すずきせいこの「日々雑感」

政治や暮らし、孫のことから平和・原発問題まで“本音でしなやかに”・・・

「住井すゑ 九十歳の人間宣言」と長岡講演

2018年11月24日 | 日々思うこと

長編小説『橋のない川』は、1961年の刊行以来6部まで総計600万部を突破し、昭和天皇の死をきっかけに住井すゑさんは第二次大戦と原爆投下の問題を書かなければ『橋のない川』は完結しないと、7部を書き上げております。

そして一貫して求めてきた願いと思いを多くの人たちに直接語りかけたいと、1992年6月19日に武道館で7部出版記念講演会「九十歳の人間宣言 - いまなぜ人権が問われるのか」が開催されました。旧牧村明願寺の池永文雄住職も急きょ上京され、8500人の聴衆を前に訴える住井すゑさんに感動され、その熱さが伝わってきたことを思い出します。

その後、講演会の内容が90分ビデオで販売され、私は直ぐに求めたことで地域のお寺や多くの知り合いらが視聴しました。

その翌年、住井すゑさん91歳の1993年9月に長岡市で『橋のない川』記念講演会があり、友人らと電車で出かけました。会場は確か現在の長岡市役所の場所だったようで、体育館のような広い床にゴザが敷かれ私たちは前から2列目に座り、まだ青海にお住まいだった柳川月さんは最前列でした。

ご高齢にもかかわらず住井すゑさんは「私の人生を90分なんかでは話しができない」と、休憩なしで2時間40分メモなしで語り続けました。 先ず憲法について、それは「嘘をつくな、盗むな、殺すな」の、たったの3ヵ条でよいと・・・。今の日本はたった3ヵ条でも覚え、実行できない人がいるだろうから、ただ「ウソつくな」の一ヵ条以外はいらないと言われたことを記憶です。

また小学4年生9歳の時に幸徳秋水の大逆事件が起こり、「貧富の差別をなくし、天皇制を廃止しようとした悪人である」と、反逆者として批判する校長の訓示を聞きながら反発、すゑさんは秋水の反戦・平等の思想に共鳴し、このとき感じた強い疑念が心の中に溜まり続けたそうです。

やがての置かれた不合理な立場を小説のテーマの中心に置くことを決意され、人間、生まれながらになぜ貴い、卑しいがあるのか、「人間の平等」を探求しつづけた作家としての原点がそこにあることを知りました。

120分テープを持参していた人たちは後半は録音できず、また講演終了で主催者側から抱えきれないような大きな花束が贈呈され、「私はこういうものはいりません」とキッパリで、妥協を許さない“人間 住井すゑ”を目の前に見る長岡講演であったことを思い出します。

“ひろげよう人権”HP https://www.jinken-net.com/gozonji/information/1301.html

※昨日、増田れいこさんを早稲田大学卒業と書き込み、その後カン違いに気づき修正です。