原爆投下から72年の長崎、平和公園での平和祈念式典では、被爆者や遺族ら約5400人が参列です。田上富久市長は平和宣言で、7月に国連で採択された「核兵器禁止条約」の交渉会議に参加しなかった日本政府の姿勢を「被爆地は到底理解できない」と厳しく非難し、条約を批准するよう迫りました。
長崎市長にここまで言われたアベ首相といえば、6日の広島市での平和記念式典と同様に「核兵器禁止条約」に言及なしです。そして「真に核兵器のない世界を実現するためには、核兵器国と非核兵器国双方の参画が必要です。わが国は非核三原則を堅持し、双方に働き掛けを行うことを通じて、国際社会を主導していく決意です。」と、何とも空々しく恥ずかしく聞こえてしまいます。
上の写真は72年前の長崎市で、広島と同じく一瞬にして焼け野原で、当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡し、建物は約36%が全焼または全半壊です。長崎原爆はプルトニウム239の原子爆弾で、広島に投下されたウラン235の原爆の1.5倍の威力であったそうです。
11時2分に糸魚川市広報サイレンで下の孫と1分間の黙祷で、多くの子どもたちが亡くなったことを話し、戦争は絶対にしてはいけないと・・・。
午後からは孫たちから解放され、雨上がりの中を外出です。昨年12月22日の駅北大規模火災では戦火の如くの焼け野原のような被災地でしたが、本町通りの加賀の井酒造さん辺りでは、コンクリートの基礎部分などは撤去しきれいに整地されていました。
少し角度を変えて東の方から見ると、目の前で重機がフル活動で復興への足音が聞こえてきます。
そして今日は久しぶりというより、何年ぶりかで上の孫と詰め将棋です。いつの間にか強くなった孫に、悔しいよりも我が思考力の低下とともに、被爆国の総理大臣を恥ずかしく、悲しく思う「ナガサキ原爆の日」です。