Surrealism Dash

インターネッツ黎明期に始まった日記の続き…というか保管庫

本音四の五の 追及しなくても

2005-09-23 00:25:40 | インポート
ふはははは!
このたわけが!!
スパイがどーのこーの言ってれば良いさ。
愛をどーこー言ってれば良いさ。
しょせん同好会は同好会。
あんな、あの写真、本人はサンジくんのつもりで撮ってたんだよ。
<font size=5>「なぁ、こうやったら、オレ、サンジみたい?うわ、サンジコスしてえ!」</font>
って言ってたのハッキリ覚えてる。
な、ひろろ。
だからサンジくんにしてやったぞ。
<img src="http://surr.hp.infoseek.co.jp/pho/2005/0918/27.jpg">
しかも「シェンロンのあれはちょっときびしかったな」とサンジは言ってました。
しかし「逆ピース協会」って…めろこちゃん…。(笑
もうみんな呼びたいように呼ぶが良いさ。

日本語の一人称の話題が出てきたので、ちょっとおもしろい話を。
かしらが「認知言語学」に出会ってちょっと経った大学3回生の夏、
こういう仮設を思いついてゼミのプレゼンで発表したら
<font size=6>当時あまりにも前衛的過ぎたらしくサイキさん扱いでした。</font>
で、その仮説と言うのが。
英語では(ドイツ語やイタリア語もやけど)主格に持ってこれる一人称って「I」の一通りしかない。
(厳密に言うと他にもあるけど専門的な話になるので割愛)
のに比べて、日本語の一人称は、
「わたし」「あたし」「ぼく「おれ」「あたい」「わし」
「ゆか(自分の名前)」「おかあさん」「おにいちゃん」などなど、
それこそ100通り以上あるでしょ。
しかも話す相手によって変化する場合が多い。
そうやって自分の呼び方を、相手を見て変えて話すコトによって、
いろんな自分の仮面をいくつも作ってるんだと思うのね。
自分の仮面=人格を形成→様々なストレスを回避できる→心身ともに健康。
逆に、英語圏のヒト達は統計的に見ても分裂症の患者数が多い。
それは自分を呼ぶ時に「I」しか使えなくて、
会話でストレスを回避するコトが難しいために症例となって表面化するんじゃないかな…。
と、いう仮説でした。
みんなキョトンとしてました。

明日は稲刈りに徹カラ!
因みにかしらも原キー派です。
あー、楽しみ。おわりです。