青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

夜食

2012年06月26日 23時39分52秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 今日は遅帰りで明日は早起きなので、
 正直、食事に困ってます(笑)

 あまり食べると痩せにくくなる。
 食べないと空腹で眠れない。
 これを上手く満たさないといけないわけで。



 というわけで、今日はバナナにしました。
 明日はちゃんと眠りたいです。

人生の無駄。

2012年06月26日 22時55分23秒 | 青裸々日記。
紫陽花の花(東京都墨田区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「私の人生、無駄だらけなのかなぁ…?」という疑問、持ったことはありませんか。

 私はあります。
 苦しかったです。
 だから、そんな疑問をお持ちの方に、お答えしていこうと思います。


 ☆ ☆ ☆ ☆

 まず、質問です。
 それは、「なぜ、無駄があってはいけないのですか!?」ということ。
 「無駄」というからには、浪費をする対象、あるいは失ったものがあるわけですよね。
 だから、無駄だと落ち込むことにもなるのです。

 でも、冷静に考えてみましょう。
 人生に絶対必要なものって、一体なんなのでしょうか。
 あるいは、「意味のない人生」とか「無駄のない」って、どんな人生なのでしょうか。


 どうも私達は、「無駄の削減」という言葉に弱いようです。
 選挙でもなんでも、それは証明されていますよね(笑)


 結論から言いましょう。

 本当は、自分のしてきたことが無駄かどうかは、絶えず変わっているのです

 たとえば、テストの勉強をしたとしましょう。
 そして、嫌いな教科だったけど、ヤマが当たった。
 すると、この時点では「テスト勉強をしたのは無駄ではなかった」ということになります。
 でも、嫌いなものは嫌いですから、将来的に考えれば、そんな教科の分野に進むことは考えにくいですよね。
 ということは、「やっぱり嫌いな教科の勉強なんて無駄だ」ということになる。
 それでも、「苦手な分野に立ち向かう」ということは、人生ではわりとあること。
 心構えだって、ないよりあったほうが断然いいでしょう。
 ということは、「やっぱり勉強は無駄じゃなかった」という話になります。


 どうですか!?
 ことほどさように、「無駄だったかどうか」は、どこに視点を置くかで変わるものなのです。
 いましがた無駄としか思えなくても、ある瞬間に意味を見いだせるかもしれません。
 あるいは、無駄を嫌う思考が、かえって遠回りや無駄を生み出すこともあるのです。



 「無駄」というのは、「まだ価値や意味がわかっていないだけ」という状態でしかありません
 無駄は無駄でも、ずっと無駄であり続けるわけでもありません
 もちろん、虚しい気持ちになることは誰しもあると思いますが、
 以上を踏まえると、それはそれで、虚しさままでいいのかもしれません



 人生の無駄、大いに結構。
 無駄なら無駄で、熟成するまで待てばよいのです。
 それが無駄かも忘れるくらいに。

アクセス数

2012年06月26日 17時41分47秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 読者の皆さんからすれば、このブログ、コメントしずらいブログだと思います。
 そりゃそうですよね、堅苦しい話があるだけでなく、筆者も筆者で、気難しそうなイメージするのではないでしょうか。


 でもまあ、私は本当に好きなんですよ、このブログが。
 その証拠に、コメントが全くつかない3年くらい前の時期から、ずっと同じスタイルでやっているんです。
 だからこそ続いているし、もっと言うと、人の評価を気にしていたら、やりたいことはできません。



 …とまあ、写真が好きで来てくださる方のために「壁紙のページ」を置いている他は、
 かなり好き勝手にやっているんです。
 でも、最近、特に目に見えてアクセス数が増えたこと、本当に不思議でもあり、ありがたい話だとも思っています。


 読者の皆さんの求めるものはわかりませんが、これからも出来る限りのことはしていこうと思います。

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