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シーガル

2005-07-05 | 【アート】美術館・ギャラリー・レビュー
悩み中でも、とりあえず体は動かさないと。

というわけで今日は新宿。
新宿って汚い と初めて思った。
じゃかじゃか看板が立って、空を埋め尽くすみたいに建物が並んで、バカみたいだ。
そんで、人もえーらい多い。
人がうようよ。右からうようよ。左からうようよ。
少し乾いた目でそんなうようよをみてたら、ジョージ・シーガルの石膏を思い出しました。こっから本題です。

タイトルにも入りましたが、ジョージ・シーガルとはつい最近2000年ごろまで活動していたアメリカのアーティストです。
生身の人間の様々な恰好を石膏でとるんですよ、このおっさんは。
で、できあがった石膏に色を載せない。目を描かない。
そのせいか、どっか乾いた感じ・冷たい感じ・さみしい感じの人間(等身大)になるんだと思う。
なんでシーガルが目を描かないのか、なんでもっと劇的な動きをポーズにしなかったのか、私にはわかんないけど。
・型をとるとき目をつむっちゃうから描きようがない
・見る人が自分のその時の感情を作品にのっけられるように
・そもそもシーガルには他人の顔(表情)が見えてなかった(無いように思っていた)
思いあたるのはこれくらい…
これ、前者2つの理由であってほしいなぁと思います。
私は人に顔が無いなんて思ったことないもんね。
今日の新宿のうようよを見ても、表情が無いのは町並みであって人間についてでは無いと思う。

だーって人間には心があるもんね。
好き嫌いに喜怒哀楽に思い出にまだわからん未来への想像に。
…私はどっちかと言えば冷たい人間だと思うし、別にいちいち他人を見てこんなことで胸を熱くしてるわけじゃないけど(笑)
でも目に見えないこういうのがつまってるんでしょ、何千何万何億のうようよの中に。
そいつはすんごいことだと思う。

そんで。
町並みに表情がのっかることも、有り得なくは無いと思う。
それを見る人に具体的な出来事と、そこから感じた感情的な思い出があれば。それを忘れていなければ。

ジョージ・シーガルの遺した、目を閉じ表情のない石膏たちは、目に見えない心のいろいろをじっくりひそやかにかみしめているように見える。