道になるから、状況がわかるということだった。
西方は、絶対に失敗はできないと思った。そして、みごと123メートルを飛んだ。
これで、試合続行が決まった。
テストジャンパーたちが、心を一つにして、選手たちにがんばれーと声援を送っていたという。もう試合に出られない屈辱やモルモット的な卑屈さはなかった。
自分たちも一緒になってメダルを取りに行っているという気持ちになったのだそうだ。
結果は、ホームランだった。最初の岡部が飛んだ時点で、日本はすぐに一位になった。
つぎの斎藤も大きなジャンプ。そして原田になった。誰もが心配をした。またやらかすのではないかという悪夢である。しかし、原田はホームランをかっとばした。137メートル、最高不倒の大記録を打ち立てたのだ。ジャンプの場合、バッケンレコードというらしい。
もう間違いなかった。なぜなら、最後は舟木である。ラージヒルの金メダリスト。しかも原田より安定している。
全く、日本中が感動した。
ーーーー
しかし、知らなかった。テストジャンパーがそんなに大きな役割を担っていたことを。
飛んだ選手もすごいけれど、あの金メダルは、選手たちだけでは取れなかったことをこんなにはっきり示してくれたこともないだろう。
よく、考えれば、長野だけではない。どこの大会でもこのテストジャンパーがいるはずである。そういう人たちの役割がいかに大きいか、今回のことは、それを象徴する出来事であったと思う。
私は、このような良い話は、ぜひ道徳の授業で取り上げてほしいと思う。
スポーツだけでなく、いろいろな分野で感動的な話があるはずである。
私は、初めてこの話を聞いて、こういう話は道徳の教科書に載せてほしいなあと思った。
ジャンプ競技をするには、選手が飛ぶ前に、テストジャンパーが飛んで、雪を固め選手が飛びやすくするということが必要である。それをやる人たちは、本来なら自分が選手として出場したい人である。しかし、代表として選ばれなかった人たちなのである。
しかし、この人たちがいなければ、競技は始まらない。
彼らの心境はというと、出られない屈辱、試しに飛ぶというモルモット的役割という気持ちがあるという。これは、実際にやっていた人の言葉である。
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長野オリンピックのとき、1回目が終わって日本は4位だった。前回のオリンピックの悪夢がよみがえるかのようだった。それは、原田の失敗である。
原田という選手は、三振かホームランかという人で、すごいときと駄目な時の差が激しいのだという。そのために、前回のオリンピックでは、金メダル直前で失敗し、銀メダルに終わった。二位との差が大きく、105メートル飛べば金メダルということだったのに、75メートルで、銀になってしまったのだ。
そのことで、チームに迷惑をかけ、日本中からバッシングを受けたと聞いた。自宅にまで嫌がらせがあったという。
もし、原田が105メートル以上飛んでいたら、そのときのメンバーは金メダリストなのだ。それを思うと原田は仲間に済まないという気持ちで一杯だったという。
長野オリンピックのテストジャンパーは、25名。その中に、その銀メダリストの西方がいた。
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一回目が終わって、日本は4位。天候が悪化して、競技の続行が検討された。もし、このままの天候なら、それで終わりということもあり得た。そして、協議の結果、テストジャンパーの様子を見て決めるということになった。
もし、テストジャンパーが失敗するようなら競技は終了となる。
このとき、テストジャンパーの気持ちが変わった。絶対に失敗できない、日本のメダルは自分たちにもかかっている。そう感じたようだ。本来の力が出せれば、日本は間違いなくメダルが取れる力を持っていた。しかし、天候のために、運悪くまた原田が失敗してしまった。
二回目が飛べれば、チャンスはある。ほとんどの人がそう考えていた。いや、願っていた。
だから、テストジャンパーは、もう屈辱ではなかった。メダルを取るための、役割を担っているともいえた。
そして、誰一人失敗をしなかった。
最後に、西方が飛んだ。他のテストジャンパーはあまり力がないから、大きなジャンプはできない。だから失敗も少ないが、選手たちは大きなジャンプをする。だから、西方のような一流選手が飛べば、出場選手が飛ぶのと同じ軌道になるから、状況がわかるということだった。
西方は、絶対に失敗はできないと思った。そして、みごと123メートルを飛んだ。
これで、試合続行が決まった。
テストジャンパーたちが、心を一つにして、選手たちにがんばれーと声援を送っていたという。もう試合に出られない屈辱やモルモット的な卑屈さはなかった。
自分たちも一緒になってメダルを取りに行っているという気持ちになったのだそうだ。
結果は、ホームランだった。最初の岡部が飛んだ時点で、日本はすぐに一位になった。
つぎの斎藤も大きなジャンプ。そして原田になった。誰もが心配をした。またやらかすのではないかという悪夢である。しかし、原田はホームランをかっとばした。137メートル、最高不倒の大記録を打ち立てたのだ。ジャンプの場合、バッケンレコードというらしい。
もう間違いなかった。なぜなら、最後は舟木である。ラージヒルの金メダリスト。しかも原田より安定している。
全く、日本中が感動した。
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しかし、知らなかった。テストジャンパーがそんなに大きな役割を担っていたことを。
飛んだ選手もすごいけれど、あの金メダルは、選手たちだけでは取れなかったことをこんなにはっきり示してくれたこともないだろう。
よく、考えれば、長野だけではない。どこの大会でもこのテストジャンパーがいるはずである。そういう人たちの役割がいかに大きいか、今回のことは、それを象徴する出来事であったと思う。
私は、このような良い話は、ぜひ道徳の授業で取り上げてほしいと思う。
スポーツだけでなく、いろいろな分野で感動的な話があるはずである。
今回のオリンピックでも選手がどういう経過で、オリンピックに出ることになったかがテレビで話していました。怪我で何回もオリンピックの夢が危うくなった選手はもちろん多々ですが、小さいときからトレーニングのために親もとを離れて苦労した人、借金だらけでも子供の夢を叶えようと頑張っている選手の親たち、と感動させられる話がたくさんあります。
世の中には、頑張っている人がたくさんいるので、そういう人たちの話を語り継いでいきたいです。
みんなが生きる希望が持てるような話を学校でも教えてほしいです。
私は、画家の生き方をいろいろ話して来ました。ゴッホの話はみんな真剣によく聞いてくれました。
世の中に認められなくても、自分の信じる絵を描き続けたということに感動します。
そういえば、栄光なき天才たちという漫画があって、実話ですが、私は生徒たちに美術部の読書の時間に読ませました。