四月も半ば近くなっての「寒の戻り」。
満開の桜にもう春一直線と決めてかかると、こう言う
冷たい花散らし雨。
この春休み中孫に付き合いノックアウト寸前に
解放されたが、回復力の鈍さにまたしても自信喪失。
今回は、孫と二人で近場、と言うか老女自身の
「思い出ある、さりとて長い間行くことのなかった
スポット」を彼に紹介しておこうと思った。
大阪城は、小学生の頃サイクリングに格好の場所だった。
今では「お城公園」となっているが、昭和20、30年代は
「城春にして草木深し」の状態だった。が、
遊び場としては最高だった。
孫は、石垣の石の大きさに度肝を抜かれた様子。
「伏見稲荷」も60年近くのご無沙汰だった。
毎月1日にお詣りする父と休みが合えばついて行く。
帰りは四条に出て昼食。今回 私も孫にそうした
当時と大きく違うのは、どこもここも「日本の異国」化。
「令和」時代にはこれが当たり前になるのでしょうが・・・
満開の桜にもう春一直線と決めてかかると、こう言う
冷たい花散らし雨。
この春休み中孫に付き合いノックアウト寸前に
解放されたが、回復力の鈍さにまたしても自信喪失。
今回は、孫と二人で近場、と言うか老女自身の
「思い出ある、さりとて長い間行くことのなかった
スポット」を彼に紹介しておこうと思った。
大阪城は、小学生の頃サイクリングに格好の場所だった。
今では「お城公園」となっているが、昭和20、30年代は
「城春にして草木深し」の状態だった。が、
遊び場としては最高だった。
孫は、石垣の石の大きさに度肝を抜かれた様子。
「伏見稲荷」も60年近くのご無沙汰だった。
毎月1日にお詣りする父と休みが合えばついて行く。
帰りは四条に出て昼食。今回 私も孫にそうした
当時と大きく違うのは、どこもここも「日本の異国」化。
「令和」時代にはこれが当たり前になるのでしょうが・・・