バラの花(東京都渋谷区)
こんにちは。
いつもありがとうございます。
自分の考え方に幅を持たせるために、色々な本を読むのはいいことです。
そして、自分を磨く過程で宗教書を読む人がいますが、
これ、使い方や読み方次第で、毒にも薬にもなるんです。
よく、「世界の名言集」みたいな本を見ると、たとえば聖書や仏典など、宗教書から引用された言葉を目にはしませんか。
なぜこういう思想色が強いものから引用があるかといえば、考えや心について究めるという点では、科学も心理学も、宗教も同じだからです。
そして、究めた果ての境地に達した人が言うことなのですから、あながち間違いではないことだって、いくつかあってもおかしくない、
こう考えるのが自然ですよね。
そしてまた、色々な角度から物事を考えるから、本質がつかみやすくなる、
だから、たまに宗教書を読むと、知識や見聞を広められ、頭も明晰になってくるわけです。
ただし、です。
宗教書だって、結局は人間の書いたものです。
人間だから、偏りもあれば誇張もあるし、下手したら間違えまであるのが普通ですよね。
そこを、ある特定の価値観が強い人が書いたものが宗教書なのですから、
偏りが強い部分、強弁してしまっている部分があって当たり前です。
宗教書に限りません。
いわゆる「専門家」と言われる
レベルの人達でも、意見が分かれたり、派閥があったりで、
結局は、どの意見がしっくり来るかは、自分次第の面もあることが多いのです。
どんなことでも、一介の真実も、根拠に乏しい説も含まれている・・・という目で見ること、
これこそが、本質を見抜くコツです。
そもそも、信じるか信じないかは理屈ではなく個人の感覚なのですから、
宗教でも学問でも、嫌なものなら見なければいいだけのこと、
楽しく気持ちよく、ためになることを吸収していけばよいのです。
宗教だろうとなんだろうと、本質が見抜ける人であれば、納得できるかできないかの感覚は分かるもの。
たとえ非論理的でも、世の中、理屈だけで動いているのではありません。
自分の感覚を信じて、色々なものに触れてみませんか。
こんにちは。
いつもありがとうございます。
自分の考え方に幅を持たせるために、色々な本を読むのはいいことです。
そして、自分を磨く過程で宗教書を読む人がいますが、
これ、使い方や読み方次第で、毒にも薬にもなるんです。
よく、「世界の名言集」みたいな本を見ると、たとえば聖書や仏典など、宗教書から引用された言葉を目にはしませんか。
なぜこういう思想色が強いものから引用があるかといえば、考えや心について究めるという点では、科学も心理学も、宗教も同じだからです。
そして、究めた果ての境地に達した人が言うことなのですから、あながち間違いではないことだって、いくつかあってもおかしくない、
こう考えるのが自然ですよね。
そしてまた、色々な角度から物事を考えるから、本質がつかみやすくなる、
だから、たまに宗教書を読むと、知識や見聞を広められ、頭も明晰になってくるわけです。
ただし、です。
宗教書だって、結局は人間の書いたものです。
人間だから、偏りもあれば誇張もあるし、下手したら間違えまであるのが普通ですよね。
そこを、ある特定の価値観が強い人が書いたものが宗教書なのですから、
偏りが強い部分、強弁してしまっている部分があって当たり前です。
宗教書に限りません。
いわゆる「専門家」と言われる
レベルの人達でも、意見が分かれたり、派閥があったりで、
結局は、どの意見がしっくり来るかは、自分次第の面もあることが多いのです。
どんなことでも、一介の真実も、根拠に乏しい説も含まれている・・・という目で見ること、
これこそが、本質を見抜くコツです。
そもそも、信じるか信じないかは理屈ではなく個人の感覚なのですから、
宗教でも学問でも、嫌なものなら見なければいいだけのこと、
楽しく気持ちよく、ためになることを吸収していけばよいのです。
宗教だろうとなんだろうと、本質が見抜ける人であれば、納得できるかできないかの感覚は分かるもの。
たとえ非論理的でも、世の中、理屈だけで動いているのではありません。
自分の感覚を信じて、色々なものに触れてみませんか。