大寒桜(東京都江東区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
感受性の強い人は、人の感情やニーズを読んだり、それに対して細やかな気配りを出せるという、
人を幸せにする貴重な資質を持っているものです。
しかし一方で、どんなものも人一倍響いてしまうだけに、
心労や心のダメージ、あるいは心が傷つく頻度も多くなってしまいます。
そしてまた、元の性格が繊細かどうかは別にして、
「精神的に疲れている」度合いが大きいほど傷も付きやすくなったり、
あるいは傷ついた部分に意識が集まって、余計に疲れを悪化させてしまいがちなのが、人間というもの。
もちろん休める時は休むに越したことはありません。
しかし休む以外にも、とりあえず疲れを軽くする方法があります。
それが、「被害者意識を捨てる」という考え方なのです。
「なんだ、疲れているのに痩せ我慢をしろと言うのか!」と思った皆さん、
あなたは正しい。
普通に考えて、「疲れているならそれ以上ダメージを受けないように」というのが自然な態度ですよね。
…というわけで、「ああなるほど、できるかも知れない」と思ったらで構わないので、
とりあえずお付き合い下さい。
ところで皆さん、誰かと手を繋いだことはありますか!?
「記憶がおぼろげだ」という方は、右手と左手を繋いでみて下さい。
多分、どちらかが冷たくて、どちらかが暖かいハズです。
さて、「暖かい」か「冷たい」か、
手を繋いでみて感じるのは必ず意識を向けたどちらか一方だけで、
両方同時に感じられるという人は、余程の訓練を積んだ人でなければありえません。
この原理から言えることが、ひとつあります。
それは、「与える意識か受ける意識、どちらかしか取れない」ということです。
具体的には、与える方の意識が強ければ感受性は鈍り、
受ける方の意識が強ければ自分の影響力に関心がいきにくくなるんですね。
「傷ついた…」とか言っているような場合、つまり「受ける」ほうに意識が向いていると、
その自分を傷つけるような嫌なものにどんどん意識を向けることになりますから、、
余計に感情を悪化させてしまいやすいのです。
そこで「与える」方に意識をシフトすることで、
それ以上変に傷つかないよう、感受性のスイッチをオフにできるのです。
もちろん、鈍感であれば人を傷つける場面も多くなる。
それに、他人の言動や反応から自分を省みることは、人とうまくやっていくためには欠かせません。
また、あからさまに誠実でない言動に出られた時は、毅然とした態度を取る必要もあります。
だからこそ、冒頭でお話ししたように、感受性の強さも大切なのです。
しかし、その感受性もたまに調整していないと、
ネガティブでつまらない気分に飲み込まれてしまいます。
自分が人に与えている影響はなんなのか!?という意識。
「与える意識、なんらかの発生源である意識」を持つことも、感受性を磨くことと同じくらい大切なのです。
意識を何回かシフトさせてみれば、感受性はそのままに、だいぶ楽になれるハズですよ。
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
感受性の強い人は、人の感情やニーズを読んだり、それに対して細やかな気配りを出せるという、
人を幸せにする貴重な資質を持っているものです。
しかし一方で、どんなものも人一倍響いてしまうだけに、
心労や心のダメージ、あるいは心が傷つく頻度も多くなってしまいます。
そしてまた、元の性格が繊細かどうかは別にして、
「精神的に疲れている」度合いが大きいほど傷も付きやすくなったり、
あるいは傷ついた部分に意識が集まって、余計に疲れを悪化させてしまいがちなのが、人間というもの。
もちろん休める時は休むに越したことはありません。
しかし休む以外にも、とりあえず疲れを軽くする方法があります。
それが、「被害者意識を捨てる」という考え方なのです。
「なんだ、疲れているのに痩せ我慢をしろと言うのか!」と思った皆さん、
あなたは正しい。
普通に考えて、「疲れているならそれ以上ダメージを受けないように」というのが自然な態度ですよね。
…というわけで、「ああなるほど、できるかも知れない」と思ったらで構わないので、
とりあえずお付き合い下さい。
ところで皆さん、誰かと手を繋いだことはありますか!?
「記憶がおぼろげだ」という方は、右手と左手を繋いでみて下さい。
多分、どちらかが冷たくて、どちらかが暖かいハズです。
さて、「暖かい」か「冷たい」か、
手を繋いでみて感じるのは必ず意識を向けたどちらか一方だけで、
両方同時に感じられるという人は、余程の訓練を積んだ人でなければありえません。
この原理から言えることが、ひとつあります。
それは、「与える意識か受ける意識、どちらかしか取れない」ということです。
具体的には、与える方の意識が強ければ感受性は鈍り、
受ける方の意識が強ければ自分の影響力に関心がいきにくくなるんですね。
「傷ついた…」とか言っているような場合、つまり「受ける」ほうに意識が向いていると、
その自分を傷つけるような嫌なものにどんどん意識を向けることになりますから、、
余計に感情を悪化させてしまいやすいのです。
そこで「与える」方に意識をシフトすることで、
それ以上変に傷つかないよう、感受性のスイッチをオフにできるのです。
もちろん、鈍感であれば人を傷つける場面も多くなる。
それに、他人の言動や反応から自分を省みることは、人とうまくやっていくためには欠かせません。
また、あからさまに誠実でない言動に出られた時は、毅然とした態度を取る必要もあります。
だからこそ、冒頭でお話ししたように、感受性の強さも大切なのです。
しかし、その感受性もたまに調整していないと、
ネガティブでつまらない気分に飲み込まれてしまいます。
自分が人に与えている影響はなんなのか!?という意識。
「与える意識、なんらかの発生源である意識」を持つことも、感受性を磨くことと同じくらい大切なのです。
意識を何回かシフトさせてみれば、感受性はそのままに、だいぶ楽になれるハズですよ。